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元社畜の転生賢者は、過酷な異世界に行っても休めない  作者: 赤坂しぐれ
第三章 ベラシアの森ダンジョン編
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第四十一話 日常


 気がつけば、俺はスーツを着て歩行者信号を待っていた。

 突然目の前に現れた懐かしい風景に戸惑う。

 と、信号が青に変わったので、一先ず渡ることにした。悲しいかな、目の前で習慣じみた事があれば、その通りにしてしまうのも日本人の悲しい性。


(なんで、俺は日本に? さっきまで、確かレガリアの試練を受けようと……)


 こんがらがりそうになる意識。もしかして異世界の生活は、寝不足のまま出勤しようとして、信号待ちで寝落ちしかけた時に見た夢だったのではないかと思ってしまう。


(いや、そんなことはない。これは、恐らくレガリアの試練だ…………だが、本当に?)


 寄せては返す波の様に、自問自答を繰り返す。

 そんな最中でも、俺の足はちゃんと職場へと向かっていく。そして……。


「着いてしまった……」


 俺が一度死んだ場所。

 《藤原第一工業》の事務所である。

 少しの間、俺は入り口の前でじっと建物を見つめていた。だが、いつまでもそうしていても仕方がないと、意を決してドアノブに手をかける。


「おはよう、ございます……」


 恐る恐るドアを開いて中を覗くと、既に出勤してたゴリオ先輩と目があった。


「おはよう、(ひろむ)。今日はゆっくりじゃねえか」

「あ、ちょっと、色々あって……」

「そうか。早くタイムカード押してこい」


 そう言いながら、自分のデスクへ視線を戻すゴリオ先輩。

 あぁ、このやりとりも懐かしい。以前の俺だったら、ゴリオ先輩の言葉が『皮肉』に聞こえていた。

 ゆっくりじゃねえかも、早くタイムカード押してこいも、『早く仕事に移れ。俺はこんなに早く出社して仕事をしているんだぞ』、という風に。

 だけど今なら分かる。いつも俺は無理をして二本早い電車で出社し、タイムカードも押さずに仕事に取りかかり、規定の始業時間になったらタイムカードを押す様な事をしていた。

 そんな俺の事を、不器用ながら心配してくれていたのだ。ゴリオ先輩は。


 俺はなんだか胸が熱くなりながらも、タイムカードを押してからデスクに向かう。

 そして、PCを立ち上げてからメールチェックをしていると、俺のスマホのバイブが震えだした。

 見てみれば、母さんからの電話だった。


「おい。出なくていいのか?」

「え? あ、はい。大丈夫です」

「……そうか」


 少しだけ眉間に皺を寄せながら、ゴリオ先輩はまたデスクへと戻る。

 それにしても、なんだろう? こんな午前中に電話なんて……。



 昼休み。

 俺は母さんに折り返しの電話を入れた。だが、何度かけ直しても電話に出ることはない。

 もしかしたらパートが終わっていないのかとも思ったが、時間的に家にいそうなんだけど。


「寝てるのかもしれないなぁ……」


 そんな事を呟きながら、俺はぼんやりと遠くを見ながらサンドイッチにかぶりつく、

 近くのコンビニのレタスサンド。しゃきしゃきとした新鮮なレタスと、チーズとハムのバランスがとても素晴らしい商品だ。俺はこれを買ってよく食べていた。

 …………ん? 食べていた?


「そうだよ! 試練だよ!! めっちゃ普通に働いてるじゃん!」


 何をしているんだ俺は!

 あまりにもリアル過ぎる目の前の光景に、すっかりと試練の事も忘れて仕事に打ち込んでいた。レタスサンドで思い出さなかったら、このまま普通に過ごしていたところだった。


 だが、そこで俺ははたと気がつく。


「普通に過ごせるのなら……俺はこのまま、元の生活に戻れたも同じなんじゃないのか?」


 半日過ごしてみても、まったくすっかりと日本での生活と同じ事が出来ていた。


 町並みも。

 そこで過ごす人達も。

 自分も。


 ならば、向こうの死ぬか生きるかの生活なんかに戻らなくても、俺はこれが幻想だと気づかずに過ごす事も出来るんじゃないか。

 例え仮初めでも、まったく一緒だったらそこに真贋の違いなんて、ちっぽけな物じゃないのか?


 自分が死んでしまった原因はわかってる。

 対処法も知っている。

 この世界の中で、安寧の中で生きていくことは出来る。


「俺は、どうしたい……?」


 公園のベンチで、ひとり呟く。

 見渡す風景は何処からどうみても本物で、例えば無理矢理プログラミングされた作り物には見えない。

 空を飛ぶ鳥も、頬をなぜる風も、聞こえてくる子ども達の声も。


 俺の欲しかった日常は、ここにある。


「そうか……俺は、もう頑張らなくてもいいのか」


 そこでふと、ポケットに入れていたスマホが震えている事に気がつく。

 画面を見てみると、知らない番号からの電話であった。


「誰だろう……」


 俺は通話を押してからスマホを耳に当てる。


『もしもし、山田弘さんの携帯でしょうか?』

「どちら様ですか?」

『こちらは、東都医大内科の大橋と申します。山田安江(やすえ)さんの御子息の弘さんではありませんか?』


 電話口の向こう側から聞こえた言葉に、俺の心臓はドクンッと強く脈打つ。


「えっと、はい、そうです。母が、なにかありましたか?」

『えぇ、今朝方の事ですが、こちらの病院に救急搬送されまして……』


 そこからの事は、あまり覚えていなかった。

 気がつけば俺はタクシーを捕まえて医大まで直行していた。そして、受付から案内されるままに病室へと向かうと、そこにはベッドで静かに眠る母さんの姿があった。

 心筋梗塞。玄関口から這い出るように倒れていた母さんを、偶然にも近所の人が見つけて通報してくたので事なきを得たそうな。

 いくつもの管が付けられた母さんを見下ろしながら、俺は後悔に唇を噛み締める。


(朝の電話は、きっと母さんが俺に助けを求めてかけてきた電話だったんだ……それなのに、俺は……!)


 ベッドの脇にある椅子に座り、母さんの手を握りしめる。

 その時になって、ようやく気がつく。母さんの手は、いつの間にか俺のてよりも小さくなってて、細かいシワやアカギレで一杯な事に。


「そういえば……最後に母さんの手を握ったのって、小学校だったもんな」


 そんな事を考えていると、握っていた母さんの手が、微かに俺の手を握り返してくる。


「母さん!?」

「……弘。あんたは、いつまでも泣き虫やなぁ」

「母さん!」

「ほんま、いつまでも世話の掛かる子」


 母さんはうっすらと目を開き、少しだけ微笑んでからまた眠りについた。


 本日怒濤の三話更新。ちょっと区切りの部分で終わっているので、四十二話は短めです。

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