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黄昏の境でお別れを  作者: 星畑ゆすら
金木犀の屋敷
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不可解な感情理由の一端2

 視界に映る何もかもが歪んでいる朧気な景色の中。


 その景色の中で初めて出会い、無機質で透き通った声を耳が拾い上げて、すべやかな手が体に触れたあの日。あの一瞬で己の中の何かが内側から塗り替えられた。


 忠告をされただけ。痛めつけられた訳でもないのに己の全てを余すことなく恐怖で支配される。

 心の底から恐ろしさで凍てつくと同時に今まで感じたことのない相反した熱量が生まれて胸が酷く高鳴って苦しい。


 苦しい。苦しくて仕方が無いというのに、その苦しさが心地よい。


 想い返せば、あの瞬間から己の胸を占める不可解な感情に自ら囚われにいったのだと思う。





 現在、アズトは昼食を済ませて屋敷を離れている。


 残された夕凪と三重は予定通りに残っていた茎取り作業を無事に終わらせていた。



「夕凪さん…おーい、夕凪さん、金木犀の茎取りは全部終わったのだから、その笊の中には何も残っていないわよー、空気ぐらいしか掴めないわよー」



 夕凪は上の空といった様子で茎取りを終わらせて何も残っていない空っぽの笊に手を伸ばして、何も掴んでいない手で終わったはずの茎取りの動作を繰り返していた。


「…はっ、三重様。申し訳ありません。ぼうっとしてしまい」

 

「面白いから大丈夫よ。ぼうっとしていても、夕凪さんはちゃんと作業はしていたわ。器用なのね」


「申し訳ありません、直ぐに作業を開始します!」


「だから、もう終わっているわよ。落ち着いて」


 三重の呼びかけに反応して上の空だった夕凪の心は慌てて現実に戻ってきた。

 夕凪がこうなった原因は決定的で、今は離れているその原因を頭に浮かべながら三重は苦笑めいた表情で夕凪を宥める。


「その…アズト様にあの様に触れられるのとは、あまりにも予想外でして」


「嬉しかったの?」


「驚愕が大きく、他の感情が追いついて来ません。アズト様が私を撫でたのは白昼夢なのではと疑っています」


「あたしもあの場に居合わせて、しっかりと目撃しているから白昼夢では無いわ。ちゃんとした現実よ。安心して実感して頂戴ね」


「現実…ちゃんとした現実…」


 そう呟いて、夕凪はアズトが撫でた自身の灰金色の髪に左手をおいてゆっくりと何度か撫でる。アズトの手の感触を追憶しながら。


 ぎこちなく自身の髪を撫でるアズトの手。間違いなく夕凪に贈られた真っ直ぐな視線と言葉。


 現実。あの感触が現実だと自覚すればするほど、むず痒くてもどかしい熱がジリジリと胸の内側を焦がしていく。



「あら、真っ赤ね。今なら金魚か猿に林檎、鬼灯にでも化けられそうね」

 

「からかわないでください」


 夕凪の顔は赤く染まっている。赤くなった顔をこれ以上晒すのが耐え難くなったのか両手で顔を覆い隠す。


「ふふっ楽しくてつい意地悪しちゃったわ。良かったじゃない。あたしの想像した以上の早さでアズトの方から必要最低限の世話以外の目的で夕凪さんに触れたのだもの。ずっと望んでいたのでしょう」



 そうだ、望んでいた。


 __必要最低限の世話以外での接触。


 声を掛けようとする前に手を伸ばして触れようとするその前に、一定の距離への立ち入りを許さずに遠ざかる姿。


 その距離をどうにか縮めようと必死に追いすがった。


 胸の内から湧き出るアズトを知りたい触れたい話したい気持ち。胸の内に巣食うこの欲望の名前が分からない。だけど、この不可解な欲望は行動の原動力となり夕凪を突き動した。


 それがやっと報われた。長かった。本当に長かった。


 

 三重は速かったというけれど、ここまで来るのに三十日以上が経過した。


 妖である夕凪にとっては本来あっという間に過ぎ去ってしまう短い日数。それなのに、アズトに相手にされず袖にされ続けた三十日程が短くも酷く長い日々に思える。

 


 己がこの屋敷に居られる期限は傷が癒えるまで。


 夕凪の傷が癒えて妖狐一族の元に戻った後に志ノ紗山には再び立ち寄ってはならぬという。

 それは命の恩人達である三重とアズトが決めた決定事項。

 夕凪にとって傷の治りが順調であるのは喜ばしいくも同時に悲しいものだった。


 

 一族での己の立場を顧みれば、何時かは戻らなくてはならない。


 それでも、いつかはここを離れてしまうのがとても名残惜しい。己を鮮烈に惹き付けるアズトの存在だけが理由では無い。

 アズト、三重と共に過ごす志ノ紗山での日々をとても気に入ってしまのだ。


 一族の元に戻ろうとも、ここでの日々を失いたくは無い。


「三重様…」


「何かしら?」


「もし、私の傷が癒えて、ここを立ち去った後に御二方の言いつけを破り、再び会いに志ノ沙山に来た場合はどうなるのでしょうか」


 顔を両手で覆っている夕凪の表情は見えなかったが、両手の隙間から零れてくる声色には切実な音が混じっている。



「そうね…生きてこの屋敷に辿り着けるとは限らないわ。夕凪さんもご存知の通り志ノ沙山に黄昏時に入山すれば神隠しに遭う。だけど実は誰しもが神隠し遭う訳では無いのよ」


「では、何が神隠しの対象となり得るのですか?」


「何も黄昏時に入山する妖や人間、その他が片っ端から神隠しに遭う訳では無いわ…適正…志ノ沙山に好き嫌いがあるとでも言えばいいのかしら。山に気に入られば神隠しに遭う。気に入られない場合はいつの間にか山の麓に辿り着く。だけど、気に入られなかった者の中には体の一部が何処か切り取られて山の入口にいる場合もあるわ」


「つまり私は志ノ沙山による神隠しの選別途中で運良くアズト様に発見されたと」


「えぇ、例えるならね。夕凪さんは気に入られているていると言ったところだわ。夕凪さんみたいに入山した者達を保護して無事に山の外に送り出すのも守り人としてのあたし、あたしを手伝ってくれているのアズトの役目だったりするわ」


 志ノ沙山に入山した者は神隠しに遭わない場合でも何かしらの被害を受ける可能性が高い。

 夕凪はアズトに発見されたから今此処にいる。


「仮に私が再び入山したとしても、アズト様は私が神隠しに遭う前に見つけてくださるのでしょうか」


「アズト次第だと思うけれど、その可能性に賭けるのは辞めた方がいいわよ。何事も必ずとはいかないもの」


「…左様ですね。でも私が再び御二方のいらっしゃる屋敷に辿り付けくのは、決して不可能ではないのでしょう」


「あら、本当に諦めが悪いのね。夕凪さん」


「えぇ…本当に。自分でも驚いてます」


 手の平から顔を上げた夕凪は顔に自嘲めいた笑顔を浮かべ深く同意した。

 あの日、アズトが黄昏時の志ノ沙山で死にかけている己を拾わなければ、今の己の内に燻る感情を知る余地もなく死に絶えていただろう。


 己がここまで諦めが悪くなってしまったのはアズトに出逢ってしまったからだ。

 この感情を胸に宿してしまったからには、もう元には戻れない。


「ですから、此処を離れても私はいつか再び三重様とアズト様の元を訪れます」


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