5、
春奈は先日の会議でも、やれ横浜圏に武力行使だ、いや丁重に保護すべきだ、と言い合っているお偉いさん達のいたちごっこを見て頬を掻いたものだ。
「財政圧迫は死活問題ですが、私は単純に、
現代に生きる侍とやらに会ってみたいですけどね」
アメリカ留学中も日本人だと紹介するとすぐに「ヨコハマ!」「ハラキリ!」と連呼されるのだ。
ハローウィンパーティーで侍の仮装をしたら、もう大ウケだった。
ルームメイトなんて、口に含んだポップコーンを全部吹き出すほど大爆笑してたし。
日本=侍、といった外国からのイメージがあるように、
確かに一度、生お見かけしたいものである。
――しかし、春奈は見逃していた。
そう言った後、目の前の首相の目がまるで獲物を仕留める獣の如くきら、と光ったのを。
首相がスーツの内ポケットから神妙な顔で取りだしたのは、一つ巻物だった。
「これは国家機密なんだが、話半分に聞いてくれ」
巻物を手に持ったまま、首相は口の前に人差し指を立て、声をひそめた。
「大戦中も徴兵を突っぱねるような横浜圏の奴らが、ここ一年で少し変わってきたんだ」
「…どういうことですか?」
「今までは、米や塩や鉄を送ってこい、でも我々からは一切本島とは関係を持たない、
とか何とか言って、完全なる鎖国状態だったんだけどね」
本当に国家機密なのだろう。
ひそひそと囁く姿に、自然と春奈も小さい声で相槌を打つ。
「おそらく今の圏主、梶原泰幸が、本島と良い関係を保っていきたいと考えておるようなんだ。
頻繁に巻物を送ってきて、今の横浜圏の内情を教えて来たり、本島の情報を教えてくれなどと言ってくる。
だから新聞や本なんかを少しずつ送っている」
「…現圏主が、頭の柔らかい人になったんですかね」
長い歴史の中で、初めてトップが坂本龍馬のような革新的な考えの人になったのだろうか。
横浜圏の夜明けは近いぜよ、か。
「私もそう思うよ」
首相は頷く。
埋め立てられて出島と化した横浜圏は、今や本島という外国と接触したがっている。
歴史は繰り返すということか。面白い話だ。
「でも、横浜圏の奴らが本島と仲良くしたがっている、なんて公表すれば、
必ずや急進派の奴らが、仲良くして油断した隙に武士を一掃してやろう、なんて言い出しかねない。
それはまずい。なんだかんだで、横浜圏の者たちは重要な文化財だとも思うしね。
だから、やるならこっそりと、だ」
首相は手に持っている巻物の紐をほどいて、するすると広げる。
「前に私が、『本島から使者を送ってもいいだろうか?
相互にとって良い情報交換ができると思うのだが』という書簡を送った。
その返事がこれだ」
両手で広げた先には、筆で書いた達筆な文字で、こう記されていた。
『齢二十五歳以下、本島だけでなく異国にも見分の広い者、一名のみなら可』、と。
「おそらく、彼らも横浜圏を近代的に変えていきたいのだろう。
しかし伝統をいきなり廃止するわけにもいかない。だからこの返事。
きっと、若い奴だったらいくらでも壊柔できるだろうし、
一人なら武力で人質にもできると踏んでるんだろうよ」
よく考えたものさ、と感心したように首相は笑う。
確かにどっちに転んでもいい手で、武士も馬鹿ばかりではないようだ。
「だから秘密裏に送り込みたいと思っておる。
よく言えば使者、悪く言えばスパイをね」
ニヤリ、首相が初めて歯を覗かせながら不敵に笑う。
待て、何かが引っ掛かるな。
そもそも、なんでこんなとんでもない国家機密を、新人の自分に喋っているのか。
銀ぶち眼鏡を押し上げて、睨むようにその孤島を見つめる首相。
そして、嫌な予感は当たった。