第十二話 別離
臨時で雇われている俺みたいなのも含め、村にいるトールキン商会の人間は全部で七名。それぞれが役割を果たし、村での仕事をしてきた。
そうすれば自ずと村人との関係は築けるもので、俺たちが村を発つ前日にはみんなが別れを惜しんで、村人総出で送迎会を開いてくれた。
「短い間でしたが、お世話になりました」
「いやいや、お世話になったのは私たちのほうですよ。本当に、ヒロさんには色々とお世話になりました」
酒瓶を片手に、各テーブルを回っていく。とは言っても、もうみんなどんちゃん騒ぎで決まった席などないに等しい。そんな中で、俺は村で関わった人達にあいさつ回りをしていく。
「ヒロ……寂しくなるな」
「リッチの親父さん……リッチは?」
「さすがにこの時間になれば寝てるさ。まぁ大人はみんな来てるから、アンナあたりが面倒を見てくれてるだろうよ」
子供達のまとめ役であるアンナは、こういった時に頼れる存在だ。この国では酒が飲めるのは18になってからであり、まだ16歳のアンナは留守番となったのだろう。
「ところでよぅ、ヒロ……アンナを嫁にしねえのか?」
「ぶぅー! な、なにを言ってるんですか! アンナはまだ16歳でしょう!?」
「馬っ鹿言え、もう16歳だ。知らねえのか? この国では酒は飲める歳になったら結婚ができる。ただ、婚姻の儀式は前もって行うことができるのさ。儀式を結んだあとは、お互い結婚に向かって準備を始める。男は結納、女は家事や子育ての知識を習う」
「そんな習慣があったんですね……親からはあまりそういうのは聞いてなくて」
「そうなのか? 意外だな。で、どうよ! アンナは良いぞー? 気立てもいいし、織り物もうまい。料理だって抜群だしな」
「そうだぞ、ヒロ。それにアンナはお前さんに惚れてるみたいだしな」
「お? アンナとヒロの話か? 聞かせろ聞かせろ」
リッチの親父さんの声がデカいからか、みんながゾロゾロと集まってくる。そのなかには、アンナの両親まで混じっていた。
「待って! 親父さんとお袋さんは止める側でしょ!?」
「何言ってんだ、おめぇみたいな稼ぐ男を歓迎しない親がいるかよ」
「そうよぅ。それに、ヒロは子供にも優しいし、むしろ村の若い子はみんなヒロのことを狙ってるよ?」
うっそだろ!?と思い回りを見渡したが、誰一人からかう様子もなく、みんな真面目に頷いていた。若い男が肩を抱き合って泣いていたが、見なかったことにしよう。
「そ、そんなことを言われましても……」
「なんだてめぇ! おれっちの大事な愛娘が気に入らねぇってのかい!?」
「落ち着けジジル!」
「酔いすぎだ!」
「あぁん!? おれっちは酔ってねえ!!」
段々とアンナの親父さん、ジジルさんの語気が強まってくる。ジジルさんは村一の大工で、その腕や胸板の太さはまるでアニメに出てくる親方のイメージそのものだ。気合いを入れたら上着が裂けるのではないだろうか。
「暴れんなジジル!」
「おい! 誰か止めろ!」
「うわああああ!?」
遂に暴れだしたジジルさんに、皆が取り押さえようと殺到する。が、その怪力に振り回され、村の男たちは吹き飛ばされていた。
女性陣は飽きれ顔でそそくさと料理などを避難させ、被害の及ばないところでため息を吐いている。どうやら、この慣れ具合を見る限り、ジジルさんはいつもこうなのだろう。
「すまないねぇ、ヒロ。うちのアホは普段はあんまり酔わないくせに、アンナの事となったらこうなのよ」
「そ、そうなんですね……アンナと言えば、何故アンナはいつも帽子を?」
初めて会った時は、森に入るから帽子を被っているだけなのかと思っていた。しかし、村で過ごしている内に気がついたのは、アンナは人前に出るときは必ずと言っていいほど、ベレー帽のような大きな帽子を被っていたのだ。
「……アンナは、昔ちょっと大きな怪我をしてね。その傷を隠す為に被っているのさ」
「そうだったんですね……ありがとうございます。俺、そんなのに全然気がつかなくって」
「いいんだよぅ。それと、アンナのことは別にヒロが気にすることはないからね。そりゃあ、ヒロみたいな良い男が旦那になってくれれば、アンナも幸せだろうけど……でも、ヒロはこんな村に小さく収まってる男じゃ無さそうだしね。まぁ、あの子の初恋の相手があんたみたいな男なだけでも、アンナにとっちゃ良い経験さ」
そう言ってカラカラと笑うアンナのお袋さん。俺はなんと答えたら良いのかわからず、そのまま酒を呷って中身を飲み干す。しかし、特別製の体は解毒能力が高すぎるのか、酒をいくら飲んでも酔えない。
いまだけは、少しだけこの体の事が恨めしく思えた。
結局、ジジルさんが酔いつぶれて倒れたのを機に、宴は幕を閉じた。
小屋に戻った俺は、既に片付け終わった部屋の中を見回し、忘れ物などがないか確認する。
