第六話 角付
ベラシア村。人口約200人程の小さな村で、主要産物は麦と織物。村に隣接するベラシアの森に生息する『マリアモルファ』の幼虫を村で飼育し、その糸を使って織られた《ベラシア織》は、交易等で重宝される。故に村に危険が無いよう、ベラシア村のあるモザン領の領主は私兵を雇って、見回りなどを強化している。
「なるほどねぇ。というか、この辞書凄いな」
ろり神様から貰った辞書のページを捲っていく。各国の主要都市は勿論のこと、各地の産業や風習、禁忌についても書かれている。これがあれば、妙な諍いも少なくなるのではないか。
「私兵が獣を持ち帰らなかったのも、角が理由なんだな」
モザン領の風習の欄に書かれている内容に、私兵団が何故獣の死体を持っていかなかった納得がいった。
モザン領の人々は、角が生えた生物しか食したり、利用をしたりしないのだ。どうやら古い迷信がきっかけの様だが、それはとりあえず置いておこう。村から誰か出てきた。
「止まれ! この村に滞在できる外部の者は、許可のある商人か領主様より雇われた兵のみである。立ち入りたければ、許可書を見せろ」
どうやら村から出てきたのは、領主に雇われた私兵団みたいだ。革鎧から覗く筋肉が、まるでプロレスラーの様で威圧感が凄い。
「俺の名前はヒロ。訳あって旅をしている。こちらの風習にあまり理解がなく、この村が許可の必要だとは知らなかった。もし良かったら、俺のとってきた獲物を必要な物と交換だけでもしてもらいたい!」
俺は地面に座り込み、手を前に投げ出して出来るだけ大きな声で叫ぶ。
このポーズは、ここより遠くの土地に伝わる、服従のポーズだ。『私は手に武器を持っていません。抵抗もしません』というポーズだ。そう辞書に書いてた。
異国の地で、もしもこのポーズが通じなかったら? いや、それはない。何故なら……
「お前……コッコルの出身なのか?」
この兵の故郷は、このポーズの風習がある地域だからだ。
解析のいいところは、相手に悟られることがないことにある。これがもし、魔法の一種の【鑑定】であれば、魔力の動きで相手に発覚することもある。場合によっては、先に仕掛けられたと攻撃されても文句は言えない。
だが、ろり神様に頂いた能力は、腐っても神様の能力だ。格が違う。相手に悟られることなく、そのものの客観的情報を開示する。それが解析の力である。
「俺は違う。だが、俺の母親がそうだったようです」
「そうか……俺の名はピピル。コッコロ領、キンビス村の出だ。よろしく」
「よろしく。それで、交換は出来そうですか?」
「角つきなら歓迎されるだろう。角を持つ動物なのだが、あるか?」
「待っててください。そこの木の影に荷物を置いてある」
俺はあらかじめ近くの大きな木の影に、昨日仕留めたホーンラビットの死体を隠していた。格納庫から取り出してもいいが、解析と同じで格納庫という能力も、普通の人からすれば結構凄い能力である。
目立つことは嫌いではないが、これからの生活に支障が出るかもしれないことを、わざわざ自分から見せる必要もない。
「よっ、と。これでいいですか?」
「おぉ! こいつはホーンラビットじゃないか! しかも、綺麗な《碧》だ」
「《碧》?」
俺は聞きなれない、もとい辞書では見ていなかった単語に首を傾げる。
「こいつの背中を見てみな。ここに一部分だけ碧色の毛があるだろう? これがある奴は、ホーンラビットの中でも長生きをした証拠なんだ。長生きが出来るということは、それだけ優れている。そして、熟されている。なので、肉も皮も良い値で取引きされるんだ」
「そんな見分け方があったのか」
「それにしても、お前さんみたいな若いのが碧をやるなんて、大したもんだ。狩りを教えた人がよほど腕が良かったんだな」
「ははは、死んだ親父のお陰です。ただ、血抜きが出来る木や川が無かったから、その点は勘弁してもらいたい」
「なるほどな。よし、少し待ってろ。いま村の中に商人が来ているから、買い取りができるか聞いてくる。これだけ見事な碧だから、大丈夫とは思うがな」
そう言ってピピルさんは村の中へと入っていった。門の所にはもう一人別の兵士もいたが、彼は俺に興味を抱かないのか、一切口を聞こうとしなかった。
しばらくして、村の中からピピルさんと一緒に小太りの男が走ってきた。
「お、お待たせ致しました! はぁ、はぁ」
「こんにちは。それにしてもどうしたんですか、そんなに急いで。俺もホーンラビットも逃げませんよ」
「いやはや、はぁ、はぁ、ふぅ……商機をいつなんどき逃すかわかりませんからな。『商機があれば身内の死に目以外は全て捨てよ』が商人の基本ですから。あ、申し遅れました、私は王都で商家を営んでおります、トールキンでございます」
「な、なかなか厳しい職業なんですね……俺の名前はヒロです。それで、これなんですが」
「おぉ! これはまた見事な碧だ。ちょっと失礼」
トールキンさんは手袋を嵌めて、ホーンラビットの死体を様々な角度から見て回った。その表情は真剣そのもので、走ってきたせいで流れる汗もきに止めることなく、ホーンラビットの状態を観察している。
そうして十分程たち、トールキンさんが顔をあげてパッと顔を明るくした。
「ヒロ様。こちらのホーンラビット、肉を4500バール、皮を6000バール。頭骨と角、それから胸骨など加工できる骨を合わせて7000バール。計17500バール……では切りが悪いので、18000バールでいかがでしょうか?」
バールとはこの大陸共通で使われている貨幣の単位だ。アウグスト王国の王都で働く20代の男性の平均日収がおよそ10000バールなので、それよりは多い。が、流石に命の危険を孕んでいるのに安くないか?
