27.町を襲う異変
そうして、また屋敷での日常が始まった。わたしもメイドの制服に身を包み、せっせと働く。
でも、前とは違うこともいくつかあった。
ヒルダが同じ屋敷で暮らしていることもそうだし、なによりわたしがフォルの身の回りの世話を任されるようになったことは大きかった。
前は、仕事の休憩時間や休みの日に、奥の中庭に行ってフォルと会えるのをひたすら待っていた。でも今は、そんなことをしなくても毎日会える。
アーエルもまだ屋敷に留まっていて、フォルの仕事を手伝っている。こないだの大水の被害から、町はまだ完全に立ち直ってはいなかったのだ。
それでも二人の努力のおかげで、少しずつ町も元の姿を取り戻しつつあった。
土砂は取り除かれ、崩れた石垣は直され。次の大水に備えて、川幅を広げたり底を深く掘ったり。
川での仕事ならわたしも手伝えるんだけどなあと思いながら、フォルとアーエルの仕事をこっそりと眺めていた。
ところが、そんなある日。信じられない知らせがフォルのもとに舞い込んできた。
「まさかと思ったが……本当に、こんなことになっているとは」
知らせを受けてすぐ、わたしたちは町に駆けつけていた。仮面を着けたフォルが、呆然とつぶやく。
「『川が干上がった』って聞いた時は、耳を疑ったね」
伊達眼鏡をかけて書類の束を手にし、フォルの補佐といった雰囲気をかもしだしているアーエルが、小首をかしげながら目の前の光景に見入っている。
わたしはたまたまその知らせが舞い込んできた時にフォルの執務室にいたので、二人にくっついてここまで来ていたのだった。だって、気になったし。フォルも止めなかったし。
そして今わたしたちの目の前には、町の中心部と北区画とをつなぐ橋があった。
あの大雨の夜に、わたしはここから大水に飛び込んでヒルダを助けたのだ。あの時は、橋のすぐ近くまで水が迫っていた。
けれど新しくかけ直された橋の下に、川はなかった。そこにあるのは、ただ深い堀だけだった。
堀をそっとのぞき込むと、さんさんと降り注ぐ日差しに乾きつつある小さな水たまりが見えた。水、なくなっちゃった。なんでだろう?
珍しくも屋敷から出てきたフォルに驚いたのか、町の人たちがわたしたちを遠巻きにしている。
そちらをちらりと見て、それからフォルとアーエルに小声で話しかける。
「このところ、ずっと晴れ続きですけれど……川って、そうそう簡単に干上がりません……よね?」
「ああ。日に日に水量が減少してはいたが、こんなに突然水が涸れることはないはずだ」
「順当に考えれば、何かあったんだろうね。たぶん、ここよりも上流側で」
フォルとアーエルも、不思議そうに首をかしげている。
「リトラーの領地内で異変が起こったのなら、その知らせがいずれ僕のところに届くだろうが……」
「あまり、悠長に構えてはいられないだろうね。それでなくてもこのところ雨が降らなくて、領民は水に困り始めているから」
「それに、原因が領地の外にあるかもしれない。もしそうなら、さらに事態は悪い」
深い堀を見つめて、フォルが深々とため息をつく。仮面のせいで表情はよく見えないけれど、たぶん眉間にくっきりとしわを寄せているんだろうな。
「よその領地に入り込んで問題を解決するどころか、調査のための人員を送り込むことすら難航するだろうな。……まったく、人間は心が狭くて困る」
「まあまあ、人間についての議論はまた今度。ということは、打てる手はあれしかないね」
「ああ。今晩、僕が行く。今すぐ行ってもいいんだが、万が一に備えて、な」
「任せたよ、フォル」
そして、二人はうなずき合う。わたしには、二人が何をしようとしているのか大体分かってしまった。
彼らは、この川の上流を調べようとしている。でも人間の決まりごとのせいで、自由に調べる訳にはいかない。
人間の世界、特に貴族の世界では、よその領地を勝手に調べるというのは喧嘩を売っているに等しい行いらしいのだ。別にそれくらい構わないと、そう思うのだけれどなあ。
だから彼らは夜の闇にまぎれて、こっそりと空から調べようというのだろう。
それはそうとして……この川に何が起こっているのか、わたしも気になる。
前みたいにあふれて水浸しというのも困るけれど、水がなくなってしまうのも困る。飲み水とか、畑にまく水とか、とにかく水は必要だから。
わたしは水の魔法でちょっとだけ水を生み出せるけれど、この川を満たすほどの量はさすがに無理だ。
このままの状態が長く続いたら、みんなが困ってしまう。このところずっと晴れ続きだから、町の外にあるため池の水位もすっかり下がってしまった。早く、川を元に戻さないと。
そんなことを考えながら、行儀よく二人の後ろに控えていた。どうにかして、わたしも連れていってもらえないか頼まなくちゃ。
「そうだ、フォル。ニネミアちゃんも連れていったらどうかな?」
突然アーエルが、そんなことを言い出した。驚いてぽかんとしているわたしに、こっそりと片目をつぶってくる。
えっと、もしかしてわたしの望みに気づいてくれたのかな。
そしてフォルは、不審げな声で答えた。
「どうして彼女を? 頭数が増えれば、それだけ誰かに見つかる可能性も上がるだろう」
「そうだけど、彼女は人魚族だ。だったら俺たちより、水については詳しいよ。彼女が役に立つことも、あるんじゃないかな」
その言葉に、フォルが振り返ってわたしをじっと見た。ううん、食い入るように見つめてくる。
「あの……そんなに見つめられると、照れます……」
