10.道なき道
「いおり……!」
目の前に、自身をこの世界へ連れてきた妹がいる。
だが、いつものいおりと雰囲気も見た目さえも違う。
横髪にしかなかった白い髪の毛が、この目の前の妹は、髪も、まつ毛も眉までも全てが真っ白だった。
そんな妹は白い葉がいくつも降り注ぐ中、白いワンピースをふわふわと漂わせながらこちらへゆっくりと近付いてきた。
歩くたびに水たまりに優しく波紋が広がる。
「ケイスケの妹なのか……!?」
「妹、さん……?」
エダーとリラの二人も今ここで繰り広げられた現象に驚嘆しているようだった。
「……敬介、それにホリスト王国の王女リラに、エダー、私の話を落ち着いて聞いて下さい」
妹はゆっくりと口を開いた。
その姿はまるで、幼い少女のまま手の届かない人間に成長してしまったような佇まいだった。
「私は召喚者――、イデアと申します」
「イデアだと……!?」
エダーは唖然とし、リラは声も出ないようだ。
イデアと言えば、この世界の神話に出てくる女性の名で、この神地の窮地を救うために、白神を召喚したという謎の人物だ。
「私は、このいおりの体に召喚者としての能力を宿らせ、敬介がいる世界に彼の妹として生まれ落ちました。――その理由はティスタの生まれ変わりであるあなたをここへ召還させるためにです」
「オレを召喚させるために……?」
「はい、ご存知の通り約二千年前、私はこの神地での危機を救うため、白神を召喚させました。それが白神からの意思であったからです。私は召喚者としての使命を全うし、そして今回も……」
なぜか悲しそうな表情を浮かべている。
「一体何者なんだよ……いおりはどこなんだ、オレの妹は……」
「……いおりは私自身です。私はこの世界とは異なる神空から参りました」
いおりが聞いたこともない世界から来たという。
「いおりは! いおりは……オレの大事な妹なんだ……そんな知らない世界の人じゃないんだ……」
「ええ、確かにあなたの妹には変わりありません。ですがあなたの妹は、私、イデアとしての使命も帯びているのです」
「いおりは……本来のいおりはどうなるんだよ……」
「彼女自身はもう十歳です。この力と私自身の記憶は現在最盛期を迎えており、年齢と共にこの使命の記憶もこの力も段々と無くしていくでしょう。そして、彼女が成人する頃には敬介の妹として、本来の人生を生きていくことになります」
確かにいおりは最初から全てを知っているようだった。
自身が召喚された時も、ティスタの世界へ送られた時にも思い詰めたように涙を流していた妹を思い出す。
ティスタやセーレのこと、白神や黒神のことも全て知った上で、この世界へ自分を送ったいおり自身の罪悪感から出た涙だったというのか。
「オレを召喚した理由って……まさか二千年前と同じなのか……?」
「おい、まさか……」
エダーは重くなったその口を開く。
「……はい、黒神です」
冷たい空気がどこからかこのホリスト聖堂中に流れ込むようだった。
「ということは……今、歴史が繰り返されているのか……」
いつも以上にエダーは低い声を出した。
「はい……、この長い年月を得て、再び同じ状況になろうとしています」
イデアと名乗る妹がゆっくりと話を続ける。
「今から約百年前、ヒードがセーレを生贄としてなぜ黒神を召喚したのか……、これには理由があるのです。それは、二千年前に召喚された白神の力が弱まり始めたからなのです」
「白神様の力が弱まっているだと……!?」
エダーが顔を引きつらせ、大声を上げた。
リラも動揺を隠せず、血の気が引いているようだ。
これがどういった意味を成すのか、今のこのリンガー王国の状況を知れば知るほど、二人の感情が痛い程伝わってくる。
「……白神は、元々神空で生きる神。……この神地では決して長くは生きられないのです。約二千年、この世界で時を過ごした結果、白神は、力を失おうとしているのです」
目の前の妹の背後には、白い葉がまるではらはらと雪のように舞い落ちる。
「そんな……白神様までもが……」
