第十話 魔獣
「お金に、なる?」
少し酔っているのか、トールキンさんは赤い顔で頷く。
「そうなんです。例えば、今日ヒロさんが持ってきたラビットベア。あれはまだ、ようやく子供から大人になったばかりの、若いラビットベアなんです。まぁそれでもなかなか手に入らないのは間違いありませんが、あの状態なら50000から70000バールが相場でしょ。しかし、魔獣になっていれば話は違います。倍以上の価値がありますよ」
「ちょ、ちょっと待ってください! あれだけの大きさで、まだ大人になったばかりなのですか?」
「えぇ。成体でかつ、十年以上生きていた場合の体長は、さらに1.5倍から2倍ほどになります。まぁ、そんなラビットベアなど、王都の狩人ギルドに飾られている剥製くらいしか見たことないですがね」
俺は愕然とする。あの巨大な大熊でさえ、まだまだ成長段階であったことに。もしも俺が出会ったのが更に成長したラビットベアであったら。2倍の体長と言うことは、その分だけ速さも力も段違いだ。恐らく追いつかれて今ごろ餌になっていたことだろう。
「しかし、あんなまだ成体になりたてのラビットベアが魔獣化か……これは領主様に報告したほうがいいな」
コップを呷りながらピピルさんが呟く。
「結局、魔獣化ってなんなんですか?」
「魔獣化は……俺たちも実はよくわかっていないんだ。ただ、現れ始めたのは俺の爺さんの世代と聞くから、ここ百年くらいの話らしい。今日獲ったラビットベアの瞳の色をみたか?」
「え? えぇ、確か兎と同じ赤だった気がします」
「正確には緋色だな。そして、本来のラビットベアの瞳の色は茶色だ。魔獣化をした生物は、瞳が炎の様に緋色になることが特徴だ。それと、身体能力が格段にあがり、体も丈夫になる。あんな化物とやりあって生き残るとは、ヒロは本当に運が良かったな」
「補足をしますと、魔獣化をした生物が現れるののは、大飢饉や戦争などが起きた場所の近くであることが多いそうですよ。私は商人であって学者先生ではないので、詳しいことはわかりかねますが」
なるほど……それは恐らく、辞書に書いていた『禍々しい気を集めたモノがなる』というものが関係しているのだろう。そして、恐らく俺の勘がただしければ、禍々しい気とは決して人間だけの話ではないはずだ。
元の世界の神様も言っていた。人間だけが特別ではない。
この考え方が多分重要なのだとは思うが、いまは憶測でしかわからない。いずれ、ちゃんとこの事についても学びに行こう。
「まぁとにかく、ヒロもリッチも無事で良かった! っと、ヒロぉ! 呑んでるか!?」
「おわっ!? もう、酔いすぎですよリッチの親父さん」
「はっはっはっ! 本当、お前さんのお陰で大事なアホ息子が帰ってきた……本当に、ぼんどうに、ありがどう……!」
俺の手を両手で握り、ボロボロと涙を流すリッチの親父さん。
その様子を眺めつつ、俺は心の中であの世の親父に想いを馳せる。
(父さん……俺、誰かの為に頑張れたよ)
こうして、怒濤のベラシア村での一日目は終わりを迎えた。
それからしばらくの間、森の浅い場所で山菜や食料になる草食獣を狩って過ごした。ラビットベアについては、解体料や一部の素材を譲ってもらう分を差し引いて、98000バールの収入になった。
魔獣化した生物の解体は並大抵の労力ではなく、また技術も必要な為、結構な額を取られた。が、仕方ないだろう。それだけの価値はある。皮の一部を貰ったが、とてつもなく頑丈であり、いずれ活用したい。
さて、手持ちも若干増えたが、それでもまだまだ余裕があるとは言いがたい。日々の収入も解析先生と鷹の目先生のお陰で潤っているが、なんとか安定した収入を目指すのが現代日本人の性だ。
「というわけで、錬金術と薬学の必要器材が欲しいのですが」
「ヒロさん……あなた、いったい何処を目指しているんですか……」
トールキンさんに相談に行くと、そんなことをジト目で言われてしまった。解せぬ。
