32.みんなで頑張ります
その数日後、わたしたちは準備を整えてそれぞれの持ち場へと移動していった。
日が落ちて暗くなってすぐに、わたしはフォルに抱えられて、川をせき止める土の壁のところへ向かっていた。
同じように、アーエルはガートルードを連れてトンネルの出口側へ。ヒルダは昼のうちに町に向かっている。
「それでは、また後で」
「ああ。頑張れよ」
フォルとアーエルが短く言葉を交わし、それぞれの目的地を目指して飛んでいく。こないだと同じように屋敷の隠し通路から外に出て、高く舞い上がっていった。
下に見える町、その中を走る水のない川を見て、決意を新たにした。絶対にここに、水を引いてみせる、と。
◇
「さて、どうにかここまで見つからずに来られたな」
それから少し後、涸れた川のほとりにアーエルとガートルードが立っていた。
ぐるりと辺りを見渡しているアーエルと、さっさと川底のほうに降りていくガートルード。
「そうですね。アーエル、それではさっさと始めましょう」
「……君さ、屋敷にいた時と態度が違わない? なんだか、子供の頃を思い出すというか……ついさっきまで、もうちょっと丁寧だったよね」
「屋敷にいる間は、他の使用人の目がありますから。あなたは一時フォルの代理として、その執務を肩代わりしていたでしょう。そんな相手を雑に扱うのは良くありません」
「……見事なまでの割り切りようだよな。屋敷にいる間はフォルのこと『ご主人様』って呼んでるし。子供の頃は、俺たちの姉さんみたいなものだったのになあ」
ふてくされたような顔をしているアーエルに、ガートルードは落ち着き払った様子で答える。
「それでは、昔のように扱いましょうか。アーエル、早く作業に取りかかりなさい」
ガートルードは厳しい教師のように、ぴしりとそう言い放った。アーエルが楽しげに笑いながら同じように斜面を降りていく。
「はは、懐かしいな。はいはい、今やりますよ」
そんな彼に、ガートルードはかすかな苦笑でこたえていた。
それから二人は、手分けして作業を進めていった。まずはアーエルが風の魔法で川底の形を整え、ガートルードが雲の魔法でその川底を固めていく。
ニネミアたちが出てくるであろう一角だけは地肌のままにして、それ以外の部分にみっしりと雲を敷き詰めていくのだ。
純血の天翼族であるアーエルはもちろん、ガートルードも夜目が利くから、明かりをともさずとも作業は容易だった。
せっせと手を動かしながら、アーエルがふとつぶやく。
「……ニネミアちゃんとヒルダちゃん、うまくやってるかな」
手を止めることなく、ガートルードが答える。
「ニネミアさんにはフォルがついています。彼は責任感が強いですし、その……」
珍しくも言いよどんだガートルードの言葉の先を、にやりと笑ったアーエルが引き継いだ。
「あの子のことを大切に思ってるしね、フォルのやつ」
「……ええ、そうですね。彼女のおかげで、フォルは少しずつ変わっています。私たちにはどうしようもなかった彼の凍った心を溶かしてくれました」
そうして二人は、そっと顔を見合わせて優しく笑う。弟を心配する兄姉のような、そんな微笑みだった。
「で、心配といえば……ヒルダちゃんは大丈夫かな?」
アーエルの顔が、ふっとくもる。先ほどまでのどこか余裕のあった表情とはまるで違うその様子に、ガートルードはやはり落ち着き払って言葉を返した。
「ヒルダさんは危険のない役目です。それに彼女にあの仕事を割り振ったのは、あなたでしょう」
「それはそうなんだけど、やっぱり心配になっちゃってさ……」
「私たちと、フォルたち。それぞれが作業をしている場所に人をできるだけ近づけないために、人々の目を別の場所に向けさせる。中々いい思いつきのように感じられましたが」
「でも、具体的にどうやって気を引けばいいのか思いつかなくて、ヒルダちゃんに尋ねてみたら……まさか、あんなことになるなんて」
アーエルがそわそわと視線をさまよわせて、それから遠くを見る。今にもそちらに飛んでいきそうな雰囲気だ。
「ですから、心配は不要です。あなたは昔から世話焼きでしたが、少々度を越してはいませんか?」
「まあ、そりゃあその……ヒルダちゃんって健気だし、可愛いし。あんな目立つことしたら、男どもが放っておかないよねっていう……」
「そういう意味での心配でしたか。まったく……」
深々とため息をついて、ガートルードが作業を再開する。