恐らく、多少ふっかけた値段をこちらに提示しているのだろう。足元を見てくるのは商売の基本だしな。
「トールキンさん。申し訳ないですが、こちらのホーンラビットは別の商人へ持ちかけてみます。それでは」
「ま、待ってください! では、20000! これが私の提示できる最大の額です。それに、他の商人とて、これ以上の額は提示しないと思います!」
必死な形相のトールキンさん。恐らく言っていることは半分本当で半分嘘だろう。
いま解析で見た感じ、こいつの差定額は23000バール。とはいえ、それがそのまま全部通るかと言われれば、それは難しいだろう。解析が出してくれる数値はあくまでも《最高査定額》であり、それがこの辺りでの最高額なのかどうかは不明だからだ。
例えば、ホーンラビットが全くとれない地域で売りにだすのと、ホーンラビットが生息するこの辺りとでは査定額に変動があってもおかしくない。
なので、トールキンさんが提示した額は、この辺りの商人に売るとすれば、確かに最高額なのかもしれない。まぁ、あくまでも俺の考察の範囲だけどね。
「わかりました。では、18000のままでいいです。その代わり、少し聞きたいことがあります」
「な、なんでしょう?」
「この周辺に、俺の様な根無し草がしばらく滞在出来る村か町はありませんか? 俺の持っている地図は場所がわかっても、このベラシア村の様に許可書が必要かどうかまではわからなくて」
「うーむ……ピピルさん、ちょっと」
トールキンさんはピピルさんを連れて、二人でなにやら話し込んでいた。そして、何度かやり取りをしてから、こちらへと戻ってきた。
「お待たせ致しました。ヒロさん、単刀直入に言います。このベラシア村に滞在しませんか?」
※読み飛ばしても良い捕捉
何故、モザン領の領主は領兵ではなく、私兵を雇ってベラシア村の警護にあたるのか。それは、ベラシア織の価値と、領兵の役割にある。
領兵とは領民から募った兵であり、牽いては国の為の兵である。なので、必要とあらば戦争や諍いの制圧などに直ぐ様対応しなければならない。
ベラシア織はモザン領にとっても重要な資源であり、それを産出するベラシア村は最優先で守らなければならず、もしもベラシア村に領兵を置くとなれば、人員を割く必要がでてくる。そうすれば、限られた人員である領兵の数は減り、もしもの時の戦力が減少してしまうのだ。
さて、ベラシア村の重要度は理解していただけただろうが、ここで疑問が出てくる。そこまで重要な場所であれば、なおのこと領兵で固めればいいのではないか?
それをしない訳には、ベラシア織の価値が関わってくる。領兵は定められた給金で公的に雇われている兵だ。なので、給金は存外多くはない。これはベラシア村を抱え、割りと財力があるモザン領であってもだ。
なぜか? それは、各領地ごとに戦力差を生まない為の、国の定めた施策によるものである。
国は各領地ごとの広さに応じて、領兵を募る許可を出す。そして、その給金は国庫から補助金の形で領地へと配られ、領兵へと行き渡る。
これは、必要以上の領兵、つまり戦力を有すれば、良からぬことを企む輩が過去に存在していたからである。
『領地を治めるに必要な分の戦力しか保有してはいけませんよ。その代わり、戦力に配る資金は国が持ちますよ』という制度の下、領主は頭を悩ませながら領地を治めるのだ。
さて、そうなってくるとやはりベラシア村に割く人員の確保は難しい。何故なら、領地の中には他にも重要な場所というのは存在するからだ。それに、特定の場所のみ領兵を派遣するのは、他の村や街からの反感も大きい。また、領兵の給金の安さから、横流しなどをする者も現れる。
そこで、苦肉の策である《私兵団》の登場だ。
領主自らが私財を擲ち、兵を雇って派遣する。その費用は、領兵の倍以上とも言われている。なので、集まる兵も精鋭揃いだし、金で雇われている分フットワークも軽い。良くも悪くも。
そういった利点を活かした私兵団の運用は、他の領地でも見られるし、国も認めている。
戦力を強化することを認めるのか?と思うかもしれないが、実質は強化には繋がらなかったりする。領主が私財を擲っている時点で、領主そのものの力を大きく削ぎとっているからだ。ちなみに、私財を擲っているかどうかは、国が私兵を認める代わりに、私兵を雇った際の支出の台帳を提出する義務を背負う。
産業を維持しないといけないが、そこを守らなければいけない。そうなれば私財を擲つしかない。それでも収入があるから、やはり維持をしないといけない。
そんなこんなで、結局は領主といえど中間管理職のようなものなのだ。
そして、当然ながら抜け道も色々あるのだが、それはまた後日に。