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地上を夢見る人魚姫は、仮面の伯爵様に恩返ししたい  作者: 一ノ谷鈴
第3章 人魚族と、人間と、そして
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25.白い翼と桜貝色の尾

 わたしが、初めて。フォルは瑠璃色の目でまっすぐにわたしを見つめて、はっきりとそう言い切った。


「あの頃、僕は君のことを人間だとばかり思っていた。けれど君への興味は、人間への嫌悪を超えた」


「わたしへの、興味……」


 突然の言葉に驚いてしまって、頭がうまく動かない。ぼんやりとつぶやくわたしに、フォルはさらに言葉をかけてくる。


「そうだ。自分をさらった相手におびえるそぶりすら見せずに、得体の知れない初対面の僕にあっさり助けを求める。よくもまあ、この年まで無事に生きられたものだと思った」


 ……えっと、褒められてはいないような気がする。


「そして仕方なく雇ってみたら、家事一つまともにこなせない。僕にとって君は、とにかく謎だった。何もかもが分からなかった」


「そういえば、前はよく『分からない』って言ってましたね……」


「君と会っていると、君のことを考えると、ひたすらに困惑してしまうんだ。分からない、知りたい、近づきたい。そんな思いが次々とあふれ出てきて」


 彼はこちらを見て、目を細めた。夜空のような黒い髪が、風にあおられてふわりとなびく。


「どうしてこんな風に思うのか、結局答えは出なかった。そうして僕は、人間だと思っていた君に素顔を見せ、名を明かした」


 そこで彼は、急に視線をそらしてしまう。気のせいか、照れているようにも見えた。


「……君に『フォラータ様』と呼ばれた時、違うって思ったんだ。アーエルやガートルードみたいに、ただ『フォル』とだけ呼んで欲しいと思った」


「……そうやってあなたが歩み寄ってくれたのが、とても嬉しかったです」


 なんだか、フォルがやたらとまぶしく見える。急にくすぐったくなってしまって、小さく頭を下げる。わたしの長い水色の髪も、彼の髪と同じように風に揺れていた。


「それでわたし、もっともっとあなたと話したい、あなたを知りたいって思うようになって……だからこうして、海の城に誘ってみたんです」


「だったら、勇気を出して歩み寄ってよかった、ということか。あそこでの体験は、とても得難いものだったから」


「わたしも、こうやって雲の上に連れてきてもらえてよかったです。……その、ちょっとだけ……高くて怖いですけれど」


「心配するな。もし落ちたら、僕が助けてやる」


「それは頼もしいです。……って、そもそも落ちないように気をつけます」


 そんなことを話しているうちに、ようやくぎこちない空気が消えてくれた。フォルもすっかりいつも通りに、朗らかに笑っている。


「……それで、君が人魚族だと判明した時」


 穏やかに微笑んで、フォルがまた話を元に戻した。


「不思議なことに、僕が最初に思ったのは『もっと君のことを知りたい』ということだった。以前の僕なら『人間じゃなくてよかった』と安堵のため息の一つもついていそうなのにな」


「わたしたち、同じなのかもしれませんね。お互いを知りたくて、近づいていって」


「そう、だな」


 ふっと、静けさが訪れる。どちらからともなく、口を閉ざしていた。自然と、フォルの目を見つめてしまう。ううん、彼から目が離せないんだ。


 どんどん鼓動が速くなっていく。でもそれが、嫌じゃない。


 ……ああ、そうか。わたし、フォルのことが好きなんだ。


 ようやく、そのことに気がついた。思い返せば、わたしはずっと前から彼のことが好きだったんだ。自分で気づいていなかっただけで。


 フォルにお礼がしたいって頑張ったのも、彼が東の海までついてきてくれて嬉しかったのも、一生懸命彼を海の城に誘ったのも、人魚族のみんなに彼が囲まれてたのがどうにも落ち着かなかったのも、全部そのせいだ。


