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地上を夢見る人魚姫は、仮面の伯爵様に恩返ししたい  作者: 一ノ谷鈴
第4章 みんなで手を取り合って
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26.もう一つの我が家

「おかえりなさい、ニネミア、伯爵様!」


 屋敷に戻ったわたしたちを、ヒルダが満面の笑みで出迎えてくれた。その隣には、貴族のような服を着たアーエル。こちらはなんだか、すっかり疲れ果てた顔だ。


「ああ、やっとフォルが戻ってきた……もうくたくただよ。やっぱり書類仕事ばかりってのは辛いなあ……」


 赤茶の髪をくしゃくしゃとかき回してぼやくアーエルに、すぐ後ろに控えたガートルードがすかさず反論する。


「アーエルは大水で被害を受けた現場を、積極的に視察していました。ですから、別に書類仕事ばかりではなかったと記憶していますが」


「そうですね。アーエル様、結構視察を楽しんでましたよね!」


「へえ」


 フォルが短く言い放つ。アーエルがきまりの悪そうな顔をして、斜め上に視線をそらした。


 そこに、ヒルダが明るく言葉を続ける。フォルにひるみそうになる思いよりも、うきうきした気分のほうが勝っているようだった。


「私も一緒に、空の散歩に連れていってもらいました! 楽しかったです!」


 その言葉に、フォルの眉間にくっきりとしわが浮かんだ。


「……おい、隠し身の魔法が使えないお前が、そんな軽率なことをしてどうする」


「ちゃんと月が隠れた夜を狙ったよ! ちょっとした気晴らしぐらい許してくれよ、フォル! 顔が怖いって」


 大あわてで一生懸命首を横に振るアーエルに、フォルは深々とため息をついている。


「……まあ、お前があの大水の後始末をしてくれていることは、見れば分かった。助かった、アーエル」


「ああ、やれるだけのことはやったから。……まだ仕事は山積みだけど、それでも当面の危機は乗り切ったよ」


 アーエルが苦笑しながら返すと、フォルは表情を消して目を糸のように細めた。


「……思っていたより復興は順調そうだな。これなら、もう少しゆっくりしてくるんだった。むしろ、このままリトラー伯の座を押しつけてしまえば……」


「いや、普通に困るよ。俺は隠し身の魔法が使えないから、雲の大地とこっちを行き来できる時間が限られる。下の世界にも興味はあるけれど、空のみんなと離れているのも、ね」


「僕はずっと離れている訳だが?」


 ふてぶてしい表情で目を細めるフォルを見ていると、ふわんと胸が温かくなるのを感じた。


 この二人のやり取りは、一見すると言い争っているように聞こえなくもない。でも二人の声は、妙に親しげだ。


 そういえばフォルは、ガートルードとアーエルくらいしか友達がいなかったって言ってたっけ。


 たぶんこれは、イルカの子供がじゃれ合っているようなものなのだろう。激しく噛みつき合っているように見えて、どちらも甘噛みでしかないあの感じ。


 可愛いなあ。ついつい、そんなことを思ってしまう。


「……ニネミア、顔、顔」


 ちょっぴり焦った様子で、ヒルダがこそこそと話しかけてくる。そっと横にそれて、二人で顔を突き合わせた。


「わたしの顔、どうかしたの?」


「緩んでるよ。あの二人が微笑ましいのはすっごく分かるけど、顔に出ちゃってる」


「ニネミアさんの気持ちも分かります。……あの二人は昔からずっとあんな感じで、私もつい温かく見守ってしまって……」


 そうしていたら、ガートルードもこちらへやってきて内緒話に加わった。


「さすがに二人ともいい年をした大人の男性ですし、澄ました顔でこっそりと見守るのが良いかと」


「あ、はい。……でもやっぱり、子イルカみたいで可愛い……」


「駄目だ、ニネミアがうっとりしちゃってる。ところでガートルードさん、あの二人の子供の頃を知ってるんですか?」


「はい。いわゆる幼なじみというものですから。年は私のほうが少し上ですが」


「今度、こっそり聞かせてもらえませんか?」


「わたしも聞きたいです!」


 女三人、声をひそめて話す。ふふ、楽しい。


「おい、聞こえているんだが」


「俺たちからすれば、君たちのほうがよっぽど愛らしいよ」


 そうしていたら、フォルとアーエルの声が割り込んできた。いつの間にか、二人はそろってこっちを見ていたのだった。


「お話は終わりましたか、ご主人様、アーエル。それでは、改めて執務の引継ぎをお願いします。帰宅して早々申し訳ありませんが、今は猫の手も借りたいくらいの状況ですから」


 ガートルードがさらりとそう言って、屋敷の奥のほうに向かって歩き出す。


「……少しくらい、休みたいんだが……」


「逃がさないよ、フォル。ここからは二人で執務を頑張ろう」


 さっきまで言い争っていた二人はそんなことを言い合うと、彼女の後を追って立ち去っていった。


「すごいなあ、ガートルードさん。一瞬おとなしくなった隙をついて、二人まとめて連れていっちゃった」


「わたしたちには、真似できないね……」


 取り残されたわたしとヒルダは、三人が去っていったほうに感心した目を向けていた。




 それから夕食までは、執務の引継ぎとか荷ほどきとかでばたばたしていた。海の城から持って帰った貝細工をみんなに配ったら、とっても喜んでくれた。


 オーセアンお父様とシーシアお母様は、フォルにも貝細工を贈ろうとした。でもフォルはそれを断っていたのだ。「貝細工ならもうもらいましたし、ニネミアを助けた礼は本人から受け取ります」と言って。


