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黄昏の境でお別れを  作者: 星畑ゆすら
金木犀の屋敷
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金木犀の屋敷2

 


 重症だった狐が意識を取り戻してから、約七日が経過した。


 怪我を治す為に、体を動かさず療養の日々が続く。


 背と腹に刻まれた刀傷は、跡は残っているが膿こと無く無事に塞がった。体中を駆け巡っていた痺れは、ほぼ無くなり体の融通もかなり効き声も出せるようになった。


 その中で視界だけは依然として、回復しておらず狐は朧気な景色の中にその身を置いていた。



「狐…」




「如何されました?」



 狐の怪我の具合を見ていた人影が、声を掛けてきた。いきなり声を掛けられて、狐は驚きから耳をピンっと立ち上がらせ目を丸くしながらもその声に応じた。

狐にとって人影の方から話しかけられる事が珍しかったのだ。


 視界が回復しておらず、ぼんやりとした景色の中で自分 の近くに人影が映っている。狐は、自分の世話をしてくれるこの人影の名前を知らない。



 狐の身を恐怖で震撼させた警告以外に、人影は自分から狐に話しかけるなどは一切しなかった。包帯を変える時も、食事を運ぶ時も声掛けの前置き無しで行われる。勿論、世話が一通り終わって立ち去る時もである。名前を聞こうと試みたが取り付く島がなかった。


 視界が働かない以上、襖の開閉する音のみが、狐にとって人影の訪れと退去を報せる合図となった。



「三重が君に会いにくる。」


「…三重、この屋敷の主の名でしたね」


 三重。その名前を狐はしっかりと記憶していた。



『…ただし、三重に危害を加える様な事があれば容赦なく追い出す』


 忘れもしない警告にあった名前。

 自身が療養している屋敷の主であり、この人影が大切にしているであろう相手。



「そう、この屋敷の主だよ。」


「大丈夫です。誓って、命の恩人である方々に危害を加えるような無礼な真似は致しません」



 どこか躊躇いがちに話す人影に、狐は真剣な口調でハッキリと危害は与えないと宣言する。


  三重に危害を加えれば、間違いなく狐はここを追い出される。怪我も完全に癒せてない状態で追い出されてしまえば、今度こそ何処ぞで野垂れ死ぬ可能性が高い。

 自身の命が惜しいという意味でも、三重に危害を加えるなど、もってのほかである。



「………」


 狐の返答に、人影は思い悩んでいるみたいだ。


 その時、狐と世話をしてくれている人影がいる室内に勢い良く襖が開く音が響き渡った。


「あらあら、まぁまぁ。かなり元気になったわね!初めまして、アズトから聞いていると思うけれど私は三重というの」


 少し歳を感じさせるが、芯の通った声が意気揚々と挨拶してきた。


「…三重、まだ来ないでって言った」


「だって、いつまでたってもあたしを呼んでくれそうにない空気だったもの。あたしから出向いた方が早いわ。それに、何度も狐さんに挨拶しようとしたのに、アズトがあたしの邪魔するのがいけないのよ」


「三重、危ない目に遭うかもしれないのに」


「指…じゃない…尻尾1本振る元気もない死にかけにどうこうされるほど、私、落ちぶれていないから安心なさい」


「相手は、ただの獣の狐じゃなくて、それなりの力ある妖狐なのだけど」


 強気にでる三重に人影は、呆れていた。

 この人が三重。狐は、もっと威厳ある性格の持ち主を想像していただけに、想像とは違う性格に緊張が解けてしまった。


 気を持ち直して、狐からも挨拶をする。


「…初めまして、三重様。お初にお目にかかります。この度は私の命を助けて頂き誠にありがとうございます」


「えぇ、どういたしまして。…死にかけの貴方を拾ってあたしの屋敷まで運んできたのはアズトだから、狐さんの命の恩人はどちらかというとアズトに当たるわ」


「三重様、1つお尋ねしても宜しいでしょうか?」


「どうぞ」


 三重と人影の会話の中に、とても気になるものがあった。

 狐が知りたかった人影の名前。


「そのアズトというのは、もしや…」


「えぇ、狐さん。死にかけの貴方を志ノ沙山のあたしの屋敷へと運び、ずっとあなたを看病してくれてたのがアズトよ。…アズト、もしかして名前を教えていなかったの?」


「…名乗る必要性を感じなかった」


 三重からの質問に、人影、元いアズトは面倒くさそうに答えた。


「名乗る必要性はあるでしょう、アズト。この狐さんが混乱するじゃない」

 

