碧仁からのお願いと取引2
「・・・・・・」
「存在を知ってはいるだろう?唄鳴について、息子らがお前に語っているのを私は知っているからね」
「正気を保てなくなったとかで幽閉される予定であるのは知っている。けれど、それとアズトになんの繋がりが?」
「関係大有りだとも」
碧仁は身を乗り出して、嘘を感じられない真剣な眼差しを持ってアズトの顔を覗き込んだ。
それから、触れるか触れないか程度の距離でアズトの胸元を指した。
「お前の処遇でかなり揉めていて、その結果次第では唄鳴の幽閉が後回しになるんだ。理由としてはお前を大掛かりな方法で裁くつもりでいるからかな」
「大掛かり?なにか拷問でもされるの」
「まぁ、それも踏まえた極刑に処すっというところだね。私としては出来るだけ、ながーく揉めに揉めて貰って、その間に唄鳴の幽閉撤回を成立させたい」
先程から近かった碧仁の顔が更に寄ってくる。下手をすればお互いの鼻先が当たりそうだ。
いい加減にしろと思い、目の前の顔を退かそうとしたその時に碧仁の口が開いた。
「いいかい、アズト。お前はこのままでは夜仰妖洞に送られてしまうよ」
志ノ沙山に重きを置き、それ以外では限られた者と場所に僅かな交流しか持たないでいたアズトは外の世界、ましてや妖の世界には疎かった。
夜仰妖洞がなんなのか、アズトは全く知らない。
なにそれ?と。いまひとつ理解していなさそうなアズトの様子をみた碧仁は笑みを一つ零して、よくお聞きと簡単な説明を与えてきた。
その表情と声色は出会い頭にこちらを揶揄っていたときとは、打って変わって真剣なものとなっている。
「夜仰妖洞は妖狐一族が管理し当主の住まう城の地下深くに存在する途方も無い瘴気と呪いが渦巻いてる洞窟でね。そこらの有象無象の妖や人間なんかでは入った途端に瞬く間に死に至る。例え奇跡的に生き延びたとしても長くは持たないし、妖にとっては生きているのが耐え難いと思える程の後遺症が残る。要するに、夜仰妖洞送りというのはね。葉明岐尾においてはある意味で死よりも重い罰にあたるんだよ」
こうやって、実際に聞かせられるとあの女妖たちの噂話はまぁまぁ合っているんだなと思考の片隅で思った。
それしても、かなりこじつけが過ぎる気がするというか。兎にも角にもアズトからすれば冤罪でしかない。
「お前の夜仰妖洞送り。私の息子たちを加害したという名目で、これを強く推し進めているのが炉淡殿だ。お前のことがよほど目障りであるらしい」
「そう」
神隠しの山の欠片が納められた木箱を壊れないようにほんの少しの僅かな力で握りしめる。
夕凪を取り巻く厄介事に巻き込まれただけだと思っていたのに、アズトの想像を悪い意味で超えていた。
「そうって、感想それだけかい?」
そんなわけがない。後から後から疑問が湧いてくる。
炉淡の目的が志ノ沙山にあるなら、夕凪が志ノ沙山に取り込まれやすい性質を持っているのを予め知っていて、今まで変化がなかった状況を動かす為の呼び水として使われたのか。
だったら、アズトが山を降りて志ノ沙山の守りが手薄になったと同時に夕凪の役目は終わっているのではないだろうか。
⋯仮に口封じだったとして、どうして夕凪はあそこまで執拗に命を狙われているのだろう。
鳥居の件もそうだ。あんな大掛かり且つ不安定なものを用意する必要があるのか。
この破片だって、本来は三重⋯いや、暈根の一族が管理をしていただろう。流出経緯は?
