第五話 狩猟
俺はショートソードを片手に、ゆっくりとした足取りでホーンラビットの方へと進んでいく。
前の世界で刃物など、料理に使う包丁かカッターナイフ位しか握ったことのない俺は、ずっしりと重さを感じる刃渡り60cm程の殺傷武器に緊張が隠せずにいた。
ちなみにこのショートソードは格別性能が高いということはない。この世界で一般的なショートソードに毛の生えた程度の品質である
(殺らなきゃ、殺られるのは俺だ……大丈夫、亀先生だってやってたんだ。俺だって、殺れる!)
亀先生とは、約十年ほど前からインターネット動画界隈に出没した、野生の狩人である。彼は当初、野山の山菜や虫などを食べ、自給自足する動画を投稿していた。しかし、ある時から罠狩猟の免許を取得。動画上で、鹿や狸などの野性動物を確保、解体、調理する動画をあげ始めた。
別段、俺自身は野生生活を目指していたわけではないけれど、亀さんのあげる動画が好きでよく見ていた。彼はどんな時も、野生に対して尊敬と畏怖の念を抱き、そして野生と真摯に向き合う姿勢を見せてくれた。確かに、解体シーンなどは少しグロテスクだったが、それよりも俺が感じたのは野生の動物の美しさであった。そんなこんなで、俺は亀さんのことを勝手に師匠と呼んで敬愛していた。
(覚悟は出来た。後は、殺るだけだ!)
緊張からか、自分でも呼吸が浅くなっているのを感じる。なんとか深呼吸を心がけつつ、俺はそのまま更に歩みを進める。
そして、ホーンラビットが潜んでいる藪の直前で、それを開いた。
(格納庫!)
小声で呪文を唱えると、進行方向の空中に割れ目が現れ、俺はそのまま中へと吸い込まれていった。
そして入り口が閉まると、空間の中から外を眺める。
「うおぉ、なんというか……例のアレみたいだな」
360°すべてがガラス張りになったような空間。その中から一方的に外の様子を伺えるのは、成人向けの作品に出てくる特殊加工された、例のガラス張りの車の様だ。
「やっぱり、突然姿が消えれば驚くよなぁ。気配遮断も併用したし、ホーンラビットにとっては俺が瞬間移動したように思えるんだろうね」
目標を見失ったホーンラビットは、藪の中から首をひょっこりと覗かせて、辺りをキョロキョロと見渡す。
ぼんやりと歩いていた餌が、突然目の前で影も形もなくなったのだ。しかも、気配まで消えてしまった。野生ではあり得ない現象に、ホーンラビットの脳内はパニックだろう。
「さて、その隙に……解除」
俺は安全圏である格納庫から姿を現す。格納庫の面白いところは、入り口も出口も、一定の範囲であれば自由に決めることが出来る点だ。範囲は解析の結果、およそ50㎥程とかなり広い。緊急脱出などにも活用出来そうだ。
そうして、俺が格納庫から飛び出た先は、ホーンラビットの背後であった。
「!?」
「おああああ!!」
突然背後に現れた俺に気がついたホーンラビットは、ぐりんっと首をこちらへと向け、目を見開く。
真っ赤な瞳がこちらを見つめてくるなか、俺は無我夢中で剣をホーンラビットの首へと突き立てる。
「ギュウウゥゥゥゥ!!」
「かったい! うおおおぉぉぉ、刺されえぇぇえ!! おわぁ!?」
一瞬表皮による抵抗があったが、ゾブリッという感覚と共に剣が首筋に差し込まれる。次の瞬間、パンパンに膨れ上がった水風船に穴を開けたかのように吹き出す血液に、俺は思わず体をのけぞるせる。が、それが功を成した。
ホーンラビットは首に剣が刺さっているにも関わらず、そのまま鋭い牙で俺の喉に噛みつこうとしていたのだ。のけぞっていたお陰でなんとか回避は出来たが、もしもそのまま呆けていたら俺の首の肉は抉りとられていただろう。
「か、格納庫!」
急いで格納庫を開き、転がるように中へと潜り込む。ホーンラビットは逃がさんとばかりに、後ろ足にグッと力を込めて跳躍をしてきた。
しかし、その決死の体当たりよりも格納庫が閉じる方が早く、俺のいなくなった何もない空間を、ホーンラビットは猛スピードで跳んでいく。そして、着地をして振り返るとようやく出血が致死量に達したのか、荒い息づかいのままゆっくりと地面に倒れ伏した。
