第二十話 暗雲
※第三者視点です。
ヒロがベラシア村を去ってから二週間ほどが経った。
魔獣化した鬼面草の毒の後遺症も殆ど残ることはなく、村人たちは全員回復に向かっていた。
だが、本来であれば喜ばしいこの状況であっても、ベラシア村を包む空気は重く、暗い。
「わしらは、どういう答えを出せば正解じゃったのかのう……」
窓からみる村の景色。広場で遊ぶ子供たちの声だけが、村長にとっては最大の救いであった。
「私は、すぐにでもヒロを探しに行くべきだと進言致します」
「ピピルさん……いえ、ピルクリム殿」
村長の部屋には、村の運営を担う者達が集まっていた。その中でも村長に一番近い席に座っていたピピルが立ち上がる。
「ガルフの件については、もしもヒロが殺らねば村の誰かが殺る必要があった! それは、もしかすれば多くの犠牲が必要になっていたのかもしれない。それなのに、我々はその恩人を見送ることなく、称賛をするでもなく行かせてしまった! これは、私自身の誇りにも反する!」
激昂するピピル。その姿は、普段の私兵団で働いている気の良い男ではなく、誇り高き騎士の様相であった。
事実、この男はモザン領主に仕える騎士である。
私兵団は領主の財によって雇われているので、基本的には雇い主の言うことに従う。だが、それもやはり繋がりは『金銭』によるものであり、何かあれば思わぬ方向に転ぶことも考慮しなければいけない。そこで、一番信を置く者に私兵団を任せ、手綱を握っているのだ。
モザン領主の懐刀であるピピル、本名ピルクリム・ア・スローレス。領主との連絡係も兼ね、騎士見習いの時分から含めてもう二十年近くこの村に滞在しているのだ。
「それはわかるが……ガルフの両親の気持ちを考えれば、あまり手放しでヒロを褒め称えるのも……」
「そもそもだ。ガルフが鬼面草をとって来なければ、こんな事にはならなんだぞ?」
「だが、鬼面草が魔獣化するなど聞いたこともない。それでガルフを責めるのはお門違いだ」
やいのやいのと議論を交わす老人達。その様子を眺めながら、ピピルは内心頭を抱える。
(いまはガルフの罪の行き先を話し合う場ではないだろう! 異世界からの来訪人……『マレビト』の行方を見失ったんだぞ!)
と、その時だった。
会議室兼村長の事務室のドアが開く。
「失礼、私はアウグスト王国第三騎士団副団長、オルクール・サ・イベリオンです。村長はどなたでしょうか」
「わ、私ですが……」
「そうですか……此度は魔獣災害に見回れたとお聞きし、第三騎士団30名が馳せ参じました。既に魔獣災害については鎮圧がなされたそうですが、まだ壊れた建物の復興などがお済みでないでしょう。我々で復興のお手伝いをさせていただきます」
そう言いながら白銀の兜を脱ぐオルクール。現したその姿は、美術品の彫像の様に整った端正な顔立ちと、窓の外から差し込む光に煌めく金糸の様な髪の毛もあわさり、まるで神話に出てくる美の神を思わせるものであった。
「お、王国第三騎士団、だと……?」
「おや? ふーむ……あぁ! 貴方は一度御会いしたことがありますね! 確か、ピルクリムさん、でしたか。殿下の生誕パーティーぶりですね」
「こ、これは失礼致しました。挨拶が遅れ、申し訳ございません」
直ぐ様膝をついて頭を下げるピピル。オルクールは少し困った表情を浮かべながら、ピピルの肩に手を置く。
「そんな畏まらないでください。私たちはこの村の事に疎いので、出来れば案内などをお願いしたい。構いませんか?」
「ハッ! ピルクリム・ア・スローレス、拝命致します!」
二人の様子を呆けながら見つめるベラシア村の一同。それも無理はなかった。
辺境に近いモザン領の端に位置するベラシア村に、王国の遣いが来ることなど皆無である。しかも、王国騎士団となれば、本当に有事の時位のものだ。
そして、ピピルにとってもこの来訪は大誤算であった。
名前と家名の間にある一文字は、身分を表している。例えばピピルの本名であるピルクリムなら、『ア』。これは騎士爵を表しており、ピピルはその中でも準男爵に位置する。