 たぶん、ヒルダはすぐにこの気持ちを見抜いてたんだろうな。わたしが伯爵様にお礼がしたいって相談した時、彼女は思わせぶりに笑っていたから。


 自覚してしまったら、とたんに照れ臭くなってしまった。でもやっぱり、目がそらせない。何だか、顔が熱い。


 どうしようと困っていたら、フォルがそっと身を乗り出してきた。え、あっ、何だろう。


 気が動転してやはり動けないわたしの手を、フォルがそっと握った。わたしの両手を、まとめて包み込むように。


 そして次の瞬間、彼はその大きな翼でわたしをすっぽりと包み込んだ。青い空の世界が、白い翼の世界になる。


「……ニネミア。僕は……たぶん君に、通常の興味以上の感情を抱いている。どうしてそんな風に思うようになったのかは、分からない。たぶん僕にとって君は、永遠の謎だ」


「は、はいっ」


 フォルの顔が近い。それなのに目が離せない。そして彼は、やけに熱っぽく語りかけてくる。


「だからどうか、これからも僕の……近くにいて欲しい。もし君がいなくなってしまったら、きっと僕は寂しくなってしまう、そんな気がする」


「あの、その、喜んで。……というかわたし、まだ恩を返し切ってませんし」


「恩返しというのなら、君がいてくれることが一番の恩返しだ。金銭なんて気にするな」


 さらにフォルが近づいてくる。そろそろおでこがぶつかりそうだ。


「君が僕の屋敷で働いてくれるというのなら、僕の身の回りの世話を担当してもらうのもいいかもしれないな。ガートルードの負担も減らせるし、もっと気軽に君と話せる」


 そこまで一気に言って、ふとフォルが動きを止めた。視線をそらして難しい顔になり、小声で何事かつぶやいている。


「……違う、そうじゃない……メイドと主としてではなくて、だな……」


「あの、フォル?」


 戸惑いながらそっと声をかけると、フォルは弾かれたようにこちらを見た。その浅黒い頬が、みるみるうちに赤く染まっていく。


「あ、ああ! すまない、少し考え事をしていた。……そうだ」


 今度は急に真顔になって、フォルが自分の翼に手を伸ばす。そうして、端のほうに生えていた小さな羽根を一枚引き抜いた。


「……これを、受け取ってくれないか。君に持っていて欲しい」


 突然のことに、目を丸くして羽根を受け取る。純白のそれは、よく見ると真珠のように輝いていた。すごく綺麗だ。


「うわあ、素敵……ありがとうございます。だったら、わたしも」


 ワンピースのポケットを探って、目的のものを取り出す。小さな袋の中身は、桜貝色の小さなうろこ。本物の桜貝に似ているけれど、もっと光沢があって硬い。


「これ、どうぞ。わたしのうろこなんです」


「とても見事だが……うろこをはがして大丈夫なのか? それとも、自然に抜け落ちる……ということだろうか」


「自分ではがすんですけど、ちょっとちくっとするだけですし、またすぐに次のうろこが生えてきます。事情があって、はがしておいたんです」


 人魚族の若者は、思い人に自分のうろこを贈る。相手からもうろこをもらうことができれば、晴れて恋人同士になるのだ。


 わたしはまだ誰かに贈るつもりはなかったのだけれど、昨夜シーシアお母様が「あなたも年頃なのですし、うろこの用意だけしておいてもいいのではないかしら」と提案してきたのだ。


 まさか、こんなにすぐに渡すことになるなんて。……たぶんお母様も、ヒルダと同じでわたしの気持ちに気づいていたんだろうな。だから、地上に戻りたいというわたしを止めなかったのかも。


「ありがとう。大切にする」


 そう言って、フォルはうろこを大切にしまい込んだ。


 さっき、フォルから羽根をもらってしまった。もし彼が人魚族なら、これで恋人同士に……となるだろう。でも、そのことは内緒だ。


 わたしは彼のことが好きだって気づいたけれど、彼がわたしのことをどう思っているのかはまだはっきりしていないし。仲良くなれたのは確かだから、ここから頑張ろう。


「ところで、どうしてフォルは羽根をくれたんですか」


 何の気なしにそう尋ねると、フォルがまた真っ赤になった。そうして、いきなり私を抱き寄せてきた。


 彼の腕と彼の翼にすっぽりと包まれて、暖かくて心地よい。


 それはそうとして、どうして抱きしめられているんだろう? 人魚族の感覚で言えば、親愛とか恋慕とかそんな感じになるんだけど、天翼族はどうなのかな。


 その問いを口にするより先に、フォルの焦ったような声が聞こえてきた。


「羽根を渡したのは、そう……だな。その、あれだ。ただの気まぐれだ。君が喜ぶと思った、それだけだ」


 こんなにあわてていたら、何か別の意味があるのだろうなと思ってしまう。フォル、隠し事は下手なのかも。


 でも、彼をこれ以上困らせるつもりもなかった。だから彼の胸にそっと寄り添って、小声でつぶやいた。


「……わたし、幸せです」


 彼はわたしをぎゅうっと抱きしめたまま、何も言わなかった。ただ、きっと彼は微笑んでいるのだろうなと、そう思った。

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