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黄昏の境でお別れを  作者: 星畑ゆすら
金木犀の屋敷
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不可解な感情理由の一端3

 

 橙色に輝く夕日が沈み夜闇と深い霧に包まれた志ノ沙山を月と星が柔らかく照らしだす。


 返り辺り一面に濃霧が立ち込めた夜のしじまの中を、アズトは灯りも持たずに迷いの無い足取りで歩いていく。


 歩き続けると、あれだけ立ち込めていた濃霧がいつの間にか晴れて数多くの金木犀の木々と立派ではあるが古さを感じさせられる屋敷が現れる。


 屋敷の敷地内に足を進めると、暗い筈の屋敷の縁側には蝋燭の小さな火がゆらゆらと揺らめきながらも灯っている。


 その灯りの隣には夕凪が就眠前の浴衣姿で座っていた。


アズトの姿に気付くと座っていた縁側から腰を上げて、かなり距離があるにもかかわらず、こちらに歩いて寄ってきた。


「お帰りなさいませ、アズト様」


「どうして起きてるんだ。いつもなら寝てる時間帯だろ、君」


「アズト様の言いつけ通りアズト様がお出かけになられている間に昼寝をしていたのですが、寝過ぎてしまい目が冴えてしまったのです」


「それで待っていたのか?」


「はい、時間を持て余していたもので」


 眠れずに、いつから外に居たかは知らないが暖かな昼間と違って夜の空気は寒く冷えている。

 療養中の身で寒い夜風の中、薄着で長時間当たるのは体に良くないのは妖だろうと多分同じだろう。


「アズト様のいない屋敷は静かです」


「いや、現時点では三人しか居ないしボクは余り喋らないから大差無いだろ。それよりも早く離れに戻って」


 歩き回れるまでに回復した夕凪だが、日中は本殿で過ごし夜は離れで就寝している。

 アズトは夕凪の体がこれ以上、夜風で冷える前に寝床としている離の屋敷へと移動させるべきだと判断して夕凪の背中を押しながら歩く。背中に当てた手から薄い浴衣越しに夕凪の冷たい体温が伝わってきて長時間、外にいたのがわかる。


「私にとっては、大いにありますよ」


「…夕凪」


「はい、なんでしょうか?アズト様」


 アズトに背中を押されるがままに歩く夕凪は、どこか楽しそうに、こてりと首を傾げながらアズトこらの呼び掛けに返事をする。


「早く離れに戻って。かけられた呪い。君の妖力を乱して抑え呪い殺そうとする、それは薄まってはいるものの未だ君の体内に巣食い蠢いてる。だから妖力が安定出来ずにいて本当は体調がわるいんだろ」


