第九話 未知
「うわあぁぁぁあぁぁぁ!!」
フッと足が地面から離れ、空中へと身を投げ出す。
一瞬だけ浮き上がった俺の体は、重力に従って直ぐ様落下していく。少し遅れて、背後から凄まじい鳴き声が聞こえてきた。
「フゴッ! フゴッ!? グオオオォオォォォ!!」
どうやら、俺を追いかけてきたラビットベアは止まりきれずに、一緒になって崖から飛び降りてしまったようだ。
崖の高さは50m以上ある。このままでは、俺と熊は心中を決めてお陀仏だ。
心中は太宰治のお家芸だが、俺は太宰治ではない。いや、俺はいまから太宰並みに非道なことをする。
俺はまだここでは死ねない。熊よ、お前だけが逝ってくれ。
「格納庫!!」
俺は自分の落下していくルートに格納庫の入り口を展開する。そして、体が吸い込まれたと同時に入り口を閉め、ひとり落下していく熊を見下ろす。
「グオオオォオォォォ……」
目の前で消える俺の姿に、困惑の表情を浮かべるラビットベア。情けない表情のまま落ちていく姿を見つめながら、俺は後頭部から首あたりをさする。
「これ……この体じゃなかったら、首が折れてたかも」
少し格納庫を出すのが遅すぎた。勢いがついたまま格納庫に入ったせいで、俺は頭をしこたま格納庫の内部に打ち付けてしまった。体が頑丈なお陰でなんとか無事だったが、もう少し早く入るべきだった。
それはさておき、ラビットベアの行方だ。鷹の目を使い崖の下を探してみると、ラビットベアは首から地面に落ちてしまったのか、骨が折れて動けなくなっていた。脊椎動物であるかぎり、脛椎や脊椎の骨折は致命傷になる。
解析で見ても状態が《瀕死》になっていたので、俺は格納庫の出口を直ぐ側にセットして、姿を現した。
「グ、ヒュゥ……」
呼吸をするのも苦しいのだろう。ラビットベアは俺の姿を見つけると、そっと瞼を閉じて体から力を抜く。
以前、亀さんの動画で鹿が罠にかかり、その鹿に棒でトドメを差そうとしたした時があった。その時の鹿は、棒を構える亀さんを見て覚悟を決め、そのまま静かに座り込み頭を下げた。
いまのラビットベアは同じ心境なのだろう。俺は出来るだけラビットベアが苦しまないよう、ショートソードで心臓を狙おうとして……出来なかった。
「皮が堅すぎる! なんだこいつ、超合金かなんかでできてんのか!?」
胸を貫こうとしたが、巨大な岩に何重ものゴムを重ねたような弾力で、剣は押し返されてしまった。こんな堅牢な自然の鎧を纏ってる奴に素で勝てるわけねーだろ!
結局、何度か首筋に大鉈を振り下ろして、ラビットベアにトドメを差してやることが出来た。が、多分めっちゃ苦しかったと思う。本当にごめんなさい。
ひとまずラビットベアの死体は格納庫にしまい、俺は行方不明になったリッチを探すことにした。
鷹の目は倍率を変更することも出来るようで、とりあえず森全体を見下ろす様に視野を広げる。すると、いまいる崖下から少し離れた場所に、リッチらしき子供の影がちらりと見えた。
俺は格納庫に何度か出入りをしつつ崖を登り、先ほどリッチが見えた場所に駆けつけた。すると、どうやら歩き疲れてしまったのか、大きな木のうろの中でリッチは座り込んでいた。
「見つけたぞ、リッチ」
「……お兄、ちゃん?」
「まったく……みんなが心配しているぞ。さぁ、帰ろう」
出来るだけ怒ってない風を装い、俺はリッチに手を差しのべる。本当は今すぐにでもキレ散らかしたいけどな! 死にかけたんだし!
