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藤川春奈は、齢十歳で自分の運命を呪った。
「大家族」の「長女」という、生まれた時に決まっていた肩書きを、一度だって良いと思ったとことはなかった。
物心ついた時から、弟が三人いた。
そのせいで自分はおもちゃで遊んだことなどなかったし、ケーキだってちゃんと一個食べた事はなかった。
ちょっとでもおもちゃに触ると、やれお姉ちゃんずるいだの酷いだの騒ぐし、ケーキも少し食べようものなら、やれイチゴがそっちの方がでかいだの、どうでも良いことで泣く。
そうして親は決まったように、「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」の一点張り。
大家族の長女というのは、この世で一番冷遇されているものだった。
小学校も高学年になると、家事はほとんど春奈がやる羽目になった。
その時点で弟と妹は七人に増えていた。
学校の帰りがてらスーパーに寄って、帰ったら十人分の夕飯と次の日のお弁当を作る。
洗濯は週末まとめてやるが、五回もすることになり、大抵はそれで一日が終わる。
とにかく落ち着く暇などない。
誰かがどこかで泣いてるし、どこかで喧嘩が起きている。
寝ろと言っても寝ないし、起きろと言っても起きないし。
貧乏暇なしの両親は共働きで、二人とも夜遅くに帰ってくるからろくに会話をした覚えもない。
洗い物をしている時に、春奈の後姿を見ながら会社帰りの父親が「お前は偉いな…」などと呟くから、
「後先考えずに父さんが子供作ったせいでしょ、私の青春返して!」と怒ることもあった。
同級生にはミルク臭いとからかわれ、妹が熱出したせいで楽しみにしていた修学旅行には行けず、
友達からは忙しすぎてつまらない、と仲間外れにされた時点で、春奈は全てを悟った。
「我慢しなさい」と言われることに我慢ならなくなった春奈は、
誰の言うことも聞かなくて済むようになろうと誓った。
弟のオムツを取り換えながら数式を解き、幼稚園の送り迎えをしながら英語のリスニングを聴いた。
欲しい物を手に入れるためならなんでも勉強した。
優勝賞品のパソコンが欲しくて暗算選手権も優勝したし、
創作料理コンテストでは一位を取って金一封をもらった。
みんなが寝静まった後に、中学生ながら赤本を解きまくった。
初恋の男の子に想いを告げることもできず、悔やんで泣いた。
そうこうしていたら、県一頭のいい高校に推薦入学し、模試で全国一位の成績を取り、
アメリカの大学に入学し、日本最年少の官僚になってしまった。
もう誰も文句を言わなくなった。
「春奈が勉強しているから静かにしなさい」になり、
「お姉ちゃんのために夜食を作ってあげよう」になった。学費も全て奨学金。
「大家族の苦学生が、不可能を可能にした」などともてはやされ、大学在学中から何かと注目されていた。
もう誰も、ミルク臭いと春奈を馬鹿にすることはなかった。
官僚にならないかという話をもらったのは飛び級し、同級生よりも一年早く卒業することになった年だった。
君が日本を支えていくんだ、という口説き文句に、二つ返事で承諾した。