「いいですか? ここ最近のヒロさんの働きを見ていても、貴方が優れた狩人なのは明白です。森で採取してくる草の品質、種類、量、どれをとっても素晴らしいものです。しかも、ちゃんと肉になる獣まで狩ってくる。そんな優れた狩人に薬師の真似事をさせるなど……というか貴方はいったい、いつ寝てるんですか!?」
解析と辞書のお陰で、採取はもうなんというか拾い放題やり放題であった。それがあまりにも楽しくて、夜も格納庫に隠れながら採取したり狩りをしていたら、気がつけば三日ほど寝ずに働き続けていた。
転生前の死因の事は頭ではわかっているけれど、どうしても元気なら働くことが性になってしまっていた。しかも、今回は特別仕様の体なので、疲れないし眠くならない。元気があればなんでもできる。
「あぁ、いや、俺もそれでちょっと反省しまして……ほら、錬金術とか薬の製作なら村で出来ますし」
「そういうことでしたら……ちょうど1セットずつありますけど。初心者用なので、あまり高品質な物はできませんよ?」
「大丈夫です。そこは気合いでなんとかします」
「気合いでなんとかなるなら、薬師ギルドも錬金術師ギルドも無いんですがね……こちらが器材ですよ」
トールキンさんが荷物の中から取り出したのは、フラスコっぽいガラス容器やすり鉢など、本当に簡易な物であった。というか、ガラスってあるんだ。
「錬金術用が28000バール。薬用が29000バールです」
「えらく高くないです?」
「ガラスは高級品なんですよ。この形に揃えるのも大変みたいで」
「まぁいいか。はい、これでお願いします」
「……はい、確かに。しかし、大丈夫ですか? 錬金術も薬学も、知識が物を言う分野ですが。ヒロさんは【鑑定】をお持ちの様ですが、鑑定では知識はなかなか補えませんよ?」
「あぁ、大丈夫です。ある程度の知識は両親から教わっていますから」
「なんと、御両親はそういった分野にも精通するのですか? うーむ、ヒロさんの御両親に是非お会いしたかった」
まぁ実際は辞書と解析頼りなんだけどね。
ひとまずトールキンさんから購入した物を格納庫にしまう。
格納庫についてはラビットベアの時にトールキンさん達にバレてしまった。が、どうやら魔法に収納魔法も存在するようで、それで誤魔化している。収納魔法と格納庫の違いは、使用者本人が入れるかどうかの違いみたいだ。格納庫に入るときは気をつけねば。
小屋に帰ってきた俺は、机の上に先程購入した物を並べる。うん、なんというか、まるで科学者になったような気分だ。まぁ、科学なんて高校生くらいまでの知識しかないけど。
さて、早速錬金術セットを活用すべく、持ち物袋から草の束を取り出す。こいつは今やベラシア村では貴重になりつつある、マリアモルファの幼虫が好んで食べる《エコロ草》だ。無理を言って一束だけ譲ってもらった。
こいつを早速解析にかけてみる。すると、エコロ草の成分や状態などが色々と表示されてきた。
「うーむ、やっぱり成分の名前だけ見せられても、よくわからんな。まぁそれは元の世界でも一緒だけど」
ビタミンやアミノ酸の名前をつらつら書かれていても、俺にはそれがお経にしか見えない。が、今日はここからが違う。
「かのウィキ○ディア先生も、各項目からさらに詳しいページに飛ぶことができた。そして、それによってよく解らないものでも、なんとなく理解することができる。つまり……さらに【解析】!」
俺はエコロ草にかけて表示されていた解析結果に、さらに解析をかけていく。
すると、各成分のさらに詳しい情報が表示され、それがなんの役割があるのか。他の成分と結び付いて、どういう効果をもたらしているのかが一目でわかるようになった。
そして、それらを眺めていくうちに、目的の項目を見つけた。
「あった! 《獣が嫌うにおい成分》!」
そう、俺が作りたいものとは、狂暴な肉食獣を避けるための新しい薬であった。




