29.人間嫌いの優しい人
それからアーエルと、町の井戸を順に見て回った。
今のアーエルはフォルと似たような、要するに貴族っぽい格好をしていたし、わたしはメイドの制服を着ていた。
だから町の人たちも、わたしたちがリトラー様の命で井戸を調査しているのだと、そう勝手に納得してくれていたらしい。おかげで、あれこれと言い訳せずに済んだ。
「どう、ニネミアちゃん?」
「そうですね……水がとても遠いです。内側の壁は、ついこの間まで水に浸っていた匂いがするのに……水そのものの匂いは、ずっと下のほうで……」
町の井戸に上半身を突っ込んで、中の様子を探る。うっかり落っこちないように、アーエルがしっかりと支えてくれた。
「町の人たちが訴えている通りか……」
アーエルの困ったような声が、上のほうから降ってくる。
よいしょ、と井戸から体を引っこ抜いて、ふうとため息をついた。
そうして二人で屋敷に戻りながら、ひそひそ声で話す。周囲には誰もいないけれど、一応用心しておいたほうがいいし。
「このままだと、いずれ深刻な水不足になってしまいますね……はあ、ついこないだ大水だったのに……」
「まあ、水不足の原因は、半分くらいあっちの……上流側の領主のせいだからね」
少しかがんで顔を寄せながら、アーエルが答える。その眉は、困ったようにひそめられていた。
「とにかく、急いで水を引いてこないとまずい。……君の力で、水を引っ張ってくるとかはできないのかな? そうやって、新しく川を作るとか」
「難しいです。両腕で抱えられるくらいの水の塊を運ぶことならできますけど、大きな流れを引っ張ってくるのは、さすがにちょっと」
「まあ、そうだよね。俺たち天翼族も、一人ひとりが使える魔法は、大したことがないし」
そうして、彼は意味ありげにちらりとこちらを見てくる。あ、もしかして。
「一人で駄目なら、たくさんの力を合わせればいい……そういうことですか?」
「そういうこと。俺たちは長年人間たちの社会にまぎれ込んでいるから、どうしても人間に肩入れしてしまう。できることなら手助けしてやりたいと、多くの者はそう考えてる」
小さく、とても優しく笑って、彼はまっすぐにわたしを見てきた。
「そして君も、同じようなことを考えてるんじゃないかな? 人魚族と人間たちが交流を持つようになればいいなとか、そんな感じのことを」
「はい。人魚族は、地上に行ってはいけないってことになっています。でも……こうやって地上に出てきたら、人間たちとも分かり合えるって思いました」
すぐにうなずいて、弾んだ声で答える。大声にならないよう気をつけながら、さらに言った。
「それに、お父様やお母様、そして人魚族のみんなは、フォルと仲良くしてくれました。地上に興味を持ってくれました。……わたしがまた地上に戻ることを、認めてくれました」
わたしの答えに、アーエルは満足そうに微笑む。
「そうか。天翼族と人魚族の力を集めれば、あの土壁をぶっ壊すことだってできるかもしれない」
「そうなれば、今の水不足もなんとかなりますね……」
「だね。よし、さっそくフォルにかけあってみようか。たぶんあいつ、今頃川をどうするかで頭を悩ませているだろうから」
「はい!」
ちょっとだけ、やれることが見えてきたような気がした。アーエルとうなずき合って、早足で屋敷を目指す。
早く、フォルと話したい。そうして町のみんなを、安心させたい。そんな思いを、しっかりと抱えて。
「駄目だ」
ところが、フォルの返事はそんなそっけないものだった。
大急ぎで屋敷に戻って、小走りでフォルの執務室に駆け込んで。
そうして口々に、天翼族と人魚族の力を借りてこの問題を解決しようと、そう訴えた。
でもフォルはすさまじく苦々しい顔になり、低い声で説明し始めた。
「確かに、このリトラー家の当主には、領民を守る義務がある。だから僕も手を尽くす。ただしそれは、『人間である当主にできるだろう範囲内で』だ」
つまり、彼がごく普通の人間だったら、こんな感じで解決しようとするだろうなという手段しか使うつもりはない、ということかな。
「天翼族や人魚族の力を合わせれば、この地に水をもたらすこともできるかもしれない。だがそれにより、僕たちの存在が人間たちに広く知られてしまうおそれがある」
それについては、否定できない。隠し身の魔法が使える天翼族ならともかく、わたしたち人魚族は隠れるのは苦手だ。深い水があれば、その底にもぐれるけれど。
ちらりと隣を見ると、アーエルがこっそりと苦笑していた。どうやらフォルのこの反応は、アーエルにとっては想像の範囲内だったのかもしれない。