 妖に存在する妖力というのは術を行使する為の源であると同時に体中を循環しており妖の体調にも密接的に影響を及ぼすと三重から聞かされている。


 夕凪が受けた毒と呪い。

 毒は消え去ったが、呪いはしつこく未だに夕凪の体内に残留しており妖力の安定化を妨げている。


 あの酒…元い薬を飲ますとしても前回の服薬日から考えて、もう少し期間を空けるべきだ。


「大丈夫です。全快では有りませんが、私の体調はアズト様が想像しているよりも良好ですよ」


「だとしてもだ。そんな格好でいたら更に体調崩すだろ。悪ふざけも大概にしろ」


 注意を受けてるのにも関わらず夕凪は楽しそうで、アズトはそんな夕凪をみて少し眉をひそめた。

 夕凪の背中を押していた手を丸めて、そのまま、ほんの少しだけ力をいれて爪を立てる。

 爪と立たれた痛みに夕凪の体がビクッと小さく跳ねた。同時にアズトの爪には薄い浴衣を隔てて肉が喰い込む感触がする。思ったより少し硬い肉厚だった。


「…痛いですっ」


「ほら、これ以上痛くされたくなかったら、早く歩いて」


「えぇ、わかりました。アズト様、分かりましたから、爪を立てるのをやめてくださいませんか。痛いです」


「そうだね。痛くしたもの」


「これ以上、力を強めるのはやめてください。このままでは出血してしまいます」


「へぇ、そうなんだ」


 夕凪の背中に立てた爪を戻す。爪を立てられる痛みから解放された夕凪は大人しく離れの屋敷がある方向へと歩き出す。それをみたアズトは夕凪の横に並んで歩く。


「アズト様、本日は屋敷の外にどのような用件で出向かれていたのですか?」


「簡単に言えば見回りだよ」


「こんな夜中までかかるものなのですか?」


「今回は色々と見て回る所が多かったんだ。出掛ける前にも言っただろ。夜中になるって」


「ですが、危険では?」


「問題ない。今だって問題無く戻ってきている」


 2人でたわいない話をしていると離れの玄関口かな辿り着いた。


「では、離れに戻れましたし、眠れるかどうかは分かりませんが大人しく布団に入り夜を過ごすとします。アズト様、本日はお先に失礼致します。おやすみなさいませ」


「……」


「アズト様…?」


 夕凪は屋敷の玄関口へと入りアズトへ就寝前の挨拶をして静かに戸を閉めようとしたが、アズトが玄関口の敷居を跨いできた為に閉めることが出来ずにいる。


「本殿にお戻りになられないのですか?」


 玄関口の敷居内に入ったアズトは体を夕凪の方に向けたまま、左手を後ろに伸ばして戸をピシャリと閉じて、呼び掛ける夕凪の声を無視して離れの廊下を進む、ある一室の襖で立ち止まった。


 アズトが立ち止まった襖。その襖の向こうは夕凪が志ノ沙山へと運び込まれて初めて目覚めた場所、そして己の部屋として与えられた一室でもある。


「どうなされたのですか?」


 夕凪はアズトが突然、自分の部屋に向かうという行動に驚いていた。

 そんな夕凪を他所にアズトが部屋の襖を両手で左右に開く。

 開かれた夕凪の部屋の一番奥の障子から月明かりが漏れて物が少なく綺麗に整頓された部屋の中をほの明るく照らしている。

 部屋の中央には布団が敷かれていて、その近くの座机の上には飲水が用意されていた。


 寝ようとしていた痕跡が一応ある。寝付けないというとは本当なのかもしれない。

 

「夕凪、布団の上に座って」


「えっ…布団の上にですか、まさか…」


 夕凪は少し顔を赤らめて視線を泳がして、何故かソワソワしている。


「三日に一度の怪我の様態をみれて無かったから今からみる」


 夕凪の部屋に置かれた茶箪笥には直ぐに診察出来るうにと医療品が常備されている。

 その戸棚の中から包帯と塗り薬を取り出すアズトから告げられた言葉に夕凪はガックリと肩を落とした。


「…そういえば、そうでしたね…本日は診察されていませんでしたね…では、アズト様。お願いします」


 夕凪が志ノ沙山(ここ)に来てから約三日に一度、アズトもしくは三重によって怪我の様態がどうなっているのか経過観察されていた。

 アズトから遅い本日の診察を聞かされた夕凪は布団の上に正座し浴衣を寛げて包帯が巻かれた上半身を露にする。


 アズトは慣れた様子で淡々と夕凪の包帯を解いていく。解かれた包帯の下にある腹部と背中に刀傷は、今や塞がり薄らと桃色に暑っぼたく膨らんでいる。だけど、背中にはアズトがくい込ませた半月状の爪跡がびっしりと追加されていた。


「傷口も綺麗に塞がって大分薄くなっている。この調子でいけば、きっと傷跡は残らない…と思う。あと、背中の爪跡はボクが悪い。塗り薬を塗っておくよ」


 お腹と背中の刀傷、そして背中の爪跡にも塗り薬を塗って新しい包帯を巻いておく。

 完治まで、あと少し。漸くここまできた。


「アズト様はお優しいのですね」


 処置を施されながら夕凪がふっと笑って呟いた。


「違う。優しい訳じゃない。死なせてはいけないから死なせない為の配慮してるだけだ」


 アズトは頭を軽く振って否定する。明らかに違う。

 優しいのではなく冷淡な態度の間違いだ。


「…そうですね。では、訂正します。アズト様は確かに優しくはありません。ですが、私を丁寧に扱ってくださいました」

 