『ア』は騎士から準男爵までの範囲を表しており、詳しい爵位に関しては家紋に彫られた線で判別をするが、一先ずこれは置いておく。
問題なのが、オルクールの爵位だ。
『サ』が表すのは、子爵。ピピルの様に一代限りしか認められない騎士爵とは違い、バリバリの貴族なのだ。
しかも王国騎士団に所属しているということは、権限ではたかだか一領主の騎士など到底かなうはずもない。
この時点においてベラシア村及び、今回の魔獣災害の指揮はオルクールに移ったと言っても過言ではないのだ。
(それに、なんと言ったこの男! 殿下の生誕パーティーだと? あの時、確かに私は領主様と共にパーティーへ護衛として共に参加した。だが、私はあくまでも警護。名など名乗らなかったはず! なぜ、この男は私の事まで把握をしているのだ)
ピピルは背中に伝う汗をそのままに、出来るだけ表情には出さないようにオルクールを見る。
村長と談笑している姿は、平民にも気さくに接する優男にしか見えない。
だが、あり得ないのだ。子爵クラスの、しかも王国騎士団の副団長がこんな村に来ることなど。
(それほどに、今回の一件は大きな事なのか? くそっ、尚更ヒロを留めておけば良かった)
後悔先に立たず。ピピルがそんな事を思っていると、バタバタと何者かが走ってくる音が聞こえてきた。
そして、勢いよく開かれたドアの向こうには、二人の騎士とアンナの姿があった。
「オルクール様! 獣人が村に紛れていました!」
「い、痛い! 離して!」
「ほう……?」
しまった。ピピルがそう思った時には既に遅い。
十五年前のある日、村に流れ着いた二人の獣人。その二人が残した宝と、村での密約。
それらが一気にピピルの脳裏を過る。
「これはこれは、可愛いお嬢さんだ。ですが、村長……これはどういう事でしょう?」
「えっ!? あ、いや、その……」
アウグスト王国は反獣人国家である。過去に獣人国家との大きな戦いが三度あり、戦火の収まったいまでも敵対関係は続いている。
そしてなにより、十五年前に発せられたひとつの法律が、アウグスト王国において獣人の存在を許されざるものにしていた。
「ふむ……まぁ良いでしょう。私にとって獣人とは、そこまで忌避すべき者ではありませんからね。それに……」
顔を手で覆うオルクール。指の隙間から覗く瞳は、まるで蛇の様な鋭い眼光を湛えていた。
「こんな田舎まで連れてきてしまった騎士達の、いいガス抜きになりそうですからねぇ」
先程までの柔和な声は何処へいったのか。凍りつくような冷徹な声に、ベラシア村の一同は心臓を掴まれたかと思った。
だが、その中でも動く者があった。
「お、お待ちください! オルクール様!」
「ん? どうしたんですか? ピルクリムさん」
「既にお耳に入っておられるかと思いますが、先日この村には《マレビト》がやって来ました。その娘はマレビトと縁があります。害すれば、マレビトの怒りを買うやもしれません!」
「あぁ、聞きましたよ。ヒロさん、でしたっけ? まぁ、あまりぼかしても察しの悪いこの人たちには通じないでしょうから、私たちの目的を言いますね。マレビトを此方に寄越しなさい。これは国王様の勅命です」
オルクールが取り出した一枚の羊皮紙。そこには、マレビトのヒロを速やかに引き渡すよう書かれ、国王アウグスト12世の押印が為されたものであった。
「ひ、ヒロは現在狩りに出ております! 戻るまで数日は必要かと」
「ふぅ……そうですか。わかりました。まぁこの獣人の娘も、ヒロさんとの交渉材料にしましょうかね。では、今日の所はこれで」
「あ、あの、泊まる場所などは……」
「結構。我々は魔導倶がありますので。あぁ、あとこの娘はそちらに返しておきますよ。一応、信頼はしていますので。決して……裏切らないでくださいね? では、失礼」
最後の一瞬、目を細めたオルクールから放たれた殺気は、幾度も死線を乗り越えてきたピピルでも竦み上がるものだった。
ヒロが去ったベラシア村。
その空には、暗雲が立ち込めていた。
次回から新章です。ヒロ視点に戻ります。




