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11.ちょっとだけお話を

 フォルにお礼の品を渡して、素顔を見せてもらって、名前を教えてもらって。


 それからというもの、わたしたちは時々二人きりで会うようになった。と言っても、秘密の逢瀬とかそういうものではない。


 仕事がない時、わたしはちょくちょく奥の中庭に行くようになっていた。そうするとなぜか、じきに伯爵様……じゃなくてフォルが姿を現すのだ。しかも、仮面を外して。


 そのまま中庭を見ながら、のんびりとお喋りする。ただそれだけの関係だ。それに話す内容も、日常のちょっとしたことばかり。


 そもそもわたしは、自分がどこの誰なのか話せない。フォルのことは信用できるかなと思うようにはなってきたけれど、それでもうかつに正体を明かすのはためらわれた。


 そしてフォルのほうも、自分のことはあまり話したがらなかった。


 人間に顔を覚えられたくないって言っていたし、自分のことを知られるのも嫌なのかもしれない。


 でもそうすると、どうして毎回仮面を取ってお喋りしてくれるのか、そのことの説明がつかないような気がするけれど。


 そんな訳で、彼について知ったことはそう多くなかった。若く見えるのにもう二十五歳で、わたしより八つも年上なことと、まだ独り身で婚約者もいないこと。それくらいかな。


 そういった理由で、自然とわたしたちの話題の中心はガートルードのことになっていた。


「フォルはガートルードさんには気を許しているように思えるんですが、その……どうしてですか?」


 ガートルードは三十一歳、フォルとも年が近い。もしかしたら主従以外の何かがあるのかな、とは思っていた。


「彼女は私の遠縁だ。それもあって、ここで働いてもらっている。とても優秀なので助かっている」


 あっさりと、フォルはそう答えた。期待していたより普通の答えだった。


「わたしも、ガートルードさんにはとてもお世話になっていて……家事について、全部彼女に教わりました。辛抱強く、丁寧に教えてくれて……」


 あ、いけない。こんな話をしてしまったら、「以前の君はなぜ家事ができなかったのか」とか、そんなことを尋ねられてしまうかもしれない。実際、ガートルードにも不思議がられたし。


 今のわたしは、貴族でもない普通の娘はみんな家事ができるということを知っている。かつての自分がどれだけ普通とかけ離れた、目立つ存在だったのかということも。


 もっとも、今でもまだまだ普通とはほど遠い気もするけれど。


 しかしありがたいことに、フォルはそのことには触れなかった。


「そのようだな。彼女には礼をしたのか? 手をわずらわせたわび、のほうが正しいかもしれないが」


「はい。……ガートルードさんはよく本を読んでいるようなので、町で見つけたしおりを贈りました」


 こないだ、休みの日にヒルダと一緒に町を歩いた。ガートルードに贈ったしおりは、その時に見つけたものだった。レースのような切り絵の紙に、可愛い押し花を貼り付けたものだ。


