26.もう一つの我が家
「おかえりなさい、ニネミア、伯爵様!」
屋敷に戻ったわたしたちを、ヒルダが満面の笑みで出迎えてくれた。その隣には、貴族のような服を着たアーエル。こちらはなんだか、すっかり疲れ果てた顔だ。
「ああ、やっとフォルが戻ってきた……もうくたくただよ。やっぱり書類仕事ばかりってのは辛いなあ……」
赤茶の髪をくしゃくしゃとかき回してぼやくアーエルに、すぐ後ろに控えたガートルードがすかさず反論する。
「アーエルは大水で被害を受けた現場を、積極的に視察していました。ですから、別に書類仕事ばかりではなかったと記憶していますが」
「そうですね。アーエル様、結構視察を楽しんでましたよね!」
「へえ」
フォルが短く言い放つ。アーエルがきまりの悪そうな顔をして、斜め上に視線をそらした。
そこに、ヒルダが明るく言葉を続ける。フォルにひるみそうになる思いよりも、うきうきした気分のほうが勝っているようだった。
「私も一緒に、空の散歩に連れていってもらいました! 楽しかったです!」
その言葉に、フォルの眉間にくっきりとしわが浮かんだ。
「……おい、隠し身の魔法が使えないお前が、そんな軽率なことをしてどうする」
「ちゃんと月が隠れた夜を狙ったよ! ちょっとした気晴らしぐらい許してくれよ、フォル! 顔が怖いって」
大あわてで一生懸命首を横に振るアーエルに、フォルは深々とため息をついている。
「……まあ、お前があの大水の後始末をしてくれていることは、見れば分かった。助かった、アーエル」
「ああ、やれるだけのことはやったから。……まだ仕事は山積みだけど、それでも当面の危機は乗り切ったよ」
アーエルが苦笑しながら返すと、フォルは表情を消して目を糸のように細めた。
「……思っていたより復興は順調そうだな。これなら、もう少しゆっくりしてくるんだった。むしろ、このままリトラー伯の座を押しつけてしまえば……」
「いや、普通に困るよ。俺は隠し身の魔法が使えないから、雲の大地とこっちを行き来できる時間が限られる。下の世界にも興味はあるけれど、空のみんなと離れているのも、ね」
「僕はずっと離れている訳だが?」
ふてぶてしい表情で目を細めるフォルを見ていると、ふわんと胸が温かくなるのを感じた。
この二人のやり取りは、一見すると言い争っているように聞こえなくもない。でも二人の声は、妙に親しげだ。
そういえばフォルは、ガートルードとアーエルくらいしか友達がいなかったって言ってたっけ。
たぶんこれは、イルカの子供がじゃれ合っているようなものなのだろう。激しく噛みつき合っているように見えて、どちらも甘噛みでしかないあの感じ。
可愛いなあ。ついつい、そんなことを思ってしまう。
「……ニネミア、顔、顔」
ちょっぴり焦った様子で、ヒルダがこそこそと話しかけてくる。そっと横にそれて、二人で顔を突き合わせた。
「わたしの顔、どうかしたの?」
「緩んでるよ。あの二人が微笑ましいのはすっごく分かるけど、顔に出ちゃってる」
「ニネミアさんの気持ちも分かります。……あの二人は昔からずっとあんな感じで、私もつい温かく見守ってしまって……」
そうしていたら、ガートルードもこちらへやってきて内緒話に加わった。
「さすがに二人ともいい年をした大人の男性ですし、澄ました顔でこっそりと見守るのが良いかと」
「あ、はい。……でもやっぱり、子イルカみたいで可愛い……」
「駄目だ、ニネミアがうっとりしちゃってる。ところでガートルードさん、あの二人の子供の頃を知ってるんですか?」
「はい。いわゆる幼なじみというものですから。年は私のほうが少し上ですが」
「今度、こっそり聞かせてもらえませんか?」
「わたしも聞きたいです!」
女三人、声をひそめて話す。ふふ、楽しい。
「おい、聞こえているんだが」
「俺たちからすれば、君たちのほうがよっぽど愛らしいよ」
そうしていたら、フォルとアーエルの声が割り込んできた。いつの間にか、二人はそろってこっちを見ていたのだった。
「お話は終わりましたか、ご主人様、アーエル。それでは、改めて執務の引継ぎをお願いします。帰宅して早々申し訳ありませんが、今は猫の手も借りたいくらいの状況ですから」
ガートルードがさらりとそう言って、屋敷の奥のほうに向かって歩き出す。
「……少しくらい、休みたいんだが……」
「逃がさないよ、フォル。ここからは二人で執務を頑張ろう」
さっきまで言い争っていた二人はそんなことを言い合うと、彼女の後を追って立ち去っていった。
「すごいなあ、ガートルードさん。一瞬おとなしくなった隙をついて、二人まとめて連れていっちゃった」
「わたしたちには、真似できないね……」
取り残されたわたしとヒルダは、三人が去っていったほうに感心した目を向けていた。
それから夕食までは、執務の引継ぎとか荷ほどきとかでばたばたしていた。海の城から持って帰った貝細工をみんなに配ったら、とっても喜んでくれた。