「でしたらなおのこと、早く作業を済ませてしまいましょう。私たちがのんびりしていれば、それだけ彼女は長く人目にさらされます」
「よし、分かった!」
そうして二人は、黙々と手を動かしていた。
◇
そうやってアーエルたちが作業にいそしんでいた頃、ヒルダはそこから離れた村の広場にいた。そこにはその村の人間だけでなく、近くの村々の人たちが集っている。
ヒルダは目いっぱい着飾って、鈴のついたショールを手にしていた。彼女はリトラーの町の人間を引き連れて、ここまでやってきたのだ。
「俺は怪力芸を見せればいいんだな。町一番の剛力、見せてやるぜ」
かつてヒルダが働いていた青果店の店主が、そう言ってにやりと笑う。
彼は上半身裸で、下にはいているのも体にぴったりと沿った、筋肉を浮き立たせるようなズボンだった。元々とてもたくましい彼は、そうしているととても人目を引いた。
「これだけの人の前で歌を披露するのは久しぶりですね……ふふ、僕の歌のとりこにしてみせましょう」
しゃれた服に身を包んでいるのは、やはりヒルダがかつて働いていた酒場の店主だ。彼もまた笑みを浮かべていて、待ちきれなくてそわそわしているようでもあった。
他の町人たちも、色々と準備をしてきていた。笛を持ってきた者、竪琴を持ってきた者。
ヒルダと同じように着飾っている若い女性は、さっきからとんとんと足を踏み変えている。踊りのおさらいをしているらしい。
ヒルダたちはこれから、ここでありったけの芸を披露するのだ。娯楽の少ない村の人たちは、いい楽しみがやってきたと大喜びで集まっている。
フォルたちの作業が終わるまで、近隣に住む人たちをここにくぎ付けにしておく。それがヒルダの役目だった。
川の中や外で作業をしている四人の姿や、トンネルが開通し水が湧き出る瞬間を人間たちには見られたくない。
ヒルダたちの意見は、そう一致していた。人魚族や天翼族の存在を隠しておくのはもちろん、トンネルの存在についても隠しておくべきだ。さもないと、侯爵がまた何かしてくるかもしれない。
だからこうやって、作業場所の近くに住む人たちを一か所に集め、その注意を引きつけておく。
アーエルがそう提案した時、ヒルダは心が軽くなるのを感じていた。自分にも、できることがある。それが嬉しかった。
そうして彼女は、彼の提案をより具体的なものにしていった。
彼女は、リトラーの町の人間たちととても親しかった。彼女の友達の中には、歌に踊りに楽器に力比べ、そういったことを得意とする者もたくさんいた。
そんな人たちを、彼女は訪ねて回った。「ちょっと訳があって、上流の村で公演をしたいの。力を貸してもらいたいな」と。
もちろん、その訳とやらについて尋ねてくる者もいた。けれどヒルダは、話せないの一点張りだった。
それでも結局、かなりの人数が彼女に手を貸してくれたのだった
「……こんなにたくさん手伝ってくれるなんて、思いもしなかったなあ……」
「ん? どうしたヒルダ、お前にしては珍しく神妙だな。店の客を片っ端から友人にしてたくせに」
青果店の店長が、きょとんとした顔でヒルダに声をかける。さらに、酒場の店主も話に加わる。
「そうですね。君が何を考えているのかは分かりませんが、それでもみんなは君を手助けしようと思ったんです。もちろん、僕も」
「こう言っちゃあ何だが、俺たちの町で一番顔が広いのは、領主のリトラー様じゃなくてヒルダだと思うんだが」
「ええ、同感です」
いつもと違う格好で、朗らかに笑い合う男たち。そんな二人を見て、ヒルダはぽかんとしていた。今のこの状況に、まだ少し頭がついていっていないような顔だ。
そうして二人は、ヒルダに笑いかける。町で共に働いていた時と同じ、親しげな笑顔だった。
「ところでそろそろ、始めませんか? 町のみんなも、村の人たちも待ちきれないって顔をしていますよ」
「やっぱりここでは、お前が号令をかけるべきだからな」
「う、うん!」
彼女は、にっこりと笑った。見る人まで笑顔になってしまう、満開のひまわりのような笑み。
そうしてそのまま、軽やかな足取りで進み出る。
フォルたちのやろうとしていることから人の目をそらすために、彼女はここにいる。でもそれとは別に、彼女はこの状況を楽しみつつあった。
「それじゃあみんな、始めよっか!」
ヒルダの明るい声が、晴れ渡った夜空に広がっていった。人々の歓声を引き連れて。