「……」


「あぁ、もう!そっぽを向かないの!」


 狐にとって恐ろしかったアズトが三重の前では、まるで子供のようで、狐はどこかムズムズとした不思議な気持ちで2人のやり取りを耳にしていた。


「あ、そうだったわ!」


 三重が忘れていた何かを思い出しかのか、ぱんっと手を叩く。


「狐さん、私が貴方に会いに来たのは、挨拶しておきたかったのも勿論あるけど、1番は怪我の様態を見に来たかったの。調子はどうかしら」



「えぇ、お陰様でかなり良くなりました。」


 三重に狐は嘘偽りなく今の様態を伝えた。

 受けた傷の治癒には元々の回復能力が高い自分でも動けるまで数ヶ月は費やすと思っていた。


 それを、七日。たったの七日でここまで回復した。

 本調子には遠いが、信じられない早さだ。



「ただ、視界がまだ戻りません」


「そう、ありがとう。分かったわ。…私が狐さんに会いに来たのは、挨拶したかったのもあるけれど。一番の目的は狐さんへのお薬を持ってきたの。アズト」



 三重がアズトに呼びかけると、コトっという音がした。続いて液体が注がれる音がする。狐の眼前に杯を置いて薬を注いだのだろう。


「それを飲めば、狐さんの身体に巣食う呪いと毒、呪いの方は少し残るけれども、毒の方は無くなると思うわ。私の調べでは、狐さんの視力回復の妨げになっているのは、毒が原因だったの」


「三重様は、随分とこういった物に詳しいのですね」


「あら、褒めてもこれ以上は何も出てこないわよ」


 狐は、鼻ですんすんと薬の匂いを嗅いてみた。

 薬特有の独特な臭いは一切しなかった。変わりに、蜜と芳醇な金木犀の香りが混じった酒の匂いがする。

 薬だと説明されたが、どう考えてもこれは薬では無く酒だった。


「三重様、あの…これは、薬では無く酒では?」


 躊躇いがちに、狐が三重に言った。


「酒は百薬の長というわ!大丈夫、美味しいお酒でもあるしちゃんとした薬よ、安心して飲みなさい!」


 三重は、「安心なさい!」と太鼓判を押す。


 三重に勢いよく目の前のそれを飲めと勧められた狐は、眼前に置かれた杯に注がれている酒…いや、薬に舌を這わせる。


 金木犀の香りが溶け込んだその薬は、クセも無く少しトロリとしていて程よい甘みと後味に蜜のコクと風味が、狐の口内一杯に広がり喉を通った。


「…美味しいです、とても」


 飲み干した狐は、味の感想を簡潔に呟いた。


「ありがとう、嬉しいわ。それ、私とアズトが造った自慢の品よ」


 簡潔だが、味を褒められた三重は嬉しそうに笑った。


「ふふっ私の見立てでは、それを飲んで次の朝、狐さんの視界は元に戻るはずよ」


「本当ですか!?」


「ええ、一応は。ふぅ…挨拶も薬も飲ませる事が出来た訳だし、私の要件は済んだわ。そろそろお暇させて貰うわね」


「ありがとうございました」


 強めに襖が閉まる音が響く。三重がこの場から立ち去ったらしい。


 少し話しただけだが、三重は妖狐一族の現当主に何かが似ていると狐は思った。



「…狐、三重が伝え忘れているみたいだから、一応補足を入れておく。次の朝、視界は確かに戻るだろう。だけと、薬が体の毒を追い出す過程で今夜は苦しむと思う」


「苦しむとは…アズト様?」


 返って来たのは、声では無く、三重が立ち去った時よりも静かに閉められた襖の音だった。


 その言葉を最後にアズトもこの室内から居なくなったらしい。

 






 そして、その夜。


アズトが宣言した通りに狐の体は何処も彼処も熱を帯びた。全身の血脈が暴れて呼吸することさえ、とても苦しく感じる。


どんなに身を捻ろうとも決して逃げられない熱に悶え苦しむ。その苦しみは朝方まで続いた。









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