アズトが三重と出会う前からではあるだろうけれど、いつから、この計画は練られていたのか。
このままだと、アズトは──
「そう悩まないでおくれ」
穏やかな声にある思考に沈んでいたアズトの意識が引き戻される。
すぐ目の前には、先程押し返し損ねた碧仁の顔があった。
「私もお前が謂れの無い罪でそのような惨い仕打ちを受けぬように手を尽くすつもりでいるよ」
こちらを気遣い安心させようとしているのが伝わってくる柔らかな言い方。
だけど、それに反して狙っている獲物がもう少しで仕掛けた罠の術中にうまく嵌ってくれる。
そんな期待めいたようなものを向けられているのをアズトは感じとった。
これ以上、ここに閉じ篭って悩んだって仕方がない。
もっと、得るべきなんだろうなって思った。
葉明岐尾での、これからのアズト自身の選択。
それを決める為の判断基準となるものを。
決意を固めて胸元にあった碧仁の手を掴み、そして肩を押して今度こそ引き離す。
碧仁は優しげな表情を纏ったままの顔で、特に抵抗などもなくあっさりと退いた。
「そちらは唄鳴の幽閉を回避したい。アズトは、ボクは炉淡による志ノ沙山への手出しをやめさせたい。その為には、このまま現状が進むわけにはいかない」
「その通りだね」
「わかった。いいよ。それで、アズトに何をして欲しいの」
正座をして、改めて碧仁と向き合ってお願いごとを問う。
アズトの問いかけに碧仁は嬉しそうに口元を綻ばせた。
「アズト、お前には私の側仕えに扮して炉淡殿が所有している霊境のありかを探し出して貰いたい」
「⋯霊境、⋯側仕え?」
「唄鳴を取り戻す為には、どうしても必要な代物なんだ。探しものをするにしてもお前のここでの立場は大人しく処刑を待つだけの不自由なもの。動き回る為の立場が必要だろう?」
「それは、そうだけど」
その時、アズトは部屋の外から妖が結界を通り抜けて静かに床を踏む気配を感じ取った。
感覚的にあの噂話が好きな女中の妖たちとは違う妖だ。
「私としても理由をもっと詳しく話してあげたいのは山々なんだけど、何せ今回の件で招集がかけられていてね。時間が迫っている。そろそろ行かないといけないんだ」
チリンチリンと澄んだ鈴の音がする。
「あぁ、ほら。ちょうど呼びにきたみたいだね」
「碧仁様、お客様。お取り込み中のところ失礼いたします」
「構わないよ。入っておいで」
碧仁からの許可が下りると、この部屋に貼られていた結界が一時的に機能が停止した。
だけど、碧仁が来たときみたいにこの部屋の天井に釣らされた鈴に反応はなかった。
開いた襖からは小柄な狐妖が正座でお辞儀をしていた。
「御当主様はまだお見えになってはおりませぬが、他の皆々様におかれましては既にお揃いになられたご様子。碧仁さまもお早く参列を」
「わかっているさ。そうせっつかなくとも、私も今から向かうところだよ」
会議に出向けという呼びかけに応じて立ち上がった碧仁は襖に手をかけて出ていく前に、あぁ、そうだ。とアズトを振り返った。
「私がお前に感謝はしているのは本当だよ。それは忘れないでおくれ」
「別にいいよ。感謝だなんて」
「そうはいかないさ⋯ねぇ、後悔している?私の息子を助けたこと」
「ない、それはない。後悔なんかしていない」
即答する。その質問にアズトは迷いなんてなかったから。
「夕凪にも言ったけれど、夕凪の命を助けたのはこちらの都合だ。例え、夕凪がそのまま死にたいと願っていたとしても変わらずに、その命を拾った筈だよ」
「名をつけていたのだったね⋯そうか。でも、ありがとう。お前が違うと思っていようと息子はとても良い出逢いを持てた。親として喜ばしく思うよ」
悪ふざけなんかじゃない、企みが上手くいったときの笑みでもない。
たぶん、どこか安心したような顔を一瞬だけ、碧仁は浮かべた。
「では、アズト。この会合が終わったまたあとで」
それから、直ぐにアズトに背を向けてこの部屋から出ていった。
アズトは会合に向かうその背を視界から消えるまで見送って、再び結界が張り巡らせされた部屋で静かに目を閉じて寝転んだ。