そうして、フォルはきっぱりと言う。
「人間たちのために、そんな危険を冒すことはできない」
彼は小さく息を吐いて、わたしたちから視線をそらしてしまう。
「話は以上だ。僕は忙しい。ごく当たり前の伯爵として、領民を水不足から救うという仕事があるから」
こわばった声で、フォルは淡々とそう言った。それからくるりと、わたしたちに背を向ける。
「だから二人とも、出ていってくれ」
結局、わたしたちはそのまま執務室を出るしかなかった。廊下を少し歩いたところで、アーエルが口を開く。
「取り付く島もないっていうのはこのことかな。何となくこうなるかなって気はしてたけど……いつも以上にかたくなだ」
「ですね。……でも、フォルの言っていることも正しいのかな、って思えちゃいました」
「仕方ない、ガートルードを捕まえて、二人で説得の言葉を考えてみるよ」
ちょっとしょんぼりしているわたしに、アーエルが明るく笑いかけてくる。
「今日は手伝い、ありがとう。また改めて、フォルの説得の手伝いを頼むよ。それじゃあ」
そうして、彼はひらひらと手を振って立ち去っていった。
一人残されたわたしは、ずうんと胸が重くなるのを感じながら、屋敷の廊下をとぼとぼと歩いていた。
わたしの足は自然と、奥の中庭に向かっていた。フォルと親しくなる前、彼に会いたくてせっせと通った思い出の場所。
そこに植えられている植物も、ちょっと元気がなかった。
こないだ庭師がぼやいていたけれど、屋敷の他の庭よりも優先して水をまいてはいるものの、それでも十分な量の水をやれていないのだそうだ。
こっそり魔法を使って、水をやることはできる。でももしその現場を誰かに見つかったら、大騒ぎになってしまう。
「……人魚族と人間との間に交流があれば、堂々と助けられたのにな……」
そんなことをつぶやきながら中庭をこそこそと歩き、特に元気のない植物の根元にちょっとだけ魔法で水をやる。
庭師がおかしいなと気づかないくらいに、でも植物が枯れないように。
これで少しだけでも、役に立てたかな。ちょっとだけ達成感を抱えて、ふうと息を吐く。その時、きらきらした小さな鳥が、素早い動きで近づいてきた。
その鳥は宝石のように輝いていて、わたしの片手ですっぽり覆えるくらいに小さい。懸命に飛びながら花の蜜を吸っているさまは、鳥というより蝶か何かのようだ。
「綺麗……」
ぼんやりとその輝きに見とれていたら、突然柔らかいものがぼふんと肩に当たってきた。それも両肩に。
「え、わっ、何!?」
あわててきょろきょろすると、何かふわふわしたものが両側にあった。どうやらその何かが、体当たりをしかけてきたらしい。
これって首の長い羊……じゃない、アルパカだ。それが二頭、わたしを両側から挟んでいる。前にフォルに甘えてきたのとは違う子たちだ。
そしてアルパカたちは、やけにぐいぐいと迫ってきていた。長い首を、ふわふわの頭をわたしにこすりつけるようにして。
「えっと、なでろってこと……?」
仕方なく、その長い首をかいてやる。すると、二頭ともうっとりと目を細めてすりよってきた。
しかも、向こうのほうからさらに三頭のアルパカが近づいてきた。確か五頭いるってフォルが言ってたし、これで全員集合だ。
「ど、どうしたの、みんな集まってくるなんて。寂しいの?」
もふもふにぐるりと囲まれてしまった。気持ちいいけれど、どうしよう。
「そういえばフォルが、この子たちはよく甘えてくる可愛い子だって、そんなことを言ってたっけ……」
ぽつりとつぶやいて、気がついた。
そうだ、フォルは優しい人なんだ。この子たちを、わたしを、助けてくれた。ただ、子供の頃に抱いてしまった人間への憎しみが消えないだけで。
「……もう一度、説得してみよう」
目の前のふわふわに、ぼすんと顔をうずめる。
「人間を助ける、って言ったから、フォルはわたしたちを追い出したんだ」
アルパカたちの動きが止まった。まるでわたしの話に、耳を傾けているかのように。
「……フォルは分かってる。人間が全部悪い訳じゃないって。前に話してくれたもの」
ぷー、ぷおー。そんなちょっぴり間の抜けた鳴き声が、一斉に聞こえてくる。わたしの意見に賛成してくれているのかもしれない。
「……わたし、頑張ってみる。励ましてくれてありがとう」
そう呼びかけたら、アルパカたちがするりと離れていった。横一列に並んで、わたしをじっと見ている。
そんなアルパカたちに手を振って、駆け出していった。フォルの執務室目指して、まっすぐに。