「丁寧…?」


 再び記憶を辿るが夕凪を丁寧に扱った記憶が何処を探しても見当たらない。

 この狐、襲撃を受けた際に妖力阻害の呪詛と治癒阻害の毒を受けるだけに留まらず正常な記憶回路も大きな打撃を受けたのだろうか。


「私の怪我を看る時や用済みの包帯を取り替える時は、壊れ物を触る様な手つきで触れてくれますよね」


「力加減が分からなかったからだよ」


 夕凪がここに初めて来た当初、身の回り世話は基本的にアズトが担当していた。

 例え、死にかけで弱っていても妖力を呪いによって大きく弱体化されていても上位種の妖。 三重に何かしら危害を加える可能がある。


 それを踏まえると三重を必要場面以外で近づかせるは控えたかった。そうなれば世話をするのはアズトだ。


 妖は人間より丈夫だとしても死にかけの状態。

 そして妖の知識が多少なりとも存在しているとて長らく三重以外の誰かと接して来なかったアズトにとっては未知の生物との出会いに等しいのだ。


 力加減ひとつで更なる怪我を負わせてしまっては治癒が遅れてしまう。

 生かす為に連れてきたのに、それでは本末転倒だ。


 だから、極力そっと静かに触れた。


「私にとってあの触れ方は心地良かったのです。それにアズト様は私との距離を取ってこそいれど、肝心な箇所では、決して私を無視もせず否定もしなかった」


「ボクが自分の都合で動いただけだ」


 負傷した妖であること以外の素性を知る必要は無かったし、今だって、それ以上を知ろうともしていない。


「名を与えてくださったこと。本当に嬉しかったのです」


「妖は人間以上に名前を重要視しているものなんだろ。術に関わるかなんかで」


「えぇ。禁術として指定されている術の中には名が密接に関わってきたりします。ですから名前、特に真名は大事なものなのです。術に使れる。そうでなくとも名前は個を示す表現として大切なものでしょう。妖にとっても人間にとっても」


「…そうだね。うん、そうかもしれない。だけど、君、これで本当に良かったのか」


名の重要性を謳いながら。

 出会って間も無い見ず知らずの相手、それも冷たく接してくる相手に自分の名前を、仮の名前と言えど決めて貰うのは警戒心とか危機管理が不足しまくっている。


「良いのです。私が望んだことです。私は貴方から名付けられたかった。そして、とても気に入っていているのです。貴方様から与えられた夕凪という名を」


 夕凪が藍色の目を細めて薄らと笑う。大切な宝物を手にした子供みたいに。


(ボクよりも三重に名付けて貰った方がずっといいだろうに)


「頑張った甲斐がありました」


「……しつこかった。君、本当にしつこくてしウザかった」


 アズトは仮の名前を付けるまでの攻防戦を思い出してげんなりした。


朝から晩まで。おはようからおやすみまで。

 毎日毎日懲りずに期待の眼差しと共に付き纏とわれた。

 何処に居ようとも何をしようともアズトを探して寄ってくる。正直にウザかった。


 結果、最終的に根負けしたのはアズトだ。


「ふふっアズト様。妖狐の執着・執念・執拗の深さは妖の中でも鬼や竜、狼と並んで抜きん出ていますから侮ってはいけませんよ」


「へぇ、そうなんだ」


 そんな面倒な性質を持つ種族が他にも三種族も存在しているらしい。


「実は私、一族内ではとても慎ましやかな妖狐という評価なんです」


「じゃあ、ここでも慎ましやかなままでいてくれ」


「慎ましやかな妖狐だったのですが、ここにいると己もやはり妖狐なのだと自覚してしまいました」


「……それは君にとっていいことなのか」


「経験したことの無い複雑な感情が心の中で絶え間無く蠢いています。ですが、決して悪い気分ではありません。赤子が母体の胎内から外に出て初めての世界に産声を上げていると様なものです」


「その例えはアズトにとってワケわからないのだけど」


 赤子。夕凪は幼児退行しているとでも言いたいのだろうか。


「全て、全てアズト様のせいですよ」


 とんでもない責任転換をされた。

 受けた毒と呪いの副作用かもしれない三重に対処法を相談してみるしかない。


 そうじゃなかったらどうしよう。どうしようもない。


 そんな思考がグルグルとアズトの思考回路を占拠している。


 疲れた。アズトはがっくりと肩を落とす。


 そもそも怪我が回復したら居なくなる奴に対してこんな風に思考しているのだろうか。


「…はぁ、ボクの理解の許容範囲を超えて疲れた。診察も終わったし離れを立ち去るよ。夕凪、君は体をこれ以上冷やすな。寝て、寝てくれ。例え寝付けなくても布団に潜って大人しく夜を過ごして」


 アズトは片手で頭を抑え、げんなりとしながら夕凪に寝るようにと嘆願する。


「えぇ、そうします。アズト様、本日は有難うございます」


「礼を言われるような行動をした覚えが無いのだけど」


 避難されるなら理解出来る。直ぐに治ってしまうような軽い傷ではあるけれども夕凪に新しい傷を付けてしまった。


「お気になさらす。アズト様にとってはそうでも、私にはあるのです」


「そうか」


 本人がそう思ってるならもういいや。

 アズトは立ち上がって襖を開けて出ていく。


 すたんと閉められた襖が閉まる音が夕凪の部屋に響く。


「アズト様、おやすみなさいませ」


 閉められた襖に向かって夕凪が声を掛ける。


「…うん、おやすみ」


 閉じられた襖の向こう側からアズトの声が返ってきた。


 アズトからのおやすみという言葉。


 夕凪は一瞬、目を丸めた後、小さく微笑んで布団の中に潜ってゆっくりと目を閉じた。

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