フォルから目をそらして、ぽそぽそとつぶやく。それでようやく我に返ったらしく、フォルはこほんと咳払いをしていた。
「ニネミア、聞いての通りだ。その……僕の調査を、手伝ってはくれないか?」
「はい、もちろんです!」
やった、わたしもついていける。たぶん、フォルと一緒に飛べる。
……でも、目的地、あんまり遠くないといいなあ。フォルに無理はさせたくないし。
「あの、わたし、頑張りますから!」
浮かれた気分を隠せずにそう言ったら、フォルは照れ隠しらしい不機嫌な顔でうなずいた。
そしてアーエルが、やけに楽しそうに笑っている。彼はフォルに気づかれないように、よかったね、と口の形だけで答えていた。
わたしもフォルに気づかれないように、ちょっとだけ頭を下げた。
その日の夕暮れ頃、わたしはフォルに抱えられて屋敷から飛び立っていた。
いつぞや運び込まれたあの隠し部屋、そこには大きな煙突のような垂直の隠し通路が設けられている。
そこをまっすぐに上がると、屋敷の大屋根の上に出られる。翼のある天翼族だけが使える、秘密の通路だ。
万が一隠し身の魔法が解けてしまった場合に備えて、二人とも黒い服に着替えている。おそろいみたいで、なんだかくすぐったい。
森の陰になるところをそっと飛びながら、フォルがささやいてくる。
「時々休憩を入れながら飛ぶ。あと、隠し身の魔法は一見何もないように見せることができるが、音はごまかせない。そのつもりで、静かにしていてくれ」
「は、はいっ」
精いっぱい声をひそめて、彼の耳元で答える。あ、ぐらついた。
「……その、飛んでいる間はもう少し警戒を緩めても大丈夫だ。そこまで近づかなくてもいい」
最近すっかりおなじみになった、照れながらそっぽを向く彼。
初めて彼と顔を合わせた時は、彼のこんな姿を見ることができるなんて思いもしなかった。それに、彼に抱かれて空を飛ぶなんてことも。
落ちないようにしっかりとしがみつきながら、辺りを見渡す。もう三度目ということもあって、わたしもすっかり抱えられ慣れていた。
「ここも、すっかり水が涸れてますね……いったいどこまで、こうなってしまってるんでしょう?」
すぐそばにある、土と岩がむき出しになった大きなみぞのようなもの。ついこないだまで水が流れていた、川の名残だ。
「想像もつかない。今まで、こんなことはなかった。リトラーの当主たちが残した記録にも、こんな事態は書かれていなかったな」
「……何か普通じゃないことが起こっている、ってことですか?」
「ああ。……気をつけろ。君は水の中ではとても俊敏で、強い。だが陸の上では、ごくありふれた年頃の娘とそう違わない」
フォルはちょっと過保護かもしれない。わたしだって水や氷の魔法を使えば、それなりに身を守れる、と思う。人さらいの時みたいに不意打ちをくらわなければ。
そう主張しようかなと思った矢先、彼がさらに言葉を続けた。口ごもりながら、つっかえながら。
「……いざとなったら、僕が守る。何かが起こったらいつでも僕のところに逃げ込めるように、心がけておいてくれ」
「はい、分かりました」
けれどフォルに守ってもらえるという嬉しさのせいで、つい言いそびれてしまう。
まあいいか、危なくなったらまずフォルのところに逃げ込んで、その上で必要に応じて魔法を使おう。そうすれば問題なく、二人とも身を守れるし。
そうしてフォルに抱えられたまま、どんどん川をさかのぼっていく。どこまで行っても、水はない。
しばらく飛んで、川の近くの木陰に隠れて休憩する。もうすっかり暗くなっていたし隠し身の魔法も使っているけれど、一応用心のために。
「ここまでずっと、水がない、か……もしかすると、上流のほうで流れが変わったのだろうか。この川のほかに、新たな流れができていると考えれば……」
手頃な岩に腰かけて、フォルが首をかしげている。川のほうに身を乗り出して、ふんふんと匂いをかいでみた。
「もしそうだとしたら、新しい流れはここから遠いところにあると思います。この辺りからは、全然水の匂いがしません。一番近いのは……ここの上流です」
「そうなのか?」
「わたしたちは水の中で暮らす種族です。水の匂いをかぎわけるのは得意なんですよ」
ちょっぴり得意になって、胸を張る。そんなわたしの言葉を聞いて、フォルが笑った。とても晴れやかな笑顔に、思わず見とれてしまう。
「ありがとう、ニネミア。アーエルの言う通り、君を連れてきてよかった」
「あ、いえ、こちらこそ、連れてきてくれてありがとうございます」
真っ暗な中、黒い服を着たわたしたちは互いに感謝の言葉を投げ合って、微笑み合っている。
なんともおかしなこの状況が、なんだかとっても楽しかった。
それからさらに上流に向かって、川の分岐点にたどり着いた。リトラーの町を流れるあの川は、ここで他の川から枝分かれしたものなのだ。
しかし今、その分かれ目はなくなっていた。
二股に分かれている川の片方が、大量の土砂で埋め立てられていたのだ。水はその土砂を越えることができずに、もう一つの川のほうにまとめて流れてしまっていた。
片方の川をせき止めてしまった、真新しい土砂の壁。一瞬、自然にそうなったのかと思った。でも違う。これは間違いなく、人の手によるものだ。
「……人間は、どうしてこんなことをするんだろうな」
わたしを抱えたままのフォルが、押し殺したような声でつぶやいていた。わたしは何も答えることができずに、ただぎゅっと彼にしがみついていた。