俺は格納庫の中でへばりこんだまま、その様子をじっと見つめていた。もう、ホーンラビットは動くことができないのか、ピクピクと体を小刻みに震わせるだけだ。しかし、それでも俺は格納庫を出ない。
手負いの獣に近づくことが、一番危険だと本で読んだことがある。
よく、《頭部に矢が刺さった》、《心臓を貫いた》など、トドメを刺した描写が、漫画や小説である。が、それだけで動きが止まるかと言われれば、それは誤りらしい。頭に矢が刺さったとしても、脳幹を破壊されなければしばらくは体は動くし、心臓を刺されても血液の流れが止まるだけで、これまた数秒から数十秒は動けるのだ。
「解析……うん、本当に事切れたな」
格納庫の中からホーンラビットを解析する。すると、ホーンラビットの状態が《死亡》になっていた。
俺は格納庫の出口をホーンラビットの死体の側に設定し、腕だけを出して死体を格納庫の中へと回収する。本当は中を綺麗に保ちたいので、あまり血やらなんやらを入れたくはなかったのだが、安全の確保されていない野生での解体など、他の肉食獣をおびき寄せる原因になる。
とりあえずホーンラビットの解体は後程にし、今はこの血まみれの場を離れる事を優先にした。
その夜。
草原を抜けることは出来なかったが、しばらく歩いた先に街道を見つけた。地図と照らし合わせた感じでは、《モザン領ベラシア村》に続く道のようだ。モザン領はアウグスト王国という国にある領地のひとつらしい。
ひとまず夜を迎えたので、俺は街道が見える丘の上で格納庫の中に入り、眠りにつくことにした。格納庫の中にいれば、安全は確保されたようなもの。
そう思っていた時期が、俺にもありました。
「これは困った」
朝を迎えた俺を囲んでいたのは、絶世の美女でも英雄を称える子供でもなく、大量の肉食獣であった。
幸い格納庫の中にいるので襲われることはないが、俺の周りを獣たちは鼻をひくつかせながら歩いている。
「しまった、そうか。臭いは気配遮断でも消えないか」
格納庫はその特性上、中の音やにおいまでは消すことができない。分かりやすくいうと、空間の位相が少しずれた場所にある、倉庫の様な物なのだ。展開している限り、使用者以外が触れることが出来ないだけで、そこに存在する事実は残る。
かといって本人が中にいるまま格納庫を仕舞うと、本人共々異空間へと消えていき帰ってこれなくなる。なので、使っている間は意外と注意するべき点は多いみたいだ。
「さて……どうしたものか。このまま待てばいなくなるかもしれないけど、しばらく俺も出られない。ん?」
考えあぐねていると、街道の向こうから何かが近づいてくるのが見えた。
鷹の目で見た感じ、どうやらヒト族の集団みたいだ。解析をすると、『モザン領私兵団』という肩書きが見えた。
そして、私兵団は俺の周りにいる獣を確認すると、遠距離から矢や魔法のつぶてを放ち始めた。格納庫にいる俺には当たらないが、それでも目の前をもの凄い勢いで通過していく矢や魔法には、ちょっとチビりそうになる。
遮蔽物も待ち伏せもない状況で、一方的に遠距離攻撃を数の暴力で浴びせれば流石に勝敗などわかりきったことだ。あっさりと獣たちを駆逐した私兵団は、そのまま来た道を戻っていった。獣達の死体もそのままに。
「あれ? 死体とか持って帰ったりしないのかな? これとか肉も毛皮も大丈夫そうなのに」
俺は不思議に思いながらも、次々に死体を格納庫に入れてから姿を現した。周囲を観察した感じでは近くに脅威もなさそうだし、俺はそのまま街道を道なりに歩いていく。すると、地図に書いてあった通り、村に到着することが出来た。
アウグスト王国モザン領、ベラシア村。俺が初めて立ち寄る、異世界最初の村である。
不安が無いとは言わない。だが、それよりも期待感の方が大きい。高鳴る胸をそのままに、俺はベラシア村の門へと近づいた。
実際に幼児サイズの肉食獣が目の前にいたら、逃げ出すか死ぬかだろうけど。無理無理、あんなの(ヾノ・∀・`)




