芽生えは何の為
ふかふ白金色の毛に覆われている細長い少し湿った鼻先に触れる。
手触りは悪くない、短いけどふかふかしてる。
そのまま、手を上に滑らせる。その動作を幾度か繰り返すと敷布団の上にいる巨大な狐、人の姿を解いた夕凪だ。(体躯がデカ過ぎて1枚では、敷布団からはみ出すから2枚敷いた上に乗っかている)
夕凪はご機嫌なのか、気持ちよさそうに目を細めて喉をぐるぐると鳴らしている。
数刻前に人化の術を解くのを散々渋って泣いていたのが嘘の様だ。気分の変わりようが激し過ぎるでは無いのだろうか。
他の誰かと比較しようにも、普段三重以外の誰かと関わって来なかった今のアズトには比較対象がいない。かと言って三重を比較対象として引き出すのは違う気がする。
この場所に来てから、三重以外の誰かと時間を共有するのは。久しぶりだと今までを振り返ってアズトは思った。
「夕凪、君さ…ボク、アズトに対して変な要求ばかりするね」
アズトの言葉にピンと耳を反応させて、掌に頭を擦り付けて来る。
少し止めていた手の動きを再開させろという催促らしい。
夕凪の願いに沿ってアズトは撫でる手つきを再開した。
「アズト様にとっては変な願いかも知れません。ですが、私にとっては、とても重要なのです」
「個々によって大切な物は違う。例え、理解出来なくてもだね。君との幾度かの問答で、最近、何となくと思い出したよ」
「最近…思い出した?」
ほぼ無表情ではあるが、アズトは何処か懐かしんでいる様に見える。
「ボクは三重とある誓約をしていて、それを叶える為に志ノ沙山にいる。それ以外、他を見ていないし関わる必要性を持ちえないんだ」
「そう…ですか、アズト様が、」
夕凪が言葉をいい掛けてる途中でコホコホと咳で噎せてしまった。
「誓約内容は内緒」
「っ…」
夕凪が恨めしそうな視線を寄越してきたが無視だ。そのまま黙って撫で続けると大人しくなった。
「ボク、もういかないと。今日の撫でるはここまで。願いを叶えたのだから、君も約束通り身体を温めて養生して」
「…アズトさま。明日もですよ」
「わかってる。だから、今日はもう大人しくしていて」
アズトは立ち上がって布団をぶわっと広げて夕凪に覆いかぶせる。夕凪の体躯より布団が小さいので手足と三つの尾がはみ出て若干大雑把だが、まぁいい。
初めは目の前の妖狐の尾にも布団をかけようとしたが鬱陶しがって尾で羽根飛ばされてしまった。冷やしてはいけない臓物が詰まっている胴体に布団がかかっているのだ。大丈夫だろう。
「じゃあね」
背中に夕凪の縋る様な視線を受けながらもアズトは部屋の襖を閉めて出て本殿にいる三重の元へと向かうことにした。
(夕凪の尾が三尾に増えている。回復している証拠だな)
古めかしい木で造られている木製の回廊を進みながらアズトは思考する。
夕凪を発見した当初の尾は一尾だった。それが増えている。
重症で意識を失っている夕凪を志ノ沙山に運び込んで起きるまでに、三重と共に身体中の血を拭き取り、傷口に薬を塗り包帯を巻いて介抱した。その合間に三重が妖狐について幾らか説明してくれた。
見つけた妖狐が致死量の毒と呪いに蝕まれてなお生きているのは、この妖狐が上位に位置しているから。
上位種の妖狐は、その個体の妖力に応じて尾が多く最高位は九つ。
本来の尾が何本なのかは知らないが、それが一尾になっているのは命を繋げる為に尾に溜め込んだ妖力を使用しているからだろうと。
つまり妖狐姿の夕凪の尾の本数が増えているのは、目に見える範囲で最もわかり易い回復傾向。
このまま、順調に回復して貰えるように務めなければならない。
「三重、出歩いてくる」
「いいわよ」
三重の元に行って伝えたのは外出する報告だけ。許可は直ぐに貰えた。
「出来れば早目に戻ってきて頂戴ね。また、夕凪さんがアズトを探し回っては大変だもの」
「流石に今の状況ではないだろ」
「そうかしらね?」
「ボクが夕凪の願いを叶えてるから大丈夫」
「約束はしていても破られてしまうかもだわ。アズト、仮によ、あたし達の目を盗んで夕凪さんがまた出歩いたらどうするのよ」
「布団をぐるぐる巻き付けて身動きが取れないようにする。そうすれば出歩くことは出来ない」
それが1番約束を守れる確実な方法だとアズトは真面目に頷いた。
「力づくね。アズトらしいわ」
「だって、その場合そうする他ないと思う」
アズトのいい分に三重が呆れて肩を竦める。
「でも最近のアズトは、それ以外の選択をほんのちょっとは気に掛ける様になったわね。えらいえらい」
アズトは、よしよしと三重に頭を撫でられた。年月を重ねた皺の入った手が自分の頭を往復する。
夕凪が震える声で切望した行為。
アズトは三重から撫でられても特に何も感じなかった。でも夕凪からしたら、とっても大切な行為らしい。
叶えてあげられる範囲内だし、大した労力もいらない。力づくで強制療養させるよりも簡単だ。
なによりも夕凪が撫でる行為ひとつで大人しく療養してくれるならそれでいいと思った。
「三重、もう出掛けるから」
「わかったわ。いってらっしゃいアズト」
確認したいこと確認したら早く戻ろう。
そうして、アズトが足を運んだ場所は血塗れで死にかけている夕凪を見つけた場所だった。