オーセアンお父様とシーシアお母様は、フォルにも貝細工を贈ろうとした。でもフォルはそれを断っていたのだ。「貝細工ならもうもらいましたし、ニネミアを助けた礼は本人から受け取ります」と言って。
わたしは最初、彼が何のことを言っているのか分からなかった。でも少しして、気がついた。
助けてもらったお礼がしたいといって彼に贈った、貝のビーズの首飾り。元々わたしが首にかけていた首飾りから外したビーズでできた、お守りとしての意味もあるあれだ。
そして、帰りの馬車の中でそっと聞いてみた。あの時の首飾り、まだ持っているんですか、と。
彼はすぐにうなずいて、えりの中に指を差し込んだ。そうして、服の下に着けていたあの首飾りを見せてくれた。
これは人魚族のお守りなのだろう。普通の貝細工より、ずっと珍しい。それに……君からもらったものだから、きちんと身に着けていたい。
彼はちょっぴり照れながら、そう言っていた。
寝る準備をしながら、そんなやり取りを思い出す。それだけで心が浮き立ってしまって、眠れそうにない。
そうしていたら、こんこんという音がした。
「ねえ、ちょっといい? 話し足りなくって」
ヒルダがそんなことを言いながら、私の部屋の扉を叩いていたのだった。
ちなみに彼女は、わたしの隣の部屋で暮らしている。右隣がガートルードで、左隣がヒルダだ。
もちろんよ、と答えて彼女を部屋に招き入れる。寝間着姿の彼女に椅子を勧めて、向かいの寝台に腰を下ろした。
「昼間から聞きたかったんだけど、東の海への旅はどうだった? 伯爵様が中々戻ってこないから、どうしたのかなってみんなで話してたの」
「あ、ええと……ちゃんと故郷には戻れたの。お父様とお母様にも会ってきたわ」
「うんうん、旅の目的はちゃんと果たせたんだね。あ、そうだ。あの貝飾りありがと! とっても素敵だった!」
「こちらこそ、喜んでもらえて嬉しいな。……それでね、フォルも海の城に来てもらったの。だから、フォルの帰りが遅くなってて……」
そろそろと打ち明けると、ヒルダが身を乗り出してきた。
「あ、なるほど! 伯爵様、どうだった? ……というか、明らかに仲良くなってるよね、あなたたち」
「えっと、そう見える?」
「もちろん。だって、伯爵様がすっごく優しい表情をしてるもの。特に、あなたを見ている時は。あなたはあなたで、遠慮なく伯爵様に笑いかけるようになったし」
さすがヒルダ、よく見ているなあ。
「ねえねえ、何かあったでしょ? 変わったこと、素敵なこと。教えてよ」
さらに食い下がるヒルダに、どこから話したものかと考えをめぐらせる。そして、ひらめいた。
寝台の横にある小さなタンスの引き出しを開けて、大切にしまいこんでいたものを取り出す。ヒルダが顔を寄せて、じっと見入っていた。
「これ、鳥の羽根……にしては大きいね。それに、きらきらしてる……あ、もしかして?」
「フォルの羽根。彼にもらったの。わたしが喜ぶだろうって言ってた」
「そうなんだ。ふうん、あなたを喜ばせるため、かあ。……でも、もっと特別な感じがしない? 絶対に、何か事情があると思う」
「……実は、わたしもそんな気がしてた」
「やっぱり? だよね。気になるなあ……今度、そっと聞いてみない?」
「気になるけど、まだちょっと早い気がするの。様子を見ながら、そのうち聞いてみようかなって……」
「ふふ、そうだね。報告、楽しみにしてるよ」
そうやって盛り上がっていたら、また扉がこんこんと叩かれた。
「ニネミアさん、あなたのハンカチが落ちていました」
ハンカチを手にして顔を出したガートルードが、わたしが手にしたままの白い羽根を見て凍りつく。やがて、かすかな声が彼女の唇からもれた。
「……フォルの、羽根……?」
よほど驚いているらしく、彼女は目を真ん丸にしている。その拍子に、銀縁眼鏡がちょっとずれた。しかも『フォル』って言った。普段は立場に合わせて『ご主人様』って呼んでるのに。
「もらったんです。本人から」
「そうでしたか……彼が、ついに羽根を……」
「あの、ガートルードさん、話が見えません……」
彼女の驚きっぷりは普通ではない。つまり、わたしがこの羽根を手にしていることは、それだけ普通ではないことなのだと思う。
上目遣いに様子をうかがっていたら、ガートルードがすっと背筋を伸ばして口を開いた。
「あなたはその羽根の意味をまだ聞いていないのですね。でしたら、私からは何も言えません。それを大切にしていてください。いずれ、フォルの口から語られるでしょう」
それだけ言い残して、彼女はハンカチを置いてすぐに出ていく。そうとう動揺しているのか、出がけに、床石にちょっと蹴つまずいていた。
「……珍しいもの、見ちゃったかも」
「そうだね。ガートルードさんがあんなにあわててるの、初めて見た……」
そうしてまた私たちは、ぽかんと扉を見つめることになったのだった。
フォルの羽根には、やっぱり何か意味があるらしい。そんな確信だけを抱いて。




