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地上を夢見る人魚姫は、仮面の伯爵様に恩返ししたい  作者: 一ノ谷鈴
第3章 人魚族と、人間と、そして
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24.フォルの思い出語り

「時間ですか? はい、もちろんです」


 即座にそう答えると、フォルは明らかにほっとした顔をした。


「そうか。……では、失礼する」


 言うが早いか、彼はわたしを抱え上げた。わたしに向かい合い、膝と腰に手を回すようにして、しっかりと抱えている。


 見た目は細いのに、意外と力が強い。じゃなくて、どうしていきなり抱きしめてきたんだろう。


 びっくりして、心臓がどきどきしている。その音が大きすぎて、波の音が聞こえない。


「あの、フォル、これってどういう」


「動かないでくれ」


 え、と首をかしげていたら、彼の背に大きな翼が現れた。真っ白で、風切羽だけがさわやかな空の色で。


 わたしはフォルと向かい合うように抱きかかえられているので、彼の翼がよく見える。


 見とれていたら、翼がふわりと動いた。次の瞬間、体が宙に浮く。


「君が海の城に誘ってくれたおかげで、貴重な体験ができた。その礼をしたい」


 どうやら彼は、わたしをどこかに連れていこうとしているらしい。それがどこなのか楽しみではあるし、こうやって飛ぶのも面白い。


 でも、それとは別に問題が。


「このまま高く上がっていったら、海辺の町の人たちに見えちゃいませんか?」


 わたしたちがいた海岸は、町のすぐそばにある。フォルはそこからまっすぐ上に飛んでいた。


 そしてあっという間に、結構な高さにまで上がってしまっている。今わたしたちは、少し離れたところに見えている町を見下ろしていた。


「大丈夫だ。知っての通り、僕は隠し身の魔法が使える。人間たちに見られるようなへまはしない」


「それでも、落ち着きません……」


「僕を信じろ」


 力強いその言葉に、またどきりとする。慣れない空中にいるせいで、調子が狂ってしまっているのかもしれない。さっきから、どきどきしっぱなしだ。


 落ちないようにフォルにしがみつきながら、無言で運ばれていく。そうしていたら、あることに気がついた。


 時々、フォルがよろめいているのだ。


 前に大水から助けてくれた時は、そう長く飛んではいなかった。だから気づかなかったのだけれど、長時間わたしを抱えて飛ぶのは、彼には負担になっているらしい。


 でも、それを言ってしまっていいのだろうか。彼はわたしにお礼をしようとして頑張っているのだし、そこに水を差すのも悪い。


 一応、落ちちゃった時のために心の準備だけしておこう。


 ちょうど今は海の真上を飛んでいる。わたしたちは無人島の崖で遊ぶこともあるから、飛び込みならできる。陸に上がって崖まで歩き、飛び降りながら足を尾に戻すのだ。


 もっとも、こんな高さから飛び込んだことはないけれど。たぶん、人魚族の最高記録になると思う。


 などと考えていたら、フォルが速度を落とした。わたしたちの周りに漂っている雲に手をかざしたと思ったら、いきなりその上に腰を下ろしてしまったのだ。


「えっ、雲って座れるものなんですか!?」


「本来なら、雲には触ることすらできない。霧と似たようなものだ。だが天翼族の雲の魔法を使えば、このように十分な強度を得られる。柔らかいが、鋼と同じくらいに強い」


 そして彼は、自分の隣にわたしを座らせる。ふわふわと柔らかくて、でもしっかりと体重を支えてくれる。寝床にしたら、とっても気持ちよく眠れそう。


「わあ……ふかふか……それに高くて……いつも下から見ていた雲に座れるなんて、とっても素敵な体験です。楽しいお礼、ありがとうございました」


 雲に触れて、何もない空を見て、それから恐る恐る下の海をのぞき込んで。


 前にフォルに運んでもらった時は嵐の中だったし、こんな風に落ち着いて空の景色を楽しんだのは初めてだ。


 感謝の気持ちを込めて笑いかけたのだけれど、なぜかフォルの顔はひどく暗かった。


「いや、本当は……君に、雲の大地を見せたかった。でも駄目だな、僕は。あそこまで届かなかった」


 そう言って、彼は顔を上げる。その視線の先には、気持ちよく晴れ渡った青空が広がっていた。


「君も気づいていただろう。僕の翼は弱い。短時間ならまだしも、長い間誰かを抱えて飛ぶことはできない」


 いつになく沈んだその声に、あわてて言葉を探す。どうにかして元気になって欲しいと、そう思ったのだ。


「弱いなんて、思いませんけど……こんなに高くまで、わたしを連れてきてくれたのに。あ、もしかして、わたしが重かったとか」


「君は軽い。見た目よりずっと軽くて、心配になるくらいに」


 わたしの必死の言葉は、けれどフォルには届かなかったようだ。彼はさらりと言い返して、静かに続けた。


「僕たち天翼族は、雲の大地に住んでいる。ここよりもさらに高いところにある、雲でできた空の上の大地だ」


