第十六話 吐露
俺は村の人たちよりも先に、森の奥へと進んでいく。
獣避けの薬のお陰で村の人たちは無事ではあるが、それは森にとっては『不自然』を産み出すことになる。村の人たちが獣避けをつけて森に入れば、追われて逃げた獣達がさらに森の奥へと逃げるからだ。
そんなことになれば、どうなることか。森の許容範囲を狭めているだけなので、いずれは暴走、つまりスタンピードが始まるのだ。
「うおぉ……やっぱり酷いことになってやがる……」
まだ奥地に入ったばかりだというのに、既に地面のあちらこちらでは無惨にも食い殺された草食獣の死骸が転がっていた。中には肉食獣の姿もあった。
普段はそれぞれが縄張りを持ち、お互いが争わなくても良いようにしている肉食獣も、出会ってしまえばこうなるのは必然だ。
度を過ぎた自然への介入は、歪みを産み出してしまう。そして、その歪みが集まって生まれたモノこそが、魔獣と呼ばれるものである。いや、正式には魔獣と呼ぶべきではないだろう。なぜなら、生きとし生けるすべての生物が、この現象に成りうるからだ。
俺があの時、ろり神様に見せられた映像は、断片的な未来の映像であった。
突如として倒れる人々。
森を飛び出す狂った獣達。
そして、起き上がった人達は緋い瞳のまま、お互いを殺し始める。
ベラシアの全てのモノが狂い、それはやがて他の村や町にも広がっていく。
最後に映し出されたのは、赤い花弁を持つ鬼面草であった。
『わしがお主に示してやれるのはここまでじゃ。まぁ理解はしてくれておるじゃろうが、わしにとっては人間も他の生物も等しく可愛い子じゃ。そしてそれは、自然にとっても同じじゃろうて。だが、あの魔獣とやらは知らぬ。あれはわしの預かり知らぬナニかじゃ。あとは頼んだぞ』
そう言って、ろり神様は消えてしまった。
どう解決をすればいいのか、何故こんな事が起きてしまうのか。その詳細も告げずに。
「なにが御告げだよ! ちくしょう! ……ん?」
ひたすらに森を走り回っていると、鷹の目に人の影が映った。視点を近づけてみると、それはガルフ達であった。だが、妙に様子がおかしい。
駆けつけてみると、地面に跪きながら頭を押さえるガルフと、どうすればいいのか判らず狼狽える取り巻きの姿があった。
「おい! お前ら!」
「あっ! ひ、ヒロくんだ……」
「な、何しに来たんだ! あっちいけよ!」
「う……ぐぅう……」
いや、あっち行けもなにも、お前らはいま緊急事態だろうが。それくらい判断しろよ。
「ガルフは大丈夫なのか? 頭が痛いんじゃねえのか?」
「お前には関係のない……」
「も、モースくん! このままじゃ、ガルフくんが危ないよ!」
体は大きいのに物静かな方の取り巻きが、チビで鷲鼻の奴の肩を掴む。確か、大きい方はボボとか言ったか。
「すまんが、村が危ない事態が起こっている。ダメだと言っても、無理矢理診せてもらうぞ」
俺の言葉にモースは何かを言いかけたが、肩を掴むボボがそれを止めて頷いた。
踞るガルフに近づいた俺は、そのまま解析を使ってガルフを診る。すると、やはり既に《狂化》が始まっていた。
《狂化》とは、魔獣化をするにあたっての身体的変化である。原因まではいまの所はわからないが、元の世界で該当するのなら狂犬病などが近いのかもしれない。ただ、この世界には《魔素》と呼ばれる不思議物質もある。一概には言えない。
「ガルフ、しっかりしろ。気を強く持て」
「う……る、せぇ……! てめぇの、指図は……うけねえ!!」
「お、おい! いきなり動くな!」
側にいる俺を退けようとしたのだろう。ガルフは思いっきり腕を振ってきた。
だが、その腕を見てモース達は悲鳴をあげる。
「ひぃい! 化け物!!」
「あ、あわわわわ……」
振り抜かれたガルフの右腕。それには、人間には到底備わっていない《異形》とも呼べる機構が備わっていた。その機構は恨めしそうな声を発している。
『オオォォオォォォ……』
「腕に顔や腕が生えるって……バイ○ハザードの世界にいきなりシフトインってか?」
ジュルジュルと音を立てながら、ガルフの腕からは次々と小さな手や顔が生まれてくる。
先に見たラビットベアは魔獣化をしてはいたが、瞳と身体能力以外に変化はなかった。人が魔獣化すればこうなってしまうのか?
