第十一話 失敗
俺の作りたいもの。それは、狂暴な肉食獣を避けるための薬であった。
もしもこの薬を作ることができれば、森に入る際にももっと安全を確保できる。ひいては、生存率をあげることが出来ると考えたからだ。
これは、森をさまよったリッチが、マリアモルファの体液を偶然にも体につけ、獣に襲われなかったことからヒントを得た。
しかも、俺の予想であればこれは魔獣化している獣であっても効果が見込めるはずだ。俺とリッチの距離はそう離れていなかったにも関わらず、魔獣化したラビットベアが先に森の奥に入ったリッチを襲っていなかったからだ。
「さて、におい成分がエコロ草にあるのはわかった。もしこれが無かったら、マリアモルファの幼虫自身が作り出していることになるから、虫の解剖をしなきゃいけないところだったぜ」
別段、そこまで虫が嫌いなわけでもないが、やはり芋虫を解体などはできれば避けたい。だって、マリアモルファの幼虫って野球のバットくらいの太さと長さがあるんだもん。
無事、解体は避けれたことは喜ばしい。しかし、エコロ草の中に匂い成分があることがわかっても、薬の作り方がわからなければ意味がない。そこで、なんでも載ってる辞書先生の出番なのだ。
「えっと、薬、薬……この項目か。獣避け……け、け……あった!」
流石は神様の辞書。世界各地に伝わる獣避けの薬やまじないが載っている。
しかし、肝心のエコロ草を使ったものは載っていなかった。
「マジか……ということは、これで薬が作れたら、世界初のエコロ草を使った獣避けになるってことなのか? これは、滾るじゃねえか!」
世界初。おおよそ、一生縁のない単語だと思っていた物が、手の届きそうな範囲にある。こんな状況、楽しくないわけがない。
俺は早速、他の薬の作り方を参考に、様々な視点から薬作りを始めた。材料についても、手に入らないものは成分の似ている物で代用したり、トールキンさんに頼んで取り寄せてもらったりもした。
そして、二週間の時が過ぎた。
「なんで出来ないんだあぁぁああぁ!!」
俺は自宅の小屋で雄叫びをあげていた。
あれから薬の調合をする事、もう百や二百では足りない。貴重なエコロ草もなんどが追加で売ってもらいながら取り組み、その支払いの為に森に入って狩りをする日々。それから体を鍛えないと、いざというときに動けないのは笑えないと鍛練まで日課に加え、俺の睡眠時間は三日で三時間という地獄のようなスケジュールになっていた。
それでも壊れないんだから、この体の頑丈さは異様である。ちなみに、無理をしているわけではなさそうだ。自身を解析したところ、健康状態は《良》であった。健康とはいったい。
「そんなことよりも薬だよ! なんで、なんで出来ない!」
俺は机に並べていた液体が入った容器を眺める。
結果からいえば、獣避けの薬は出来た。自分に振りかけ、格納庫に籠りながら森の奥に入っても獣は近づいてこなかった。
ただし、全ての獣が。
「いやはや、ヒロさん。これでも十分売れますよ! ラビットベアでさえ避ける、しかも従来の獣避けにある鼻につくような匂いもなく、エコロ草の爽やかな香りがする。これを欲しがる商人や旅人はいくらでもいます」
「ですが、肝心な《安全な狩猟生活》は不可能です。草食獣まで避けるのではダメなんです!」
「そこは考えようじゃないか? 必ず安全な仕事なんて存在しない。狩猟なんて最たるものだ。だが、それでもヒロが作った薬があれば、商人や旅をする者の往来が安全なものになる」
「そうですよ! むしろ、この薬をベラシア村で大量に作っていただきたいものです」
トールキンさんとピピルさんが盛り上がる中、俺は頭を抱える。
もう少しで答えはでそうなんだ。実際、エコロ草を食べる草食獣は森にも存在する。しかし、その獣でさえ薬のにおいには避けるのだ。
エコロ草にあって、薬にはないもの。きっとそれは存在するはずなのだ。
「学問は探究です。そこで止まっては、一生そこに到達できない」
「お前はいつから学者になったんだ? 戦うしか能のない俺からすれば、ヒロは十二分に凄いと思うけどな」
「同感です。素晴らしい狩りの腕前に、薬を作り出す知識。不眠不休で働く姿なんか、物語に出てくる賢者様のようです」
「「賢者様?」」
俺とピピルさんは声を揃えて尋ねる。どうやらピピルさんも知らないらしい。
「えぇ、東方に伝わるお話なんですけどね。ある日とある村に突然現れた一人の男。その男は皆の知らない知識を持ち、不思議な術を使って村の繁栄に大きく貢献したそうです。その村はやがて大きな勢力へと発展し、当時悪政だった国を討って新たな国を作り上げたそうな。そして、その初代国王となったその男は、その叡智から賢者と呼ばれたそうです」
知らない知識に、不思議な術。俺の予想では、それはもしかしなくても転生者なのでは……?