まぁでも……
「お兄ちゃん……おにいちゃぁぁぁん! あぁぁぁああん!!」
こんな顔されたら、それもできねえわな。
しばらく俺にしがみついて泣いていたリッチは、そのまま疲れて眠ってしまった。
帰り道は獣に逢わないよう、慎重に鷹の目を使いつつルートを定めていく。そうして少し歩いたところで、リッチを捜索すべく集まった村の大人達と遭遇した。
「おぉ! リッチ!」
「んぁ? お父ちゃん?」
「この大馬鹿息子が!!」
「痛っ! うわああぁぁぁん!」
リッチの親父さんによる愛の拳骨を受け、リッチはまた泣きじゃくっていた。
その姿を見て、俺も遠い昔にイタズラが過ぎて、父さんから拳骨を受けた事を思い出していた。と、そんな俺の手をガシッと握って、リッチの親父さんは頭を下げてきた。
「本当に、ほんっとうに、ありがとう!」
「いえ、無事でよかったです。しかし、リッチが動物に襲われなかったのはどうしてでしょうか?」
俺は疑問に思っていた。細心の注意を払っても、ラビットベアとの遭遇は避けられなかった。にも関わらず、リッチは肉食獣に一切出会うことなく、あれほどの森の奥まで入っていたのだ。
「さぁ……? 私も不思議でなりません。普通、これほど小さい子が奥に入れば、直ぐに食べられてしまうというのに」
首を傾げる一同。そんな時、ふと俺はリッチを解析で見た。正確には、リッチの服の背中についていた、黄色い汁を。
《マリアモルファの体液。マリアモルファの幼虫から採取できる。獣が嫌がる臭いを発する。この体液を内包しているため、ベラシアの森においてのマリアモルファの天敵は少ない》
「なぁ、リッチ。森を歩いているとき、マリアモルファの幼虫を潰さなかったか?」
「ん~? あっ! そういえば、転んだ時に潰しちゃったんだ」
「どうやら、その体液がリッチを守ってくれてたようだな。マリアモルファの体液には、獣避けの効果があるようだ」
「マリアモルファの体液に、そんな効果があったのか……そういえば、マリアモルファの幼虫が生息している場所は、肉食獣が現れにくいと爺様が言っていたなぁ。しかし、それにしても驚いた。ヒロは【鑑定】が使えるのかい?」
「え? そ、そうです!」
しまった。解析で見た内容をそのまま口にしてしまった。幸い俺が【鑑定】の魔法が使えると勘違いしてくれたようだが、今後は少し注意をしたほうが良いかもしれない。
「ほほう、ヒロさんは鑑定まで使うのですか。これはますます、我がトールキン商会に正式に入っていただきたい!」
話を聞きつけたトールキンさんが、俺の手を握ってそんなことをいってくる。というか、近い近い!
脂ぎっしゅなおっさんに迫られても嬉しくない!
「は、はは……考えておきます。あ、それよりも、村に帰ったらお見せしたものがあります」
そんなこんなで村の中心にある広場で仕留めたラビットベアの死体を出してみせた。ちなみにラビットベアは角つきである。額に埋もれるように、小さな角が一本だけぴょこんと生えている。
「おぉぉぉ! こいつは!」
「凄い……これ、ヒロがやったのか?」
「はは、無我夢中で逃げてて、偶然崖から落ちたところ、俺だけ助かったんです」
「はっはっはっ! それは運が良かったな!」
「それで、トールキンさん。こいつの買い取りは出来そうですか? ……トールキンさん?」
俺の問いかけに反応がないトールキンさん。やはり、首のところがグチャグチャになってしまったのがいけなかったのだろうか?
そんな心配をしていた俺がトールキンさんの顔を覗き込むと……
「すっっっっっばらしい!!」
突然の大声に俺の鼓膜は終焉を迎えた。
「いやぁ、申し訳ございません。まさか、魔獣化したラビットベアが手にはいるとは思ってもみなかったので」
夜。俺とトールキンさんとピピルさんは、村唯一の酒場にやって来ていた。というより、村の男達はほとんどやって来ていた。
俺がラビットベアを獲ったことが、どうやら村全体でお祝いをするレベルにめでたいことらしい。
「ところで、昼間にも言っていましたが、魔獣ってなんです?」
「おや? ヒロさんでもご存知ない?」
「あ、いえ、一応知識としては知ってはいますが、実際に見るのは初めてなもので」
昼間、小屋に帰っている間に辞書で調べてみたが、なんでも百科な辞書にしては珍しく、要領を得ない内容しか書いていなかった。曰く、『禍々しい気を集めたモノが変化した姿』だと。禍々しい気、というのもよくわからない。
「ではご説明しましょう。魔獣とは、お金になるのです!!」
トールキンさんはそう言って、拳を天井に突き上げた。
ちなみに、太宰治は入水自殺と言われていますが、その実は水に入る前に既に意識がない状態だったとか。穏やか表情で、水も飲んでなかったそうですね。