2 婚約者である王子の愛はとてつもなく軽い
「ギルベルト……さま……」
知識はあれども十五歳の少女には刺激が強すぎた。青い顔をして思わず声を出してしまったメイシャルは女子生徒と抱き合ったままのギルベルトのブルーグレーの瞳と目がかち合う。
メイシャルは慌てて口を手で押さえたが、今さら遅い。
ギルバートはメイシャルを見ており、その瞳は弧を描いていた。
「あれ? 鍵閉め忘れたかな」
ギルベルトはすぐに女子生徒を自分の上から押し退けて、「ちょっとごめん。これ、飲んで、もう行ってて」と液体の入った瓶を渡した。
女子生徒ははだけた服を急いで直して、邪魔をされたことに腹を立てたのかメイシャルのことをきつく睨んでから出ていき、ギルベルトはニコニコしながら向かってきた。
「君、可愛いね。新入生? 私のこと探してたの? 可愛いから相手してあげたいところだけど……」
下穿きだけはかろうじて穿いているが、制服をはだけさせたまま、ものすごい色気を放ちながらギルベルトが声をかけてきた。
どんなに乱れていても、その風貌は高貴な生まれであることがわかる美しさが備わっていた。
ジロジロとメイシャルの顔を見ていたギルベルトは目線を下げてクスッと笑った。
「私の相手にはちょっと可愛すぎるかな?」
何がとは言わないが、視線だけでどこが可愛いと言われたのかわかる。
「女の子はみんな大好きだけど、さすがに子どもを抱く趣味はないんだ」
メイシャルの顔がブワッと赤に染まった。
羞恥と嫉妬と苛立ちがないまぜになる。
そういうギルベルトもメイシャルとは一歳しか違わないが、メイシャルから見るギルベルトは完全に大人の男だった。
メイシャルは俯いた。
「君、私に何か用だった?」
メイシャルは逃げ出したい気持ちをグッと堪えて尋ねた。
「……先ほどの女性は恋人ですか?」
「恋人? んー、たくさんいる恋人の一人かな?」
「お相手は一人ではなく他の方ともあのようなことを……?」
「大丈夫。たくさんの恋人がいるのなんてみんな知っていることだし、避妊薬飲ませているから、孕む心配もない」
どうやらギルベルトは複数の女子生徒と付き合っているようだ。
だが先ほどの相手の女のメイシャルを睨みつける目は厳しかった。見たのは一瞬だったが、綺麗な顔をした女だった。相手もそれなりの身分なのだろう。
下手をしたら王太子妃に成り代わろうと目論んでいる可能性もあるのに。ギルベルトの行動は浅はかだ。
「あなたには婚約者がいるはずでは……」
「ああ、アマリアのお姫様? 平気だよ。かの国とは同盟のために結婚するだけだ。そこにはなんの感情もない。君ももっと大人になったら抱いてあげるね」
メイシャルはアマリア王国の王女だから、それなりに姿絵も出回っている。それに今日、学園にメイシャルが入学することはギルベルトの耳にも届いているはずだ。
それなのにギルベルトは目の前にいる人物が誰であるのかわかっていない様子。それほどまでにメイシャルに興味がないのか。
――悔しい……
会ったことがないとはいえ、それなりに手紙でやりとりはしてきた。誠実な印象で、政略結婚でも学園で過ごすうちに愛し合える関係になるかもしれないと期待をしていた。
しかし、目の前の男とはそういう関係にはなれそうにない。
「よく見ると、君、すごい綺麗な顔してるね。ちょこっとくらいつばつけておこうか」
ギルベルトは自分の顔の良さをわかっている。地位も美貌も兼ね備えた彼がこうすれば大概の女は自分に堕ちてくる。
だが、メイシャルも一国の王女。その程度で揺らぐような女ではない。
ギルベルトはメイシャルの顎を掴んで顔を近づけた。
ギルベルトの愛はとてつもなく軽い。少しでも可愛いなと思えば簡単に手を出す。
メイシャルは目の前が怒りで真っ赤になった。
聞けば真実がわかる。だが同時にきっと自分は傷つくだろう。
それでもメイシャルは声を絞り出した。
「……ギルベルト・ローパー・ファルダス、答えなさい。あなたが婚約者のメイシャルに出した手紙の内容は偽りだったのか?」
メイシャルが手紙にそれとなく、女性から人気のあるギルベルトのことは他の女性が放っておいてはくれないでしょうといった内容を書いたとき、ギルベルトは、婚約者がいるのに他の女性に目を向けるような不誠実なことはしないと返事を書いていた。
メイシャルに近付いていたギルベルトがピタリと止まり、ブルーグレーの瞳から光が消える。
「メイシャル王女への手紙は侍従に書かせたし、贈り物も侍従に選ばせた。だから私は手紙の内容を知らない」
淡々と話すギルベルトの答えを聞いて愕然とした。
婚約が決まってから、手紙のやり取りと絵姿だけでギルベルトに憧れて淡い期待を抱いてきた。
でも婚約してからの二年間、懸命に手紙のやり取りをした人もメイシャルには何の関係もないギルベルトの侍従だった。
贈られてからギルベルトのことを考えながら、何度も鏡の前で袖を通したこの学園の制服を用意してくれた人も、ギルベルトではなかった。
見目もよく誠実で優しい素敵な人なら恋ができるかもしれないと思っていた。
出会う前から想像だけで嫉妬ができるくらいに愛は育っていた。
それなのにギルベルトに会って間もなくその想いはガラガラと音を立てて崩れていった。
まだ十五歳で恋愛に憧れを抱いているような世慣れしていないメイシャルにはつらい出来事だった。
メイシャルは王家の力を使って相手から真実を聞き出すことが出来る。
王家の力の発動条件はフルネーム。省略なしの正式な名を呼ぶことで王家の力を発動することができる。
メイシャルの力は一分程度しか効力がないが、王家の力を掛けられた相手はその間の記憶は残らない。
だからメイシャルはギルベルトのはだけた胸ぐらを両手で掴んで涙の滲む瞳で力一杯睨みつけて言ってやった。
「ギルベルト・ローパー・ファルダス! この腐れ発情チャラ王子! 誰がお前なんか好きになるか! 誠実でなかったことを後悔させてやる」
捨て台詞だった。
口が悪いのはシャルルの真似。そういう言い方の方がスッキリしそうな気がした。
どうせ記憶には残らないのだからと、精一杯の罵倒と負け惜しみの減らず口を言っただけだ。
それだけ言って、メイシャルはすぐに部屋を後にした。
一方、ギルベルトは淡々とメイシャルの質問に答えていたが、話し始めてすぐに失われた瞳の光は戻っていた。
そのことにメイシャルは気付いていなかったが、ギルベルトは自分の意志とは関係なく口が勝手に喋り始め、挙句自分より年下の少女に胸ぐらを掴まれ罵倒されたことに衝撃を受けていた。
踵を返し部屋を出ていく少女の美しいプラチナブロンドの髪を呆然と眺めていた。
脳裏には濡れたアメジストの瞳が焼き付いて離れなかった。
お読みいただき、ありがとうございました。