リラのその言葉に引っ掛かりを覚えながらも、彼女の切ない横顔が目に入った。
白神が力を失う、それが意味する事は、この危機的状況のホリスト王国が更に危うくなる、ということだ。
「白神が完全に力を失うまでに、黒神をこの神地から遠ざけないといけません。ですが、これには苦難が伴います……」
妹がこちらを見つめた。
「敬介はティスタの意思を受け継いでいます。本人にもしその気がなくとも、あなたがなぜ再び生を受け、地上に誕生したのか。これには理由があるのです。ですが、敬介という人間がいるのも事実。……敬介、あなたは……この道無き道を再び進む覚悟はありますか?」
いおりのその姿で、イデアという彼女はこちらを真っ直ぐに見つめる。
「オレは……」
この世界へ無理やりいおりに連れて来られたのは事実だ。
『過去の選択』を終わらせてほしいと言われて。
そしてこの世界で知った様々な事実、自分の前世、ティスタ、セーレの最期。
そして、自分に与えられた力。
戸惑った。
この世界でティスタは英雄扱い、女王には頼られ、期待された。
助けたいと思ったのは事実だ。
だがオレは妹のいる元の世界へ帰りたかった。
もちろんその気持ちは今も変わらない。
――だけど
この不条理な世界で自身を犠牲にしてでも戦い続ける人達に出会い、己の浅はかさ、未熟さを知った。
目の前のことに囚われすぎて、みんなの思いにさえ気付けていなかった。
このままの自分で果たしていいのだろうかと。
この世界で力強く生き抜く人達と、関わりを持つこと、共に歩くこと。
『敬介』として今自分が出来る事、その覚悟は――
「道がなくとも進みたいんだ……!」
「ケイスケ……!」
「お前……」
顔を上げると、リラの少し潤んだ瞳と、真っすぐこちらを見据えているエダーがいた。
「……感謝致します、敬介。あなた自身の役目が終わりを迎える時、元の世界への扉が開かれるでしょう」
そう言うと、真っ白な髪を持つ彼女は、また一枚、一枚と白い葉に戻っていき、水面を散らす。
「敬介……、あなたはこの長い間、セーレの傍にいました。ただひたすらにずっと……。ですが、この地に再び舞い戻る事を選び、終わらせる事を選んだのです。それだけは決して忘れないで……」
イデアと言う妹は、もう消えそうになりながら儚げにそう呟いた。
「オレ自身が選んだ……」
その時、とても懐かしい声が響いた。
『お兄ちゃん、また会えるよ、きっと……』
「いおり……!」
いつも聞いていたいおりの声を最後に、雪のような落ち葉だけが水面に浮かんでいた。
波紋が優しく広がるその場所を見つめると、自分がティスタに見えたような気がした。
「ケイスケ、ありがとう……」
リラの暖かなその言葉を受け止めた。
「……俺は、はっきり言ってお前はこの世界で戦えないと思っていた。だが、こうやって俺達を何度も救ってくれた」
誠意あるその表情でこちらを見つめるエダーは、目の前にその強靭な腕を差し出してきた。
「あぁ、オレはまだまだ未熟だ。だが、この覚悟を見ててくれ、エダー」
「ああ……!」
お互いの顔の前で固く強く、二人の手を重ねた。
そんな姿を見てか、リラは安心したかのように優しく微笑んでいた。
すると、不思議と完治したあの脇腹がとても暖かく感じた。
その場所に触れると、リラが手をそっと重ねてきた。
「……あの怪我、白神様が癒してくれたのね」
「ああ、力が尽きようとしているのに……」
まだうっすらと白く輝いているこの大きな水たまりを二人で見つめる。
この水面へ倒れた時だ。
生かされたのだ。
この大いなる白神に。
目の前のリラをどうしても助けたかった。
もう二度と見たくなかった。
セーレのような最期は。
もし彼女と大きな命運をまた天秤にかける日が来るとしたら。
自分はティスタのような選択が出来るだろうか。
そしてその選択のどちらが正しいことなのか、果たして分かるものだろうか。
月明かりの下で、いくつもの白葉が美しくも儚げに舞い落ちる。
そんな枯れ行く白神を見上げ、答えが出ないその思いを巡らせたのだった。




