9.白神
「バーツ……!」
エダーの声がこの星空が広がる空間中に響き渡る。
意識がもうろうとする中、月影にかかっているバーツを見つめた。
「バーツ! あんた遅すぎよ!」
この手で身動きの取れないサラリアが、バーツに怒りをぶつけている。
エダー達をどうにか逃がす術を考えるが、血を流しすぎたのか、もう頭さえも働こうとしなかった。
立っているだけで精一杯だった。
冷や汗が流れ、息もかなり荒くなっている。
膝も震え始め、精神力だけでサラリアを押さえ込んでいるようなものだった。
「あーサラリアちゃん、ごめんごめん。ちっと障壁破るのに苦労したもんでさ~」
「ったく! こっちはあたしが殺るから、早くその木を燃やしな! あんたしかその木は燃やせないんだから! その王女と男を一緒にさっさと殺りな!」
「いや、リラちゃんは無理やねん」
「何言ってんだい!? その女もろとも殺すのが命令だよ!」
「わい、ヒード様に恩あるけど、それだけは無理やわ~」
二人が何やら小競り合いをしているようだ。
すると、先程まで捉えていたサラリアのあの一つの目が急に視界から消えた。
――この膝が崩れ落ちていた。
「お、倒れた」
「ははっ、やっとだね」
「おい、ケイスケ……!」
三人の声が遥か遠くに聞こえる。
限界を迎えたこの体は、電池が切れたかのように力が抜け、水溜まりの中へうつ伏せに倒れ込んだ。
浅水のおかげで、辛うじて息は出来るが、サラリアの腕を自由にしてしまった。
ダメだ、まだ離してはダメだ。
まだリラ達が危険なままだ。
今ここで自分が死ねば、また誰も救えないまま終わる。
目の前の人も、この国も、この世界も。
あの時、妹に召喚させられた日が思い出される。
あれからリラやエダーに出会い、己の前世を知り、力を知り、覚悟を知った。
そして、この国の仲間達に支えられ、ここまで来た。
いや、来れたんだ。
みんなのおかげで。
――いおり、兄ちゃんは、何か、まだ何か、出来る事がある気がするんだ。
「もうあんたは限界ね。今度こそさようなら……!」
横腹から抜かれたサラリアの鎌が頭上に迫っているのが分かった。
死にかけで、絶体絶命で、こんな状況で、なのに、不思議と戦意を失わない自分がいた。
それがなぜなのか、自分でも分からなかった。
だけど、『守りたい』、それだけが心に残った。
――素早く体を横に回転させた。
サラリアの鎌を間一髪で避けたのだ。
目の前には、振り落とされた鎌の攻撃で舞い上がる水しぶきがあった。
――これだ。
その瞬間を見逃さなかった。
瞬時に体制を整え、緩んだ鎖から手早く剣を抜く。
そして、真っ白に眩しく輝くこの剣を下から力強く振り上げた。
――あの水しぶきと紛れるように。
「うっ……」
胸から赤いものと共に儚い雫が舞い落ちる。
それは美しくもあり、無情な情景だった。
崩れおちたサラリアは、憎しみを纏ったその額の目でこちらを見つめてきた。
「なぜ、まだ、動け……」
そんなサラリアから決して目をそらさず、この世界に守りたい者がいる事を、しっかりと胸に刻んだ。
「……サラリア、お前は……何か守りたい者がいるのか……?」
「……守りたい、もの……?」
するとサラリアはハッとしたような表情を浮かべた。
「あたし、は……ヒードさ……ま……、もう……いち、ど……こ、の、目で……」
盲目の目から涙が一粒流れた。
水面に横たわる彼女は次第にチリとなり始め、満天の星空の元へ吸い寄せられるように飛び立っていく。
彼女の表情はいつの間にか、憎しみよりも悲しみで溢れていた。
サラリアも元は人間だった。
彼女がなぜ魔物となり果てたのか、今となってはもう知る由しもない。
例え、長く生き永らえたかったとしても。
その目でもう一度誰かを見たかったとしても。
どちらかが死に、どちらかが生きる無情な世界。
どの世界も同じだ。
それを自分が作り出したものだとしても、この覚悟にもう迷いはない。
