21.人魚族はお人好しで
そうしてわたしたちは、城の食堂にやってきた。
そこではオーセアンお父様とシーシアお母様が、わたしたちを待っていた。二人とも既に席についていて、こちらにとびきりの笑顔を向けてくる。
「おお、よく来てくれた。二人とも、まずは座ってくれ」
「あらニネミア、着替えたのですね。お気に入りの、取っておきのドレスに」
「お、お母様、それは内緒!」
あわててお母様の言葉を遮ると、隣のフォルが首をかしげた。
「どうして内緒なんだ? わざわざ着替えると君が言い出した時は少し戸惑ったけれど、そのドレスはとてもよく似合っている。取っておきだというのも分かるな」
そう言われてしまって、言葉に詰まる。嬉しいのと、くすぐったいのとで。
フォルをもてなすのなら、わたしも精いっぱい着飾りたい。そう思って、自室を出る前に大急ぎで着替えたのだ。
深海の青色のワンピースの上から、浅瀬の青緑色をした薄い布をひらひらと重ねた、とても優雅なドレス。一番のお気に入りで、特別な日にだけ着ることにしているものだ。
浅瀬の青緑は、わたしの目の色だ。そして着替えてから気づいたのだけれど、深い深い青は、フォルの目の色に似ている。そう考えたら、ちょっとくすぐったくなってしまった。
そうやって着替えたわたしを見たフォルは、特に何も言わなかった。ただ失礼にならない程度に、わたしをちらちら見続けていたけれど。
彼はどう思っているのかな、急に着飾ったりして不審に思われたかな。そんな風にそわそわしながら、ここまでやってきたのだ。
そんなところにいきなりまっすぐな褒め言葉をもらってしまったからか、どきどきしてしまってどうしようもない。
お礼を言うのも違うような気がするし、かといって何も言わないのもおかしい気がするし。
「と、とにかく座りましょう、フォル!」
結局そんなことしか言えない自分が、ちょっと歯がゆかった。こっそりとため息をつきながら、すとんと椅子に腰を下ろす。
そんなわたしたちを見守っていたお父様が、とてもにこやかに言った。
「さて、それではささやかながら、フォル殿をもてなしたいと思う。しかしなにぶん、急なことなのでな。ひとまずは私とシーシア、それにニネミアとの会食の場を設けさせてもらった。構わなかっただろうか、フォル殿?」
「はい。もとより私は、ニネミアに誘われてここまで来ただけの者です。もてなしていただけることを、ありがたく思います」
フォルはいつもよりずっと丁寧に話している。彼がお父様やお母様のことをどう思っているのかは、冷静そのものの横顔からはうかがい知れなかった。
仲良くなってくれるといいな。そう願いながら、三人を順に見た。今のところ、和やかな空気が漂っている気がする。
ほっとしていたら、世話係たちがしずしずと歩いてきた。手に持っているのは、盃と酒の瓶。
うっかり転ばないように、とても集中しているのが見て取れる。わたしたちって、歩くのはあまり得意じゃないし。
そうして、人魚族特製のお酒で乾杯する。地上では見たことのない、優しい口当たりの弱いお酒だ。
このお酒の材料は、南の無人島の海辺にたくさん生えている大きな木の樹液だ。木の先のほうについている花を切り落とし、樹液を集めて保存すると、とろりとした白いお酒ができるのだ。
そんなことを考えながら、手の中の杯に視線を落とす。空気の中で飲むせいか、いつものものより香り高いように思えた。
いつもは、飲み食いするものにも水の魔法を使って、海水と混ざらないようにしているのだ。なぜか水の中でも普通に呼吸できるわたしたちだけれど、さすがに海水をそのまま飲んだら塩辛くてたまらないから。
「……一つ、聞いてもいいでしょうか」
そうやって乾杯が終わった時、フォルが静かに言った。お父様が、ゆったりとうなずいている。
「あなたがたは、私のことを『ニネミアの恩人』としか聞いていません。どうして、その言葉をそのまま信じてしまえるのでしょうか」
フォルはどうして、そんなことを言い出したのだろう。お父様とお母様も、二人そろってきょとんとしている。
そんな二人を見て、今度はフォルが驚いたような顔をした。
「私は、人間に交ざり、人間のふりをして暮らしています。人間がどれだけ卑劣で、あくどいことをしてのけるか知っています」
けれど彼はすぐに目を細めて、恐ろしく冷ややかな声で続ける。
「例えば……地上について何も知らない無垢なニネミアを言葉巧みにだまし、味方につけてここまで案内させる。人間であれば、それくらいのことをしてもおかしくはありません」
そこまで言って、フォルは小さく息を吐いた。
「他者を疑うことのない純真さは、人魚族の美徳なのでしょう。ですが同時に、それは危うさでもあります。私はニネミアと接してきて、そう感じました」
そうして、食堂は静まり返ってしまった。お父様とお母様は、とても静かな目でフォルを見つめている。後ろに控えた世話係たちも、おろおろしながら無言で目を見かわしていた。
食堂は、すっかり静まり返っていた。
「……ありがとうございます」
自然と、そんな言葉が口をついて出る。今のこの場にはそぐわない、でもわたしの気持ちをそのまま表した言葉が。
