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黄昏の境でお別れを  作者: 星畑ゆすら
金木犀の屋敷
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金木犀の屋敷1

 甘くて芳しい香りが鼻を擽る。

 この香りは…金木犀?


 体全体を優しく包み込むが如く匂い立つ金木犀の香り。その甘く品の良い香りに釣られる形で、長い間、深い闇の中に沈んでいた意識も浮上した。


 一族当主からの直々の命で、父の昔ながらの古い友人に贈り物を届け帰路に就いていた。その途中で何者かに襲撃された。

 襲ってきた不届き者は八名ほど。全員、返り討ちにしたが、こちらも大きな痛手を被ってしまった。


 不届き者どもから受けた刀傷からの急激な多出血によって、徐々に意識は遠のいて眼前は真っ暗に暗転した。ここから先の記憶は無い。



 ここは、何処なのだろう。


 気づけば、本性である獣…狐の姿で敷布団の上に寝かされている。気を失う前まで、感じていた噎せ返るほど濃かった自身の血の臭いがかなり薄くなっている。血で汚れて気持ちが悪かった体は綺麗に洗われている様だった。

 傷口には包帯だろうか、布で巻かれている感覚がある。


 状況を探る為に、獣の姿から人の姿に変化して動きたかったが、体に力を入れると痺れる様な痛みが体中を駆け回る。視界も少し霞んでいて、ぼんやりとしている。


 悔しいことに、人の姿に化けるどころか体を動かすこともままならなかった。



「起きたんだね、君は志ノ沙山の麓に倒れていたんだよ」


 突如として、すぐ 隣りから少年なのか少女なのか分からない、若く中性的で心地の良い声を耳が拾った。


 全く気配に気がつかなかった。


 虚を衝かれて即座に警戒心を張り巡らせる。

 声が聞こえた方向に振り向き全身の毛を逆立てながら唸り声を上げて声の主を威嚇する。


 視界を始め体の制御が上手く効かない。

 ぼんやりとした視界には、顔の判別は出来ぬが人影が映っていた。

 誰が敵か味方なのか分からない状況下では、情けない事にこのぐらいしか出来なかった。


 しかし、此方の警戒など意に介さず「威嚇する元気は取り戻したんだね」と呟いた後、その影は淡々と言葉を紡いだ。


「君、妖狐だろう?それも結構上位種の」


 自身の正体を当てられて、伏せていた耳が思わずピンっと立ち上がる。


「君のような妖は人型に化けられるのだうけど、今は無理だ。君が受けた刃に呪いと毒が混じっていた。其れが原因で、君の妖力が不安定になって痺れる様な痛み・不倦怠感に襲われて体が動かせない、変化が出来ない等の障害を起こしている」


 正体を理解されている。人の姿に出来ない原因も理解されているとは、何者だ?

 妖の気配では無い。ならば、人間だろうか。


 まさか…襲撃を仕掛けた不届き者どもの仲間か?


 手も足も出ない、何も出来ない現状では、この声の主に自らの命運を握られているのも同然だった。


「ここは、志ノ沙山の奥地にある三重の屋敷だ。屋敷には、ボクと三重、そして狐。君を含めてボクたちだけしかいない。君に重症を負わせた奴らはいない」


 君に重症を負わせた奴らはいない。


 語りかけてくる声は淡々としていて、信用する判断材料とするには、まだ早いがこの言葉が意味するのは、今いるという場所は安全圏という事だ。


 …志ノ沙山、神隠しの山と囁かれている噂については耳にしたことがあった。

 帰路の途中には、確かに志ノ沙山の近くを通る。


 一先ず、自分が何処にいるのか把握が出来た。


 威嚇していた唸り声を止め、逆立っていた毛も落ち着せて語りかけて来る冷淡な声に耳を傾ける。


「狐、君の傷が癒えて十分に動ける様になるまでこの屋敷にはいて良いと、屋敷の主である三重は言っていた。だから、ここにいて構わない」



 不意に、頭を手で撫でられる感触がした。不覚にもその手の心地良 さに目を細め掛けたそのとき…手は真っ直ぐに狐の面長な顔を滑り鼻に触れ顎の裏を通り、そして、急所である喉笛に触れた。



「…ただし、三重に危害を加える様な事があれば容赦なく追い出す」



 耳元で声を低くして囁かれた、その忠告に狐は全身の血が凍りつき、心臓に見えない剣を突き立てられる様な恐怖を感じてゴクリと息を呑む。


 生まれて初めて、恐怖の感情によって時間が止まったかの様な錯覚に陥った。


 やがて、喉笛に触れていた手はそっと引かれ、少し間を開けてから…遠くで、すたんと襖を閉める音が聞こえた。先程まで傍にいた人影は去ったのだろう。


 

 その音を合図に、この場には己意外いないと悟った狐は、止めていた息をそっと吐き出した。


 体が恐怖で凍えているのに、心臓は他人事の様に酷く五月蝿かった。



 上位種の妖である自分を、ここまで恐怖を感じさせる相手を狐は恐ろしくて仕方が無い気持ちを抱くと同時にとても興味が沸いた。


(視界が元に戻ったら、1番にあの人影がどんな顔をしているか見てみたい物だな)


 触れてきた手は滑らかで、話し掛けてきた声は中性的で心地の良い物だった。その様な手と声を持つ者が、大きな男性というのは有り得ない。

やはり声の特徴からして年若い男か女だろう。


…妖の気配がしなかったから、人間だと判断していた。しかし、己にこれ程の圧を掛けられると考えれば、人間と言うのも可笑しい。


 会ってはいないが、三重という人物をとても大事にしている様だった。その三重に危害さえ加えなければ安全は保証されていると声の主は言っていた。

 危害を加える気は毛頭無い。あの人影との間に荒事が起こることは無い筈だ。


 一方的に此方ばかりが振り回されるのは、何故か歯がゆかった。怪我が癒えたら、あの人影の顔をみて、知って…それから…


 狐は、昂っていた心臓が落ち着くのを待ちながら、これから先をあれこれと考えていたが、次第に強烈な眠気に襲われて眠気に抗うのが難しくなってきた。



 やがて、金木犀の優しい香りに包まれながら、うっつらうっつらと眠りこけて、夢の淵へと旅立った。





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