最後にもう閉じてしまったあの額の目を見つめ、この剣と共にまた罪を受け入れた。
「お前、傷が治って……」
エダーが驚きこちらを見つめている。
なぜなら、サラリアに刺された横腹の傷が治っていたからだ。
「おい! よくもサラリアちゃんを!」
エダーの近くにいたバーツが槍を構え、こちらへ向けて攻撃態勢に入った。
だが、バーツはこちらへ来ることが出来なかった。
「バーツ、お前の相手はこの俺だ……!」
エダーが止めに入ったのだ。
「しつこいんや、エダー! いつも! いい加減こっちに返ってきいや……!」
剣と槍が重なる重たい金属音が明るい夜空へ響く。
「俺が好き好んで、またゴルへ行くと思うか……!?」
「しゃーないか……! リラちゃんっていう可愛ええ妹がいてるからな……!」
「……妹、だと!?」
バーツの信じられない言葉に耳を疑った。
「あれーケイスケ、知んなかったの? そうやで、こいつはリラちゃんの兄ちゃんやで! リラちゃんのことになったら手が付けられへんやろ~ はよわいに嫁にくれればいいのに~」
「バーツ、お前はもうリラに構うな! あの時とはもう状況が違う……!」
「エダー兄ちゃん、そうはいかんで。惚れてもうたもんはしゃーないやろ!」
そう言うと、バーツの槍に火が灯った。
「またあの火か……! くそっ」
「今日はこの木燃やせって命令やから!」
その時だった。
急にその大木の枝が、ミシミシっと残酷な音を立てながら折れ、エダー達のすぐ近くの水面へ勢いよく落下して来たのだ。
「白神様が……!」
「なんやねん、どーなっとんねん!」
落下した水面の場所から段々と、大きく波紋が広がっていく。
次々に大小の枝がきしむ音を立て、まるで意思を持っているかのように落ちてくる。
そして、慌ただしく揺れ動く水面は段々と白く輝き始めた。
「あ、あかん! わい、この水はこれ以上触れてたらあかんヤツ!」
バーツが指笛を吹くと直ぐ様黒魔鳥が夜空から現れた。
軽くその背中へバーツが飛び乗ると、また勢いよく空へ舞い上がる。
「くそっ、バーツ!」
「おい、なんかこの白い木、おかしいで! わいが燃やさんでももう逝ってしまいそうやわ! やばいで! まーこっちはツイてるけど! じゃ、エダー兄ちゃん、またなー!」
バーツは楽しげにそう言うと、風の如くきらびやかな星空の元へ去っていった。
「リラ!」
「おい、大丈夫か!?」
慌ててエダーと共にリラの元へ駆け寄ると、白葉の落ち葉に包まれ、紫のドレスを纏うリラは、とても儚げで美しかった。
そんな彼女の上半身をそっと抱えると、ゆっくりと目を覚ました。
「……ケイスケ……エダー……」
「良かった……無事だな……」
エダーと一緒に胸を撫で下ろしていると、突然彼女が何か思いつめたように体にしがみついてきた。
エダーの視線が痛い気がする。
「どうしたんだ!? 何かサラリアにされたのか!?」
「見てたの……ずっと……サラリアの術で……ケイスケ、本当にごめんなさい……。私のせいであんな怪我させて……ほんとにごめんなさい……!」
リラは自分の胸に顔を埋め、泣いているようだった。
「いいんだ……無事で良かった」
彼女の小さな頭の上に優しく手を置いた。
「……おい、あれを見ろ」
エダーがリラから抱きつかれている自分よりも何か気になることがあるようだ。
彼の目線の先へ目を向けると、水面の一ヶ所だけ先程よりも強く白い輝きが放たれていた。
「なんだ……?」
その光輝く水面の上に、上空からはらはらと舞い落ちてくる白い葉が一枚、また一枚と積み重なっていく。
信じられないことにその白葉は、段々と人の形に形成されはじめたのだ。
「どうなってる……!?」
エダーがその光景に目を丸くしている。
その大量の白葉が織り成す形は、昔からとても見覚えがあり、ずっと会いたいと強く願っているものだった。
「そんな……まさか……」
信じられない現象に、息を飲んだ。
そして、人となった女の子は一言呟いた。
「お兄ちゃん、やっと会えたね」




