30.説得は全力で
「……何となく、また来るんじゃないかという気はしていた」
執務室に駆け込んできたわたしに、フォルはそう言った。不機嫌そうな声で、書類に目を落としたまま。
「えっと……だったらわたしが何を言おうとしているのかについても……」
「見当はついている」
ああ、やっぱり。でも、どうにかして説得しないと。
必死に考えて、言葉をしぼり出す。
「あの、フォルは……天翼族や人魚族のことが広く知られたら大変だから、みんなで力を合わせてあの川の問題に立ち向かうのはなしだ、って言ってるんですよね」
「そうだ。さっき話した通り」
「だったら……こっそり少人数で、というのは駄目ですか? 目立たなければ、見つからなければ……」
「少人数? それで、川の流れをどうにかできるとは思わない。君には何か策があるのか?」
「……ありません。でも、みんなで考えれば、きっと……」
フォルはいつも以上にかたくなになっている。前に雲の上でお喋りした時とは、まるで違う。
どうしよう。言葉が続かない。何か、何か言わなきゃいけないのに。
土砂でせきとめられた川、水が少なくなってしまった井戸。弱っていた奥の中庭の植物。そんなものが、次々と頭に浮かんでは消える。
このままじゃ、大変なことになるのに。フォルはそのことに何も感じない人じゃない。何もしないままこれ以上状況が悪くなっていったら、きっと彼は苦しむ。
ここで説得しなくちゃ。わたしが頑張らなくちゃ。
「……アルパカが……」
気づけば、そんなことを口走っていた。しかもなぜか、勝手に涙があふれ出てくる。
わたしの様子が変わったことに気づいたらしく、フォルが顔を上げた。わずかに目を見開いて、こちらをうかがっている。
「アルパカが、励ましてくれたんです。あの子たちがいる奥の中庭、水が足りていなくて……その、枯れそうな植物にだけこっそりと水をあげたんですけど」
しゃくりあげそうになるのをこらえながら、一生懸命言葉を続けていく。
「もう、水不足がこの屋敷にまで影響しています……わたしが頑張れば、この屋敷の中で必要なだけの水を生むことはできます……この屋敷の、分だけは」
今のままでも、守ることはできるのだ。わたしの大切な、最低限のものだけは。
でも、それでは足りない。ヒルダの家族、友達。そういった人たちが苦しめば、ヒルダが苦しむ。
もし町の人たちが水不足にあえぐようになったら、ガートルードやアーエルも辛そうな顔をするだろう。
そうなってしまったら、わたしも苦しい。どうして何もせずにいたのだろうって、絶対に後悔する。
そんな思いを乗せて、さらに言葉を紡ぐ。
「……けれどこのままじゃ、屋敷の外は水不足でひどいことに……それでも一部の人間は、やり過ごせると思うんです。悪いことに手を染めてでも生きぬく、それだけのたくましさがありますから」
頭の中を、人さらいたちの姿がよぎる。
あのウツボのおばさんは、本当に悪い人だとは思えなかった。でも何も知らないわたしをさらって売り飛ばしたのだから、やっぱり悪い人だ。
畑の作物が駄目になって、このままだと生きていけない。だから人さらいに手を染めた。あのウツボのおばさんはそう言っていた。
褒められたことではないけれど、本当にしたたかで、強い。
「だから苦しむのは、弱くて、いい人間たちだと、そう思うんです……」
追い詰められてもできることがなくて。他人を踏みつけにできるほどのあくどさもなくて。
あの大水の日、一人で震えていたヒルダの目を思い出す。いつもの笑顔が消えて、暗くよどんでいた。
このまま水がなくなっていったら、町の人たちもあんな目になってしまうのかも。
「……わたしが頑張ります。フォルが許してくれないのなら、わたし一人でも解決策を探します。うまくいくかは分かりません。でも、このまま何もしないでいるのは、辛いです」
フォルには立場がある。そして、人魚族と天翼族を危険にさらすことはできない。
だったら、わたし一人で頑張るしかない。失敗して人間に捕まるようなことになっても、みんなのことを話さなければいい。
そうすれば人魚族のみんなにも、フォルにも迷惑はかからない。
うん、もうそれしかない。泣きそうなのをこらえて、フォルを見つめる。
フォルは顔をこわばらせて、じっとわたしを見つめ返していた。そのまつ毛がかすかに震えているのが、ここからでも見えた。
彼は落ち着こうとしているのか、ゆっくりと深呼吸している。それから顔をしかめて、視線をそらして、考え込んで。