そういえば、ろり神様の話を聞いた感じだと、結構転生者がいるのかもしれない。あのゴブリンに殺られた青年も転生者だったし。
「ほう、まるでヒロみたいだな。まぁヒロは剣も魔法もからっきしだったけどな」
「最近は少しはましになってきてますー。まぁ人より練習してるだけですけど」
「あんまり無理をなさらない様にしてくださいね。ヒロさんは、我がトールキン商会の稼ぎ頭なんですから、グフフ」
また目が金マークになってるよこの人。まぁでも、結構稼がせて貰ってるのは間違いない。先日王都に戻って、また村に帰ってきたトールキンさんは、向こうでの売り上げが良かったみたいで、俺に特別報奨をくれた。こういう金払いがいい雇い主だと、俺も仕事がしやすい。
「あぁ、そういえばヒロさん。そろそろ例年だとベラシア村の滞在を切り上げて、王都に戻るのですが……どうします?」
「え? トールキンさんってベラシア村との交易がメインじゃないんですか?」
「えぇ、メインの商品はベラシア織の取引なのでそうなんですが、ベラシア織も年中作れるわけではないですからね。だいたいこの季節の決まった時期なんです」
「マリアモルファの生態が関係している。あれらが糸を出すのが雨季なのだ。だから、だいたい雨季を過ぎて、今ごろになれば美しいベラシア織が完成する。そして、それを売った資金で村の一年の運営をする。今年は雨季が長すぎたのと、嵐でエコロ草が少なかったから出来なかったがな」
「それだけベラシア織は重要な産業なんですね……」
そのベラシア織がエコロ草の不足で作れなくなっているのに、俺はその草を使って完成品を作ることが出来なかった。その不甲斐なさに、奥歯をぎゅっと噛み締める。
「まぁでも、今年はヒロのお陰で村も割りと賑わっているし、お前達の落とすバールが村を潤してくれている。俺も私兵として雇われているだけの身だが、この村には長く滞在しているから愛着もある。本当に、ありがとう」
そういいながら頭を下げるピピルさん。隣にいるトールキンさんも頷く。
「そうですよ、ヒロさん。先日、報奨を渡したときにも言いましたが、今年の交易は例年に遜色がない程に潤いました。正直、ベラシア織が手に入らないと聞いて商会を畳むかどうか迷ったくらいですが、なんとか王都に待つトールキン商会従業員20名、みんなに給金を渡せます。ヒロさんをベラシア村に導いたエンダー様に感謝を」
商人の証である帽子を取り、天に祈りを捧げるトールキンさん。どうやら、俺が出会ったろり神様はこの世界の人々からはエンダー様と呼ばれているらしい。
でも、そっか……無我夢中で気づかなかったけど、俺の働きがいろんな人の為になっていたと思うと、なんだか嬉しい気持ちになる。それと同時に、やはり自分の決めた目標をやり遂げたいという気持ちも強くなる。だから、俺は……
「わかりました、トールキンさん。俺、王都についていきます。そして、本格的に色々と学んでみようと思います」
ベラシア村を発つこと決意した。