 今いる雲の上でも、十分すぎるくらいに高いと思う。これより上で暮らすなんて、どんな気分なんだろう。


 周囲にはただ雲だけで、上にはぎらぎらと輝く太陽。下には一面の海。遠くのほうに、陸がかすかに見えている。これが、フォルたち天翼族が見ている世界なのかな。


「けれど必要なものを調達したりするために、僕たちは時折地上に降りてくることもある」


 じっと黙って、彼の言葉に耳を傾ける。


「……普通の天翼族なら、雲の大地と地上を、荷を担いだまま往復するくらいたやすい」


 口惜しそうに、彼はそうつぶやく。こちらを見ないまま。


「それこそアーエルなら、君とガートルードを二人抱えて空の上まで連れていくことだってできる。あいつの翼は、一族の中でもとびきり強いから」


 アーエルのおっとりとした笑顔を思い出す。やけに楽しげにフォルをからかっていた姿や、窓の外に見た赤い風切羽の人の姿も。


「けれど僕の翼は、とにかく弱かった。小さい頃は数秒浮いていることすら難しくて、他の子供たちの遊びにも加われなかった」


 寂しそうな彼の声に、何も言えない。励ましたいのに。


「アーエルの翼は強い。でも彼は隠し身の魔法が使えない。僕は隠し身の魔法が使えるし、利発だと言われていた。でも僕の翼は弱い」


 明るい空の上、彼の暗い声が静かに広がって、どこにも響くことなく消えていく。


「そんな風に、それぞれに得手不得手がある。だから引け目を感じることはない。天翼族は合理的に、冷静に考えることをよしとする種族だから、僕にも分かってはいた」


 そんな言葉を聞いていると、悲しくなった。彼は分かってはいるけれど、心から納得してはいない。そう悟ってしまったから。


「でも、それでも……どことなく、同世代の子供たちとの距離を感じずにはいられなかった」


「それは、普通のことです。わたしが同じような立場だったら、きっと一人になりたいって、みんなと一緒にいるのが辛いって、そう思ってしまいます」


「……ああ。そう言ってもらえて嬉しい。こんな悩み、天翼族には相談しづらかったから」


 思わず口を挟んだ私に、フォルは切なげな笑みを返してくる。


「君が言ったように、子供の僕は一人になることを選んでいた。そして書庫にこもり、天翼族の歴史や地上でのできごとが記された書物を読みふけるようになっていたんだ」


 静かに話していた彼が、急に肩をこわばらせる。感情の抜け落ちたような声で、短く言った。


「そうして僕は、人間嫌いになった」


 さっきまでとはまるで違う、何もかもを拒むようなその声音に、ぎゅっと両手をにぎりしめる。


「人間たちときたら、まともな倫理観も持ち合わせず、残忍で強欲で」


 遥か下をにらみつける彼の横顔には、はっきりとしたいら立ちが浮かんでいた。


「それなのに、どういう因果か僕がリトラー家の次の当主に決まってしまった。隠し身の魔法に長けていること、そして知力に優れること。そんなことが評価されたらしい」


 ほんの少し早口になりながら、彼はどんどん話していく。


「そのことは嬉しかった。でも、やはり納得いかなかった。だから長たちに食ってかかったんだ。僕は地上でなんか、人間たちの中でなんか暮らしたくはないって」


 フォルは一気にそう言って、それから深々とため息をついた。


「しばらくごねてもめて、結局僕はガートルードと一緒に地上に降りることになったんだ」


「そういえば、彼女は天翼族の血を引いているんですよね」


「ああ。彼女は幼い頃に両親を亡くして、天翼族の祖母と共に雲の大地に移住してきたんだ。僕たちは混血であっても、等しく同胞として扱うからな」


「それと、どうもかなり長い付き合いのような……」


「幼なじみ、といえばいいのだろうか。彼女はずっと、孤立していた僕を心配してくれていた。僕にとって友人と呼べるのは、彼女とアーエルくらいだったんだ」


 こわばっていた彼の横顔から、少しだけ力が抜ける。


「……そうして、僕はしぶしぶリトラー伯爵として暮らし始めた。せめてもの抵抗として、あの仮面を着けて」


 その声は、幾分か和らいでいた。そのせいか、今の彼はすねた子供のようにも見えてしまう。


「やがて、分かってきた。確かに、天翼族の書物に記されているような卑劣な人間は存在する。だが、人間の全てがそうではない、と」


 悔しそうに、彼は目を伏せる。


「……いや、本当はずっと前から、気づいていた。もし全ての人間が下劣であったとしたら、僕たち天翼族がそこに交ざって暮らすことなど不可能だから」


 やっぱり彼は、分かっていたんだ。人間嫌いなのに、人間のふりをしていたわたしに親切にしてくれたし、ヒルダのこともちゃんと助けてくれた。


「それでも僕は、人間嫌いという姿勢を崩せずにいた。人間の全てが悪い訳ではない。けれど、どす黒い側面を目にすることもあった。だからずっと、仮面を着けたままでいた」


 そこまで話したところで、彼は言葉を切った。それからまっすぐに、わたしを見つめる。


「……天翼族以外で、素顔を見せてもいいと思えたのは、君が初めてだった」

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