その表情が、せわしなく変わっていく。何かを言いたそうにしているような、でもためらっているような。
どれくらいそうしていただろう。フォルはすっくと立ち上がって、声を張り上げた。
「ああもう、分かった! 僕が個人的に手伝う!」
いつになくぶっきらぼうな声に、怒らせてしまったのかと焦る。いえ、わたし一人で、と言いかけたその時、彼はとても静かな声で続けた。
「……人間たちを助けるためじゃない。困難に立ち向かっていく君を助けるためだ」
フォルの瑠璃色の目は、星を宿す夜空のようにつややかで、力強く美しくきらめいていた。
「二人でなら、できることもある。そんな気がする」
その口元には、かすかに笑みが浮いている。そんな彼に、ただぽかんと見とれていた。よかった、怒らせた訳じゃなかった。
彼は、人間のため、とは言っていない。でも、結果として人間を助けることに同意してくれた。それがすごく嬉しい。
……それと、わたしを助けるため、って言ってもらえたのも嬉しい。
「はい! わたしも、フォルがいてくれればとっても心強いです!」
元気よくそう答えたら、フォルがちょっと赤くなった気がした。
それからわたしは屋敷中を駆けずり回り、アーエルとガートルード、それにヒルダを見つけてきた。ひとまず、今後の方針についてみんなで話し合うために。
ちなみにアーエルは、「説得お疲れ様。やっぱりあいつ、君の言葉には割と素直に耳を傾けるんだな」と言っていた。
そんなこんなで、フォルの執務室にわたしたちはまた集まっていた。迫りくる水不足をどうするか、対策を考えるために。
「井戸の水源である地下水には、ちょっと手を出せそうにないしなあ」
今の状況を整理し直したところで、アーエルがぼやく。と、ヒルダがぱっと顔を上げて言った。
「雨を降らせたりとか、そういうのはできませんか? ニネミア、水の魔法を使えるんだよね? 天翼族は雲の魔法を使えるってアーエルさんが言ってたし、二つ組み合わせる、とか」
「一日だけなら大丈夫だけど、何度も繰り返すのは、ちょっと……。そんなことをしたら、いずれ人間に見つかっちゃう。それに、広範囲に降らせるのは難しそう」
「天翼族が三人、人魚族が一人……たぶん、かなり局所的な雨になってしまうしね。不自然だよ」
わたしとアーエルがそう答えると、ガートルードがさっさと話をまとめてくれた。
「そうなるとやはり、川をせきとめている土の壁を何とかするしかなさそうですね」
と、ここまで黙って話のなりゆきを見守っていたフォルが、苦々しい顔で言う。
「だが、そうなると問題が生じる。僕の『リトラー伯爵』という立場だ」
前に、領地がどうとかで川の調査をしづらいのだとフォルが言っていた。今度も、立場が問題になるのだろうか。人間の世界って、ややこしいなあ。
そしてフォルは、おそらく唯一事情が分かっていないであろうわたしに向かって、とても丁寧に説明してくれた。
「あの土の壁を築かせたのは、あの地を治める領主……侯爵だ。僕は伯爵だから、あちらのほうがより位が上だ。……この位とか身分とか、どうにも落ち着かない……というか、いら立たしいんだが」
あ、またフォルの話がずれていった。本当に、人間が嫌いなんだなあ。
もっとも彼の場合、その嫌悪感は個々の人間よりも、人間という種族全体のひずみとかそういうものに向けられている気がする。
現に今も、人間であるヒルダが同席しているのに気にしていない。だいぶ、ヒルダにも慣れてくれたようで嬉しい。
「ともかく、侯爵がしたことに僕が表立って異論を唱えるのは難しい。はっきりとこちらの領地に被害が出てからならまだしも」
なるほど、人間の世界における立場の厄介さは分かったかも。
人魚族にも一応立場はある。オーセアンお父様とシーシアお母様は王と王妃で、わたしは姫だ。他に、近衛兵とか世話役とか学者とかもいる。
でもその立場は単にそれぞれの仕事を表しているだけで、上とか下とかそういうのはない。おかしいと思ったら、王相手でも遠慮なく意見を言う。
わたしたち人魚族の世界は、そういう決まりでなりたっている。
ああいけない、今度はわたしの考えがずれていっちゃった。今は水不足の問題に集中しないと。
みんなで思いつくまま、ああでもないこうでもないと知恵を出し合う。
そうしていたら、ヒルダがぽつりとつぶやいた。
「……あの……土の壁はそのままで、水だけをこっちに引っ張ってくることって……できませんか?」