「そういえば、こいつにもお世話になったなぁ」
壁に立て掛けていた大鉈を、元の場所に戻しながら呟く。森に入るにはいつも一緒だったし、剣の技術なんてなかった俺には、振って当たれば破壊力を発揮できる大鉈は最高の相棒だったと言える。
そんな風に、ベラシア村での短くも濃かった生活を思い出していると、不意に足音が近づいてくるのが聞こえた。
俺は直ぐに鷹の目を発動し、小屋の周辺を見回す。すると、足音の主はアンナと飼い犬のエリーであった。
「アンナ?」
小屋の中から呼び掛けた声は、アンナに届いたらしい。一瞬足を止めたアンナだったが、そのまま小屋の前まで来ると入り口にもたれ掛かる。
「ヒロさん、起きてますか?」
「あぁ、ちょっと待ってね。すぐ開ける」
「い、いいです! そのままで……」
俺はドアノブにかけようとしていた手を止めた。
「そのまま……聞いてください」
「……うん」
「先程は、父がヒロさんに失礼な事をしたそうで、本当に申し訳ありませんでした」
「え? あぁ、あれか。ははは、親父さんは本当にアンナの事が好きなんだね」
「困った父ですが……悪い人ではないんです」
「うん、わかるよ。ジジルさん、気さくだし面倒見いいもんね」
村で滞在する間、小屋が老朽化によって雨漏りをしていることがわかった。それを聞きつけたジジルさんは直ぐ様飛んできて、あっという間に小屋を修理してしまったのだ。その後も、顔を合わせる度に困ったことはないか、小屋は雨漏りをしていないかなど、よく気にかけてくれていた。
「ちょっと五月蝿いですけどね……それで、ヒロさん」
「うん」
「ヒロさんがこの村を去るって聞いて、子供たちはとっても寂しがっていました。そのせいか、リッチもなかなか寝ついてくれなくて」
「正直言うと俺も寂しいよ。みんなと仲良くなれたしね」
「……私もです、ヒロさん。私も、寂しいです」
ドアの向こう側から聞こえてくるアンナの声は、微かに震えていた。
正直言えば、かなり迷いはある。アンナの好意がわからないほどの朴念仁でもないし、ぶっちゃけるとアンナは物凄く好みでもあった。
だが、俺にはこの異世界でなさなければならないことがある。
それは、ケモ耳娘と結婚をすることなのだっっっ!!!
考えてもみてほしい。この世界には、俺の大好きな兎の耳を持つ女の子が存在する《現実》なのだっ!
それが判っていながら、俺は自分の気持ちに嘘をつくことはできない。それはアンナにも失礼にあたる…………多分。
とはいっても、それをばか正直にアンナに言って、16歳多感な少女を傷つける訳にはいかない。ここはひとつ、大人な対応をしようじゃないか。
「アンナ」
「え、は、はい……って、ひゃあっ!?」
「おっと」
ドアに背中を預けてもたれ掛かっていたいたアンナは、俺がドアを急に開けてしまった為、そのまま後ろにひっくり返りそうになる。アンナは慌ててずれそうになった帽子を掴み、俺はすかさずアンナの背中を支える。すると、逆さ同士で見つめるようにお互いの視線が合った。
「やぁ、こんばんは」
「こ、こんばんは……」
妙な声をあげたことか、それとも見つめあってしまった為か。その両方かもしれない。アンナは帽子をギュッと押さえたまま、みるみる内に顔を真っ赤にしてしまった。
その様子が思った以上に破壊力があって、俺は危うく色々と崩れ去ってしまうかと思ったが、なんとか理性を保つことができた。
「アンナ、ありがとう」
「え? あ、は、はい……こちらこそ……」
「アンナが居てくれたから、俺は村の子供たちとも仲良くできたし、楽しく過ごせたよ。これは、その恩返しだよ」
そう言いながら、俺は腰に提げていた道具袋からひとつのブローチを取り出した。それは、トールキンさんが王都から仕入れてきていた一級品で、なかなかの値段の物だ。
アンナの気持ちには応えることは出来ない。けれど、親愛と感謝の意味を込めて贈り物で、やんわりと断る。
前世を含めても、あまり恋愛というイベントに慣れていない俺が思いつく、苦肉の策であった。
俺からブローチを受け取ったアンナは、そのまましばらく黙り混んでいた。
その沈黙は俺にとってはなんとも居心地の悪いものであり、正直このまま森に逃げて朝まで隠れようかとも思ったくらいだ。
だが、その前にアンナが口を開いた。
「……ありがとう、ヒロさん。私、ヒロさんのことはずっと忘れないから……!」
そう言ってはにかんだアンナは帽子を目深に被ると、そのままトマスと一緒に走っていってしまった。
俺は、その目尻に光る物を見逃さなかった。見逃せなかった。夜目が利きすぎるこの体では。
「本当に、いまだけはこの体が恨めしいわ……」
ポツリと呟いて、俺はベッドに潜り込んだ。




