第七話 苦境
「このベラシア村に滞在しませんか?」
トールキンさんの提案に、俺は首を傾げる。
「俺、許可証とか持ってないですよ?」
「順を追って説明しましょう。この村の主要産業はご存じで?」
「えぇ、麦の栽培と、織物と聞いています」
「その通りです。しかし、実は今年その二つが壊滅状態なのです」
聞けば、今年は雨季が長かった為に天候が悪い日が続き、日照不足や寒さなども合わさって麦が育たず、そこに嵐までやってきたものだから、収穫が絶望的になってしまったそうだ。領主様に納める税は貯蔵していた物で賄えるそうだが、来年の先行きが不安らしい。そして、同じ理由で織物も材料が不足している。
織物の原材料である、《マリアモルファ》の幼虫の糸。これを獲るために、幼虫を村で飼育しているそうなのだが、その餌である《エコル草》が、麦と同じく壊滅してしまったのだ。
なんとかリカバリーをする為に村は当然ながら、領主様も色々と施策を考えてくれているらしい。ベラシア織は外貨獲得には非常に重要な産物だからだ。
「村の状況は理解しました。それで、俺は村に入って何をすればいいんです?」
「はい、ヒロ様には出来るだけ輸出が出来そうな物を、ベラシアの森で狩って来て貰いたいのです。私は王都からわざわざ来ておりますが、それはベラシア織を買い付けに来ているからです。その為の専売許可であり、特権ですからな。が、このままでは私も手ぶらで帰らなければいけなくなる。そこで、ヒロ様を一時的に我がトールキン商会に雇わせていただき、商品になりそうな物を獲ってきていただきたい」
なるほど、そういう事か。俺が雇われれば、村に入るにはトールキンさんの許可証でいける。そして、トールキンさんも俺の獲ってきた獲物で、財布が潤う。もしも俺が森で死んだとしても、旅人に保障など必要ないし、そもそも道すがらに拾った奴が死んでも懐は痛まない。
一見するとドライだが、こういったギブアンドテイクな関係はむしろありがたい。生前のように綺麗事を並べてブラックな労働をさせられるのは、もう勘弁願いたいからだ。
「しかし、いいのですか? 俺みたいな若造を信じても。もしかすれば、このホーンラビットも誰かが殺したのを、俺が掠めてきただけかもしれませんよ?」
「ふふふ、ご安心ください。私たち商人は、商品の目利きは勿論のことですが、何よりも武器にしているのは人の目利きです。人の目利きなくして、商機を掴むことなどできませんからね。ヒロさんからは、お金の匂いがプンプンするんですよ、ゲヘヘヘ」
あ、これ目が逝ってる。まともな人かと思ったけど、案外そうではないのかもしれない。だが、俺にとっても好都合なことでもある。拠点としてこの村を使えるし、村の近くの森だったらそこまで危険な生物もいないだろう。
いきなりハードコアモードに入るより、まずはこういった場所から異世界ライフを始めたい。
「わかりました、よろしくお願い致します」
「おぉ、商談成立ですね。では、まずはこちら……20000バールでございます」
「あれ? 18000バールでは?」
「はっはっはっ! 商人たるもの、雇った者への報酬を渋ってはいけません。少し酷く聞こえるかもしれませんが、私たちはお金で結ばれた関係です。ならば、そのお金を渋っては関係を悪化させるだけ。こういった時にちゃんと満足のいくやり取りができてこそ、一流の商人というものです」
「そういうことでしたら……御受け取りいたします」
貨幣の入った袋を受けとると、トールキンさんは満足そうに頷いた。
たったこれだけのやり取りで信用するのは危険だか、俺はトールキンさんの商人としての矜持に好感を持った。
「ではヒロ、まずはベラシア村の村長に挨拶に行こう。俺としても、故郷と所縁のあるものが来たのは嬉しい」
「わ、わかりました。案内を願います」
本当は縁も所縁もないんだけどね。
そんな罪悪感を胸に仕舞いつつ、俺はピピルさんに案内されて、村の中でも一番大きな建物へ連れてこられた。
「村長、失礼します。この度、トールキン商会に新しい狩人が加わったということで、挨拶に来させました」
「そうですか、お入りください」
村長の部屋に入ると、中は割りとシンプルな印象を感じた。
窓際にある大きな執務机の上には、僅かばかりの装飾品があり、壁には大きな美しい布が飾られている。
「ようこそ、ベラシア村へ。何もないところですが、自分の村だと思ってくつろいでくださいね」
椅子から立ち上がり、とてもフレンドリーに挨拶をしてくるベラシア村の村長。禿げ上がった頭に柔和な笑み、長い口髭と、THE・村長といった感じだ。なんだろう、村長になる条件にこの見た目が必要とかあるのだろうか?