「ただ、ちょっと……可愛らしすぎたかなって」


 ガートルードはしおりを受け取ってくれた。いつも通りの無表情で。


 ありがとうございます、大切にしますとは言ってくれたけど、もしかしたら彼女の趣味に合わなかったのかもしれない。


「可愛い? それなら大丈夫だ、おそらく彼女は気に入っただろう」


 そうしてフォルは、声をひそめてびっくりするようなことを教えてくれた。


 ガートルードはいつも冷静沈着で、表情がほとんど変わらない。


 しばらく付き合っているうちに、細かな表情を読み取れるようにはなってきたけれど。単に感情が顔に出づらいだけで、喜怒哀楽は意外とはっきりしているようだし。


 でもしおりを渡した時は、本当に無表情だった。だから、失敗しちゃったかなって思ったのだ。


「彼女は、可愛いものや愛らしいものが特に好きだ。自分の雰囲気に合わないからと言って隠しているが。読んでいるのも、女性向けの恋愛ものが多いな」


「知りませんでした……」


 フォルの口を通して語られるガートルードは、わたしの知っている冷静で有能で強いガートルードとはまるで違っていた。でも、彼女にもっと興味がわいたかも。


 感心しつつ、もうちょっと話してもらえませんかと水を向けてみる。フォルは少しためらってから、他の人間には内緒だぞと言って話し始めた。


 フォルとガートルードは、かなり長い付き合いのようだった。彼にとって彼女は、頼れるお姉さんといった感じらしい。


 なるほどなあと思っていたら、何か妙な生き物が近づいてきた。やけに首の長い、ええとあれは……羊、でいいのかな。


 陸上の生き物は図鑑でしか見たことないし、自信がない。小鳥や小動物なら、無人島でも見ていたけれど。


 そのもふもふふわふわした何かは、のんびりとわたしたちの前までやってくる。結構背が高い。口をもごもごさせながら、フォルに顔を近づけた。


「はは、お前は相変わらず懐っこいな」


 笑っている。フォルが。声を上げて。少年のようなさわやかな笑みを満面に浮かべて、彼は首長羊をなでている。とても優しい手つきで。


 ちょっと前までは想像もしていなかった光景に呆然としていたら、フォルが手を止めることなくこちらを見た。


「どうした、ぽかんとして」


「いえ、その……あ、その子って羊、ですか?」


 まさか、笑う彼が素敵で見とれていたなんて言えない。とっさにそう答えると、彼は小さく首を横に振った。


「これはアルパカという生き物なのだそうだ。向こうの山の高地から運ばれてきた。……ちなみに、この中庭には五頭いる。毛刈りが面倒だが、いい毛が取れるんだ。やたら甘えてきて、可愛いしな」


 そう言われて、目の前に広がる奥の中庭を見渡す。やけに広くて、おまけに大きな木やら生垣があるせいで、残りの四頭は見つけられなかった。


 もう一度、フォルと一緒にいるアルパカに視線を戻す。目を細めて、うっとりとフォルの手にすりよっている。可愛い。


「ここって、本当に不思議な生き物がたくさんいますよね……来るたびに違う生き物に出くわして、毎回驚いています」


「だろうな。そうだ、君も触ってみるか? これは特におとなしい個体だから危険はない」


 わたしが目を丸くしているのがおかしかったのか、フォルがおかしそうにそう言った。それでは、お言葉に甘えてみようかな。


 恐る恐る手を伸ばして、アルパカの首の辺りに触れてみる。わ、ふわふわ。


「いつまでも、なでていられそう……気持ちいい……」


「はは、顔が緩んでいるぞ、ニネミア」


 わわ、今度はわたしに笑いかけてくれた。しかも、名前を呼んで。ふわふわのアルパカと朗らかなフォル、なんだか夢でも見ているような気分だ。


 もしかするとフォルは、このアルパカのことが気に入っているのかもしれない。わざわざ珍しい生き物を集めているっていう話だし。


 そうだ、珍しい生き物で思い出した。ずっと聞きたいと思っていたんだった。


「あ、もう一つだけ聞いてもいいですか」


 思い切ってそう尋ねると、フォルは無言でこちらをじっと見た。


「フォルは不思議な生き物を集めているって、そう言っていましたよね。その理由が気になっていて……」


 彼のその行動のおかげで、わたしはここに売られることになった。そうでなければ、もっとひどいところに連れていかれたかもしれない。


 そう思うと、彼には感謝しかなかった。……不思議な生き物を集めている理由にもよるけれど。


 そんなことをのんきに考えていると、彼は意外な反応を見せた。


 彼は瑠璃色の目をぎゅっと苦しげに細め、視線をそらしたのだ。堂々としている普段の彼からは想像もつかない、弱々しい表情だった。


「……探しているものがあるからだ。もっとも、見つかってはいないが」


「あ、あの、きっと見つかりますよ」


 それが何なのかは分からない。ただ、フォルが暗い顔をしているのは嫌だなあと、そう思った。


 だからとっさにそんなことを言ったのだけれど、彼は目を伏せて首を横に振るだけだった。


「いや、見つからないほうがいいのかもしれない。それを見つけたら、きっと私は激怒するだろうから」


 ずっと探しているのに、見つけたくなくて、見つかると激怒するもの。不思議な言葉に、ただ首をかしげることしかできない。


 でも、この話題はもう止めておいたほうがいいんだろうなということだけは分かった。


「ええっと、状況が分かりませんが……フォルにとっていい結果になればいいな、って思います。わたし、何もできませんけど……せめて、祈ります」


「……すまない」


 そのまま、どちらからともなく黙り込んでしまった。さっきまでの楽しかった気持ちが、ずんと沈んでしまう。


 それはフォルも同じだったようで、そっと明後日のほうを向いて肩を落としている。


 突然わたしたちの態度が変わってしまったことに驚いたのだろう、アルパカが明らかにおろおろした顔でわたしたちを交互に見ていた。


 アルパカにも、フォルにも申し訳ないなと思いながらも、わたしはただ立ち尽くしていた。

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