 わたしは最初、彼が何のことを言っているのか分からなかった。でも少しして、気がついた。


 助けてもらったお礼がしたいといって彼に贈った、貝のビーズの首飾り。元々わたしが首にかけていた首飾りから外したビーズでできた、お守りとしての意味もあるあれだ。


 そして、帰りの馬車の中でそっと聞いてみた。あの時の首飾り、まだ持っているんですか、と。


 彼はすぐにうなずいて、えりの中に指を差し込んだ。そうして、服の下に着けていたあの首飾りを見せてくれた。


 これは人魚族のお守りなのだろう。普通の貝細工より、ずっと珍しい。それに……君からもらったものだから、きちんと身に着けていたい。


 彼はちょっぴり照れながら、そう言っていた。


 寝る準備をしながら、そんなやり取りを思い出す。それだけで心が浮き立ってしまって、眠れそうにない。


 そうしていたら、こんこんという音がした。


「ねえ、ちょっといい? 話し足りなくって」


 ヒルダがそんなことを言いながら、私の部屋の扉を叩いていたのだった。


 ちなみに彼女は、わたしの隣の部屋で暮らしている。右隣がガートルードで、左隣がヒルダだ。


 もちろんよ、と答えて彼女を部屋に招き入れる。寝間着姿の彼女に椅子を勧めて、向かいの寝台に腰を下ろした。


「昼間から聞きたかったんだけど、東の海への旅はどうだった? 伯爵様が中々戻ってこないから、どうしたのかなってみんなで話してたの」


「あ、ええと……ちゃんと故郷には戻れたの。お父様とお母様にも会ってきたわ」


「うんうん、旅の目的はちゃんと果たせたんだね。あ、そうだ。あの貝飾りありがと! とっても素敵だった!」


「こちらこそ、喜んでもらえて嬉しいな。……それでね、フォルも海の城に来てもらったの。だから、フォルの帰りが遅くなってて……」


 そろそろと打ち明けると、ヒルダが身を乗り出してきた。


「あ、なるほど! 伯爵様、どうだった? ……というか、明らかに仲良くなってるよね、あなたたち」


「えっと、そう見える?」


「もちろん。だって、伯爵様がすっごく優しい表情をしてるもの。特に、あなたを見ている時は。あなたはあなたで、遠慮なく伯爵様に笑いかけるようになったし」


 さすがヒルダ、よく見ているなあ。


「ねえねえ、何かあったでしょ? 変わったこと、素敵なこと。教えてよ」


 さらに食い下がるヒルダに、どこから話したものかと考えをめぐらせる。そして、ひらめいた。


 寝台の横にある小さなタンスの引き出しを開けて、大切にしまいこんでいたものを取り出す。ヒルダが顔を寄せて、じっと見入っていた。


「これ、鳥の羽根……にしては大きいね。それに、きらきらしてる……あ、もしかして?」


「フォルの羽根。彼にもらったの。わたしが喜ぶだろうって言ってた」


「そうなんだ。ふうん、あなたを喜ばせるため、かあ。……でも、もっと特別な感じがしない? 絶対に、何か事情があると思う」


「……実は、わたしもそんな気がしてた」


「やっぱり? だよね。気になるなあ……今度、そっと聞いてみない?」


「気になるけど、まだちょっと早い気がするの。様子を見ながら、そのうち聞いてみようかなって……」


「ふふ、そうだね。報告、楽しみにしてるよ」


 そうやって盛り上がっていたら、また扉がこんこんと叩かれた。


「ニネミアさん、あなたのハンカチが落ちていました」


 ハンカチを手にして顔を出したガートルードが、わたしが手にしたままの白い羽根を見て凍りつく。やがて、かすかな声が彼女の唇からもれた。


「……フォルの、羽根……?」


 よほど驚いているらしく、彼女は目を真ん丸にしている。その拍子に、銀縁眼鏡がちょっとずれた。しかも『フォル』って言った。普段は立場に合わせて『ご主人様』って呼んでるのに。


「もらったんです。本人から」


「そうでしたか……彼が、ついに羽根を……」


「あの、ガートルードさん、話が見えません……」


 彼女の驚きっぷりは普通ではない。つまり、わたしがこの羽根を手にしていることは、それだけ普通ではないことなのだと思う。


 上目遣いに様子をうかがっていたら、ガートルードがすっと背筋を伸ばして口を開いた。


「あなたはその羽根の意味をまだ聞いていないのですね。でしたら、私からは何も言えません。それを大切にしていてください。いずれ、フォルの口から語られるでしょう」


 それだけ言い残して、彼女はハンカチを置いてすぐに出ていく。そうとう動揺しているのか、出がけに、床石にちょっと蹴つまずいていた。


「……珍しいもの、見ちゃったかも」


「そうだね。ガートルードさんがあんなにあわててるの、初めて見た……」


 そうしてまた私たちは、ぽかんと扉を見つめることになったのだった。


 フォルの羽根には、やっぱり何か意味があるらしい。そんな確信だけを抱いて。

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