「はじめまして、ヒロと申します。流浪の旅を続けているうちに、こちらに辿り着きました。そんな折りにトールキンさんにスカウトをされまして、しばらくこちらでお世話になります。これは僅かばかりですが……」
俺は懐から草の束を取り出す。こいつは《ココ草》という草原に生えている草で、乾燥させた物を細かく砕き、パイプなどに入れて火を灯して煙を吸う、所謂タバコの様な物である。
俺自身はタバコを吸わないが、解析で見てこれが存在するということは、きっと愛煙家と呼ばれる人はいると確信し摘んできておいたのだ。そして、村長はかなりの愛煙家だそうだ。
「おぉ、これはココ草ではないですか! わしはこれに目が無くてですねぇ……うーん、この芳醇で鼻をスッと抜けるような香り。これは摘んで一日未満のものですな?」
「え、えぇ、よくお分かりで」
「ほっほっほっ、わしくらいの愛煙家になれば、草の乾燥や加工なども自分の好みでやりますからなぁ。こいつはもう二、三日陰干ししてから、天日干しに移すと良いですな」
村長はまるで水を得た魚のように、上機嫌に草の事を語ってくれる。俺にとっては食べられない草の時点で、あまり価値がないんだけど。
「それでは、これで失礼いたします」
「おぉ、そうですか。あっ、そういえば、森の入り口に近い場所に、昔使っていた作業小屋が残っております。そちらを自由にお使いくだされ」
「ありがとうございます、助かります」
俺たち三人は村長の家をあとにし、一旦そこでピピルさんとも別れることになった。
「俺はまだ見回りの仕事があるからな。夜に飯でも食べようじゃないか」
「いいですね。トールキンさんはどうします?」
「私も一旦ホーンラビットの始末をしてきましょうかねぇ。このままでは傷みもきそうですし」
「では、俺は村長さんが言っていた小屋に行ってみます。そういえば、森に入るには何か許可とかいるんです?」
「あぁ、ちょっと待て」
ピピルさんはゴソゴソと革鎧の下から何かを取り出した。
「こいつを入り口の兵に見せろ。それで中に入ることが出来るはずだ」
「いいんですか? これ、許可証とかじゃないんですか?」
「あぁ、まぁ予備みたいなもんだから大丈夫だ。それより、森はそこまで危険ではないが、それでも肉食の獣がいる。ホーンラビットを倒したヒロなら大丈夫だろうが、油断はするなよ?」
「忠告ありがとうございます。もし危なくなったら、すぐに逃げますから」
「そうしてくれ。入り口まで逃げてくれば、俺たち兵士がいるから助けられる」
そうして、俺は一旦作業小屋に行き、森に入る準備をする。
小屋の中には仮眠用なのかベッドが一つと、テーブルと椅子。それから簡単な竈と鍋があった。壁には大振りの鉈が備えられていたので、こいつも拝借しよう。
「とりあえず、先立つものは必要だしな。さっきの20000バールがあるにせよ、もう少し手持ちは欲しい。っと、まずは食事だ」
転生してからほぼ丸一日なにも食べてなかった俺は、別れ際にトールキンから貰ったパンと干し肉を取り出す。
保存が優先されているからか、パンもとても硬く、干し肉も塩っ辛くてガッチガチだった。だが、それでも俺は堪らなく嬉しかった。
「これこれ、これよ。異世界にきたーって感じだ!」
特別製の体のお陰で固いものを噛むには困らない。初めて口にした異世界は旨いものではなかったが、それもまた『らしさ』があって良いものだ。
そうして腹が膨れた俺は、森に入る準備を始めた。
※四日ほどこの時間帯の更新になります。