そんな疑問も浮かんではいたが、いまはガルフに集中するべきだろう。
何故なら、俺を見つめる緋色の瞳が、まるで獲物を前にした肉食獣の様に爛々と輝いているからだ。
「力が、溢れてくる……」
「ガルフ、落ち着け。いまのお前は病に侵されている。そのままでは、お前は魔獣の様になってしまうぞ!」
「病? 馬鹿な事を言ってんじゃねえよ。これだけ力が溢れてくるのに、体が悪いわけねえだろがよう……頭痛も消えて、気分も最高だぜ……」
ダメだ。こいつ、魔獣化による身体能力の上昇に、頭がハイになってしまっている。だが、まだ会話ができるのは救いだろう。なんとかこいつを直ぐに取り押さえ治療に移らねば。
「自分の腕を見てみろ! そんな状況が普通な訳じゃないだろう!」
「……あぁ、普通じゃねえな。だが、普通じゃてめぇには勝てねえんだよ! おらああああぁぁぁ!!」
「うおっ!?」
ガルフが再び右腕を振るうと、まるで鞭の様なしなりを見せながら迫ってくる。おおよそ人間に可能な動きではない。
俺はなんとかその腕を屈んで回避すると、そのまま腰に提げていたショートソードを抜き放つ。
「すまん!!」
「ぬ?」
「「ガルフ!!」」
俺の放った剣戟は、ガルフの腕に深々と刺さり骨を打ち砕く。やはり、そこそこの剣と俺の腕では、人体の両断など夢のまた夢だ。というか、物理的に骨の両断って難易度高いよね。
だが、これぐらいでも人は戦闘不能に陥る。なまじ切り落とされていない分、戦意の喪失は大きい……と思っていた。
だが、俺を睨み付けるガルフの瞳は、緋色に燃えていた。
「効かんわぁ! だぁぁあらああああ!!」
「お、ちょ、待て! うわぁ!?」
肉を斬られ、骨を砕かれてもなお腕を振り回してくるガルフ。もしかすれば、興奮状態に痛みを感じていないのかもしれない。
「俺は! お前が大っ嫌いだった! 俺の……俺のアンナを!」
「馬鹿言え! アンナは誰かの持ち物じゃねえし、第一俺はアンナを断った!!」
「そんな風に、アンナの心を弄びやがって!!」
「おい!? 俺はどう答えればいいんだよ! このわからず屋!!」
仕方ない。俺は腰にもう一本提げていた相棒を抜くと、ガルフの馬鹿みたいに振り回している腕に振り下ろす。
何度か打てば魔獣化したラビットベアの首をも落とす代物。
相棒の大鉈は、ガルフの腕に深々と食い込みながら骨を断ち切り、そのまま反対側へと振り抜かれる。
鮮血と共に宙を舞うガルフの腕。肘上から断たれたそれは、地面に落ちてもまるで自我があるように蠢いていた。
「あぁぁああぁ! 俺のうでがぁああぁぁ! ちくしょう、ちくしょうぅぅ!」
「喚くな! これでも吸ってろ!!」
「ぐわぁ! なにをす、る……う…………」
後ろに回ってガルフの口と鼻を布で押さえる。布にはヨシュアさんから頂いていた麻酔用薬がたっぷり染み込んでいる。
『王都に行くならなにかと必要だ』と言うことで、昨日貰っていたのだ。
流石のガルフもこれには意識を保つことができなかったのか、そのままだらりと四肢を投げ出して倒れた。
ガルフを心配し駆け寄る取り巻き。だが、そんなものはお構いなしに、俺はガルフの体を縄で縛り上げる。ついでに右腕の傷口も。
「お、おい! ガルフをどうするつもりだ!」
「どうするもこうするもないだろう。また暴れられたらどうにもならん。ボボ、お前はガルフが暴れないか見ていてくれ。それから二人に聞きたい。お前達は、赤い鬼面草を見ていないか?」
俺の問いにお互い顔を見合わせるボボとモース。しばらく考え込んでいたが、ふとモースがなにかを思い出して手を叩く。
「そういえば、ガルフは一週間前に珍しい物を見つけたって言ってたな。これなら、赤い花が好きなアンナに振り向いて貰えるとも言っていた。それでドライフラワーを作るって」
「おいおい……まさか」
「あぁ、多分ガルフの家だろう」
もしも、ガルフが鬼面草の変異した毒にあてられ、吐き気や頭痛の症状がでていたのなら、まだ鬼面草は生きている。このままでは村が危ない!
「ボボ! ガルフを担げ! モースは俺をガルフの家に案内しろ! あいつと交流がなかったから場所がわからん!」
「な、なんで俺がお前に協力を……」
「いいのか? お前の父ちゃんも母ちゃんも、確か妹もいたよな? 全員がさっきのガルフみたいに……あんな風になってもいいのか!」
モースは俺が指差したガルフの腕を見る。
さすがにもう先程の様に元気に動き回ってはいなかったが、それでもピクピクと小刻みに震えている。
「そんなに、やべえのか……?」
「あぁ。森にあると思っていたその花を、みんな今ごろ探している。くそっ! あのろり神様が見せたのは、過去の鬼面草だったのか!」
てっきり時系列で見せられているものだと勘違いしていた。これは俺のミスだ。
「……わかった。ガルフの家を教えるよ。俺の、俺たちの村を助けてくれ」
「あぁ、勿論だ」
こうして、俺たちは村へ向かって走り始めた。




