5.AVを観る男
結局、それから影山さんとは1年間、なんの接点もなかった。
クラスは別々で、たまに廊下などですれ違うことはあっても、向こうはまるで俺のことなど見向きもしなかった。
――いや忘れてしまったのだろう。尤も始業式で嘔吐していたことなど、とっとと忘れてもらって結構なのだが。
とは言え、完全に忘れてもらっても困る。彼女の心の片隅には存在していたい。我ながら面倒臭い話だ。
日々無為に過ごす間にも彼女が素晴らしい女性だという噂は聞こえてきた。
テストの成績が学年1位だったとか、200メートル走で校内の記録を塗り替えたとか、美術のコンクールで賞を取ったとか。
他にも道で迷っているおばあちゃんを助けて学校に遅刻したとか、現金の詰まったアタッシュケースを拾い交番に届けて表彰されたとか。
他の人の噂なら作り話だろうと思ってしまう話も、彼女ならきっと真実のことだろうと思った。
アタッシュケースの現金はヤクザの活動資金だったなんてのは盛られた話だろうけれど。……そうであってくれ。
そして高校2年生になったとき、ついに俺は影山さんと同じクラスになることができた。
それでもまだ話しかける勇気は持てないのだが、とにかく同じ教室でともに過ごしているだけで幸せだ。
それを思えば「発作」がなんだ。そんなもの恐れるほどのものではない。
――そうだ、今だって少し視線を向ければ彼女の横顔がそこにある。
窓から差し込む柔らかな光に照らされながら、静かに本を読む清楚で可憐な少女の姿。
じーっと見ているとなんだか不思議な気分になってくる。
なんとも上手く言えないが、彼女の周りの空間ごと、そこだけ色が違うかのようだ。
その美しさに思わず息を飲むが、すぐにはっとして我に返る。
「何ボーっとしてんだ? 別に気分悪くなってないだろ?」
「あ、ああ……、そうだな。先生が来る前に席につかないとな」
俺も悠人もそれぞれ自分の席に着席すると、ホームルームが始まるのを待った。
――昼休み。俺は混み合う購買には行きたくないので、予めコンビニで買ってきた菓子パンを食べることにする。
母さんに弁当を頼まないのは、ほんのささやかな反抗期と恥ずかしさのせいだ。
別に母子仲が悪いってわけじゃないが。まあ俺も思春期ってやつなのだろう。
それになんと言っても菓子パンは片手で食べられるのが最高だ。もう片方の手で俺はスマホを弄りながら動画サイトを開いた。
大勢に囲まれて過ごし、疲れた心を癒すのはやっぱりこれが一番だ。……うん、やっぱりこの子は今日もかわいいな。
イヤホンでもあれば、その愛らしい声で脳を満たすことができるのだろうが、さすがに教室でそれは目立ち過ぎる。
SNSでも確認している振りをしながら、こっそりと楽しむのが乙なのだ。この静かなひと時が俺の心の清涼剤だった。
「お前またAV観てんのかよ! 教室では自重しろよなー!」
「――なッ!? おいこら、悠人!! 何を大きな声で!!」
ざわざわッ――! ざわざわッ――!
俺のスマホを覗き込んで叫んだ悠人の言葉に反応して、教室中がどよめく。
「AVってアダルトビデオ……? 教室でそんなもの観てるなんて……」
「嫌ね、下品だわ。これだから男子ってば……」
そんな台詞が聞こえてくるかのようだ。……うん、これは俺の幻聴だ。そういうことにしておこう。
恐る恐る影山さんのほうを見ると、とんでもなく怪訝そうな顔でこちらを見つめていた。
まずい……! 悠人のせいで影山さんの中での俺の評価がとんでもないことに……!!
「悠人"くん"……? ちょーっと校舎裏でお話ししようか?」
「ドキッ! これってもしかして愛の告白!?
リキ……、お前そこまで俺のことを……」
「冗談言ってないでとっととついてきやがれぇえええええぇええええ!!!!」
俺は悠人を引っ張り出して、無理矢理校舎裏まで連れていった。
教室でクラスのみんなに弁明することもできたが、あの流れで言ってもおそらく怖がられてしまっただろう。
とにかくとにかく誤解のないように言っておくが、悠人の発言はいわゆる語弊がある台詞というやつだ。
俺は断じて教室で堂々と、――いやこっそりとでもアダルトビデオなんて観てはいない!
「なのに、お前って奴は誤解を招くようなこと言いやがって!!」
「誤解も何もAVはAVだろ? 俺はなーんにも間違ったことは言ってないぜ」
「大間違いだ! 俺が観てたのはAVはAVでもなあ――、」
そう、それはとってももふもふで! しかも、とってもふわふわで!
ときにころころと丸っこくて、可愛らしくて!!
人々に癒しを与えるようなチャーミングな生き物を映した動画……!! そう、それは――、
「アニマルビデオなんだぁああああああああぁああああ!!!
俺は人間の女の子よりも、かわいらしい動物のほうが好きなんだよぉおおおぉおおおお!!」
――そんな俺の叫びが校舎裏に木霊する。ああ、このあとどんな顔して教室に戻ればいいんだよ。
学校で昼間っから要求不満な変態男だと思われて、クラス中から妙な視線を浴びなきゃいけないってのかよ!
終わった……、俺の学校生活はもう終わったようなものだ……。
「でもよぉ、結局似たようなもんじゃね? 人間でも動物でもさー」
「全然違うわ! 悠人!! お前はもっと言葉に気を付けやがれ!!」
ああ、さらば俺の青春……。短くも儚い夢のような日々だった……。