「フォルはわたしたちのこと、心配してくれたんですよね。不用心に過ぎるから少し気をつけろ、って。とても嬉しいです」
わたしのその言葉に、フォルがぽかんとした顔でこちらに向き直る。
「本当に、君ときたら……やっぱり分からない。僕は君の両親に、無礼なことを言い放ったんだぞ。どこをどうしたら、そんな言葉が出てくるんだ」
「無礼じゃないです。フォルは優しい人だって、わたしは知っていますから」
みんなの視線が、わたしに集まっているのを感じる。ちょっと落ち着かないけれど、絶対にこれだけは言っておかなくては。
「行き場のないわたしを屋敷においてくれて、わたしの話し相手になってくれました。ガートルードさん以外に親しい人がいなかったあの頃、あなたと話せることが救いになっていた」
「あ、あれは奥の中庭を見に行ったら、なぜかたびたび君に会っただけで」
「でも、あなたはわたしのことを避けませんでした。毎回、ちゃんとお喋りしてくれました」
さらに言い返すと、フォルは真っ赤になって口ごもってしまった。どうしてそんなことで、赤くなってしまってるんだろう。
と、お母様の穏やかな声がした。
「ねえ、ニネミア、フォルさん。あなたたちの仲がいいのはよく分かったのですけれど」
みんなをなだめるように、お母様がにっこりと笑う。
「わたくしたちも知りたいわ。ニネミアがどうやって今まで生き延びてきたのか、フォル殿と何があったのか」
何か言いかけたフォルを制して、大急ぎで話し始める。お父様との親子喧嘩から始まった、地上での暮らしの全てを。
「なんと、そんなことに……ああ、あの時お前の話にもっと耳を傾けていたら……」
「けれどそのおかげで、ニネミアはこうして素敵な殿方と知り合うことができたのです。怪我の功名、といったところでしょうか」
「それは理解しているのだ、シーシア。だがそれでも、ニネミアがこうむった苦しみを思えば……」
「そうですね。でもその苦しみの分、あの子は大人になりました。少し見ない間に、すっかり立派になって……」
ひたすらに涙ぐむお父様と、それをなだめるお母様。そんな二人に、さすがのフォルも調子が狂ったようだった。苦笑しながら、静かに二人を見ている。
なんだかとっても恥ずかしい。うちの両親はだいたいいつもこんな感じだけれど、フォルにはあまり見られたくなかった気がする。
「ともかく、わたしはこうなってよかったと思ってます。だからもう泣かないで、お父様」
「おお、ニネミア……」
感動もあらわに、お父様がわたしを見つめる。お母様も、柔らかく微笑みかけてくれた。
それを見計らったかのように、か細い声が割り込んでくる。
「……オーセアン様、もう、よろしいでしょうか? 次々と料理ができあがっているのですが……」
食堂の入り口の扉が薄く開き、世話係たちが顔をのぞかせている。
困り顔の彼女たちにお父様がうなずきかけると、料理の皿を手にした人たちがぞろぞろと入ってきた。
あっという間に、大きな食卓が料理の皿で埋め尽くされる。
魚や貝、海藻なんかを中心とした、懐かしい料理。無人島で育てた野菜まである。地上では珍しくもないそれは、この海の中ではお祭りの時くらいしか食べないごちそうだ。
そしてど真ん中に、ひときわ大きな皿がどんと置かれた。そこには、魚やエビをみじん切りにして丸めて蒸した団子が山と積まれている。
これはわたしの大好物だ。わたしが帰ってきてから大急ぎで作ってくれたらしく、まだ湯気を上げている。やったあ、おいしそう。
ガートルードのご飯もおいしいけれど、あの辺りでは生の海産物は珍しい。だから、このお団子は久しぶりだ。
そんなことを考えた拍子に、ガートルードの顔がふと浮かんできた。
いつも冷静沈着そのもので、ほとんど表情を変えなくて。でも慣れると結構表情があるって分かるし、それにとっても優しくて親切だ。
今頃、どうしているかなあ。あの屋敷を離れてまだ十日も経っていないけれど、もっとずっと長くあそこを離れているような気がする。
ヒルダも元気かな。彼女はわたしと違って家事は元から得意だし、人懐っこい。たぶん今頃、屋敷のみんなとも友達になっているんじゃないかな。
いつか、彼女もここに連れてきたいな。きっと人魚族のみんなとも、すぐに仲良くなってしまうんだろう。
そんな様が、目に浮かぶようだ。本当にそうなるところを見てみたい。
食事をとりながら話しているお父様とお母様、それにフォル。みんな、わたしの大切な人たち。この輪が、もっともっと大きくなればいいな。
くすりと笑って、団子を頬張る。とっても懐かしい味だ。……あとでレシピ、教えてもらおう。もしかしたら、地上でも同じものが作れるかもしれないし。
つい笑顔になりながら、視線を動かす。たまたま、フォルと目が合った。彼は食べ慣れない料理を、それでもおいしそうに食べてくれていた。
彼は両親との話を続けたまま、ほんの一瞬だけ笑いかけてくる。わたしも黙ったまま、同じように笑い返す。
ああ、幸せだなあ。そう思いながら、もう一個団子を口にした。やっぱり懐かしい、素敵な味がした。




