第三十七話 気道
うおおおい!?
まさかの斬鉄まで使えない状況とは思わなかった。【格納庫】が使えないこともそうだし、もしかして魔力全般が使えないってことか?
そんなんマジでヤバいんだけど。
転生者
魔力なければ
ただの人
弘
一句詠んでる場合じゃねえぇ!! ひとまず眼前に迫る針山をどうにかせねば。
俺は持っている斬鉄を真下に振り下ろすと、針と針の隙間に突き立てる。魔力を通わせていない斬鉄は、ただの金属の棒となんら変わりない。
針山の間に突き立てた斬鉄はその特性上地面の部分に突き刺さることは無い。切っ先があるのに突き刺さらない光景は変な感じだが、針山の長さより少しだけ斬鉄が長いおかげで俺の鼻先ぎりぎりで止まることが出来た。
「あ、あっぶねぇぇ......危うくマジで穴あきチーズになるところだった......」
気分は天井からワイヤーで吊られたミッションがインポッシブルなあれだ。針山の先が鼻にちくちく当たって痛い。
なんとか両腕で斬鉄を支えにして今の態勢を維持しているが、流石にいつまでもこのままとはいかない。
この状況から逃げ出さなければと辺りを見回すと、いくつもの視線に気が付く。
どうやら警報によってさっきのネズミが集まってきたようだ。針山の隙間に身を潜め、こちらの様子を覗っている。
「は、はははは......やぁ、ご機嫌いかが?」
苦笑いを浮かべてネズミに声をかけてみる。体も小さく、単体では脅威にならないとは思うのだが......なぜだろう、嫌な予感しかない。
そう思ったのがフラグという奴だろうか。ネズミたちのくりくりとした瞳が、一気に真っ赤に染まり、小さな体から黒い気配が沸き上がる。
「うっそだろ!? こいつら、魔獣化してやがるのか!?」
魔獣化した動物はその身体能力の向上もあるが、見境なく襲ってくる凶暴性がとにかくやばい。
ネズミたちは甲高い声を上げると一斉に動き出し、次々と俺に飛びついてきた。
「ま、待ってくれ! そんなに飛び掛かられたらバランス崩す!!」
ただでさえやばい態勢なのに、上にでも乗っかられたら針山の中にダイブだ。
とは言っても、格納庫も斬鉄も封じられた俺に出来ることなんて少ない。大方の荷物も格納庫に閉まってあるのだ。
最終手段として、斬鉄を棒高跳びの要領で手放してこの場を脱出するしかない。そう思った時だった。
「ヒロさんをやらせませんよ!!」
「イーイーさん!」
「キキー!?」
音もなく近づいてきていたイーイーさんが、合計八本の手足を振り回して、ネズミを次々と切り飛ばしていく。
「チュチュー!」
「ヂュー! ヂュー!」
突然現れたイーイーさんに恐れをなしたのか、ネズミ達は急いで部屋から逃げ出していく。
そして、先程警報を発していた例の浮遊物もいつのまにか消えていた。
「大丈夫ですかヒロさん!」
「た、助かりました……でも、よく此処がわかりましたね」
「もの凄い音が聞こえてきたもので。あっ、いま助けますね」
イーイーさんは糸を俺の体に巻き付けると、そのままスルスルと引き寄せて背中の後ろに乗せてくれた。見れば、イーイーさんは普通に針山の上に立っている。痛くはないのだろか?
「ほら、私たちは指先が蹄の様になっているので、この程度の針なら刺さらないんですよ」
「ほえー。あ、でも見た感じだと、蹄というより、爪が大きくなった感じなんですね」
「そうかもしれませんね。さて……ここからどうしましょうか?」
一先ずネズミなどを撃退できたが、魔力が使えないとなると俺は本当に役に立たないかもしれない。他所は体が頑丈ではあるが、その他は普通の人間と大差ない。
一応背嚢には自前の傷薬やちょっとした錬金術で配合した薬はあるが、魔獣相手に通じるかはあまり期待できそうにない。
「悔しいですが、一旦戻れますか?」
「あー、いえ……その……」
聞けば、イーイーさんは飲み込まれた穴の中で直ぐに態勢を建て直し、そのまま穴を遡って外に出ようと試みたらしい。だが、飲み込んだ穴は直ぐに土で埋めてしまったのか、脱出することは叶わなかった。
そんな折りに先程の騒ぎを聞き付けて、やって来てくれたらしい。
「そうなると、やはりレガリアを回収する以外方法はない感じなんですかねぇ」
「その方が良いかもしれませんね。幸いダンジョンは広いので、私の移動も問題ないです。ヒロさんは私の後ろで指示をお願いします」
普通の女性を三人分くっつけたような大きさのアラクネは、その巨体から移動できるスペースが限られている。その分木や壁にくっつくことができる手足の構造をしており、ちゃんと利にかなった進化を遂げているのがわかる。
あれ? と言うことは、アラクネってヒト族の先にある進化個体なのだろうか?
よくよく考えれば、獣人にしろノームのしろ、ヒトよりも様々な進化の先にある形をしている。
例えばノームなら、鉱石などを食べてエネルギーに変えることが出来る体の構造になっている。石切歯なんていう専用の特徴もあるし、これはある意味では食糧難に貧した際にこういう進化を遂げた個体が残って、そこから繁栄した可能性すらある。
ふーむ。ろり神様に聞きたいことができたが、どうもやはりと言っていいかろり神様とコンタクトがとれない。あれも魔力を使って話せていたのだろうか。
「何はともあれ、進むしかないか。ごめんなさい、イーイーさん。俺は少し役に立ちそうにないですが」
「いいえ! 私が頑張るので、大丈夫ですよ! エンダー様の使徒をお守りできるなんて、光栄ですから!」
張り切って力瘤を作るイーイーさん。なんとも頼もしい限りだが、力瘤の大きさが俺の作るものより大きいのはいったいぜんたいどういうことだろう。流石、戦闘民族だ……。
ダンジョン内部は壁や床がぼんやりと光を放っているおかげで、松明やカンテラを使わずに済んでいる。視界の確保が用意なのは大変助かる。
慎重に奥に続く道を歩いていくと、今度は二股に別れた道が見えてきた。
「口から続いてるから、食道と気道の分かれ道かな? ダンジョンコアが心臓ってんなら、気道からの方がいい気もする。胃液にダイブなんて洒落になってないし」
「そうですね……でも、ダンジョンに気道とかあるのですか?」
「こいつが生物であるかぎり必要だね。どんな生き物でも、無酸素で生きていけるのはあまり考えられない」
「でも、水の中に生きている生物とかって、魚とかはエラがありますが、ない生物もいますよね?」
「あぁ、こっちの世界にも魚以外の水中生物ってちゃんといるんだ。そうだね……例えば蟹とか蛸とか、あとはナマコなんかもいるのかな?」
「えっと、ナマコというのはわかりませんが、蟹や蛸はいます。熊より大きいですけど」
「えぇえ……?」
水中生物のどうやって息をしているのか。それは、見えない部分に、もしくは見えているけれどそう見えないエラが存在するからだ。
例えば蟹は甲羅の中にエラがあるし、タコも筒状の胴体の内側に二本のエラがある。ナマコやウミウシなんかは体表から得ることが出来る。
もしかすれば、この世界は元の世界と違って魔法なんていう未知な要素があるので、必ずしも間違いないとは言えないけれど、それでも多分どの生物でも酸素は必要だろう。
そして、それはダンジョンというものが生き物であるかぎり恐らく必要な事だ。仮にウミウシたちの様に、表層だけで酸素を取り込む仕組みがあるかも知れないが、この広さの体を維持するにはまず難しいだろう。なので、気道は必ずあると思っている。
と、そんな事を考えていると、すーっと頬をなぜる風が吹いてきた。
「やっぱり。もしも密閉空間であれば、きっと内部の生き物も生きてはいけないし、ある程度の換気も必要になってくる。酸素があっても、二酸化炭素を排出出来なかったら死んでしまうからな」
「よくわかりませんが……いま吹いた風がそうなんですか?」
「あぁ。さっきの風の方向に進んでもらってもいい?」
「はい! 行きましょう!」
漲るやる気を見せてくれるイーイーさん。どうやら、この世界ではあまり元の世界の様な体系に基づいた理論が発達していないのかもしれない。
……いや、アラクネだけがそうって可能性もあるけど。そう言えば、薬学なんていう高度な物もあったし。
何はともあれ、俺とイーイーさんはダンジョンの奥へと向かうことにしたのであった。




