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クッキーフレンド  作者: 加護景
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クッキー作りを振り返って

 家に帰ると突然携帯が鳴り出す。何だろうか、と宛先を見てみると、麦嶋、と書かれている。一体何なのだろうか。息吐く暇もないなあ。そう思いながら、僕は電話を取る。


「もしもし」


『もしもし、羽田? 私、麦嶋だけど』


「ああ、知ってるよ。それで、こんな夜遅くに何か用なのか」


 時計は深夜十時ぐらいを回っている。まあ、大学生からしたらそこまで遅い時間ではないのだが。


『ちょっと……ね』


 何ともはっきりしない答えだ。もしかすると、今日のことで何か思い当たることでもあるのだろうか。


「それなら、どこか食べに行くか。電話で話すのも何だし」


 しばらく沈黙が続く。麦嶋は迷っているようだ。


『……そうね。そのほうがいいかな』


「じゃあ、いつものファミレスで待ってるよ」


『わかったわ、じゃあね』


 ぷつん、と電話が切れる。どうしたんだろうか。いつもの麦嶋と比べて、何となく元気がなさそうだ。今日の麦嶋は何かおかしい気がする。


 ……僕が悩んでも仕方がない。とりあえず会って話をするか。


 僕は電話で言ったとおり、ファミレスへと向かった。




 ファミレスの入り口には、先に麦嶋が来ていた。コートに手を突っ込み、柱に持たれながら、所在なさげに片足で宙を蹴っていた。


「待たせたな」


「そんなに待ってないわ」


 そっけない態度で麦嶋が言う。視線は下に向いたまま、じっと地面を眺めている。心ここにあらずといった様子だ。


「……とりあえず中に入ろうか」


「ええ、そうね……」


 ……何だろうか。妙にやり辛い。何か悪いものでも食べたんだろうか。……食べたか。それも山ほど。そのせい、というわけでは流石にないとは思うが、何か思い悩んでいるのは確かなようだ。


 元気のない麦嶋を店の中へと促す。席についてもろくにメニューを見ようともしない。注文はいいのか、と聞くと、もう決まってるから、と弱々しく答える。これは相当重症のようだ。僕は急いでメニューを決め、注文を取る。


「それで、話って何なんだ」


 やるべきことを終えて、落ち着いた所で、僕は麦嶋に質問する。


「私達がクッキー作りに来た時、一番最初に三枝さんがクッキーを食べたじゃない。あの時のことを覚えてる?」


「そりゃあ、覚えているけど」


 確か、遠野が間違えて阿仙薬味のクッキーを三枝さんに進めたんだった。その味に三枝さんが驚いていた様子は今も記憶に新しい。全く、なんて酷いことをしてくれたんだ遠野は。


 頭の中で勝手に怒っている内に麦嶋が話を進める。


「あの時の三枝さん、変だと思わなかった?」


「そうかな、誰だって自分の想像していた味と違うものを食べたら驚くと思うけど」


 僕がそう言うと、麦嶋は即座に否定した。


「そうじゃない。三枝さんはクッキーを食べても驚かなかったわ。食べた後に遠野くんが喋って初めて驚いたの」


 そうだったかな……いや、そうなのかもしれない。今までどんな味のクッキーを食べても、三枝さんは表情一つ変わらなかったのだ。自分の思った味じゃなかったからといって今更驚いたりしないだろう。


 ……じゃあ、何故三枝さんは驚いたんだろうか。


「麦嶋は、その理由を知っているのか」


「確証はないけど……」


 どうやら、何か思う所はあるらしい。


「……遠野くんが喋った後、三枝さんは羽田を呼んでいるでしょう」


 確かに呼ばれた記憶がある。その後コーヒーを持ってきて、キョトンとされたんだっけ。


「多分、確かめていたんだと思うのよ」


「確かめるって」


 何を確かめるというのだろうか。話が見えない。


「遠野くんと羽田、どっちがあなたなのかを、よ」


 えっ、と思わず間抜けな声を上げてしまう。言っている意味がよく飲み込めない。どっちがどっちだなんて、そんなの見れば分かるじゃないか。


 困惑する僕を見て、溜息を吐く麦嶋。物分りの悪い生徒を見るような目だ。僕はそこまで賢くないのだ。そんな目で見られても困る。


「三枝さんはね、きっと誰が誰だか、分かっていないんだと思うのよ」


「どうして……」


 いや、もしかすると三枝さんは……


 僕にはある予感があった。


 メモで埋め尽くされた部屋。

 ピルケース。

 病院。

 『誰?』と問いかける声。

 つまり……


「……三枝さんは記憶が持たないんじゃないか」


「どういうこと?」


 麦嶋の上にクエスチョンマークが飛ぶ。


「今日、三枝さんに忘れ物を届けたんだ。ピルケースをさ」


「ピルケース? 何かの病気なの」


「いや、本人は病気じゃない、とは言ってたんだけど多分嘘をついているんだと思う」


「それで?」


 麦嶋は話を促す。


「忘れ物を渡す時に部屋に入れてもらったんだけど、その部屋がなんというか、異常だったんだよ」


「何があったの?」


「メモがこう、壁にびっしりと貼り付けてあるんだ」


 あの異常な光景は忘れもしないだろう。その景色をあまりイメージできてないのか、麦嶋は、ふうん、と息を吐くだけだ。


「三枝さんはこれを記憶の拡張、なんて言っていたけど、なんというか腑に落ちないんだよ。本当にそんなことを思っているのかなって、そう思うんだ」


 そう、もっと納得の行く理由があるはずなんだ。


「でも、それが本当に必要なのだとしたら。生活をする上で、そのメモが無くてはならないのだとしたら、それは……」

「だから、三枝さんは記憶が持たないんだと考えたのね」


 そうだ。そう考えればすべて納得がいくのだ。壁をメモで覆い尽くしているのも、そうしなければ忘れてしまうから。毎回、僕に会う度に、『誰?』と尋ねるのも、冗談などではなく、本当に分からないからなんだ。


 どうして、今まで僕は気付いてあげられなかったんだろうか。


 三枝さんの冗談なのだと、そう思ってしまったのだろうか。


 人に冷たく接するのも、人嫌いなのも、すべて自分を守るためだったんだ。記憶が持たないことを悟られないために、仕方なくしていたことだったんだ。


 氷の女王。独り机の上で憂鬱げに本を読む彼女。そんな彼女を信仰していた僕。すべて、すべて間違っていたのだ。


 そんなことが分からずに、僕は、僕は――


「羽田」


 麦嶋の一言で我に返る。麦嶋は真剣な表情でこちらを見つめている。


「それが正しいとは限らないけど、確かに理に適った答えのように聞こえるわね。でも、そこで止まってはいけないのよ。私達が考えるべきなのは、それを理解した上で、何ができるかなんじゃない」


 僕が三枝さんのためにできること。

 僕は何ができるんだろうか。

 僕は三枝さんの何を知っているんだろうか。


 人嫌いの彼女。

 氷のような視線。

 いつも憂鬱げな表情。


 クッキー作りなんて突飛な提案をする彼女。

 僕から何故か距離を取る彼女。

 冗談のようなメールを送る彼女。

 どんな味でも無表情でクッキーを食べる彼女。

 突然僕の指を咥える彼女。

 哲学を語る彼女。


 僕は、

 僕は、本当に彼女のことを知っているのだろうか?


「三枝さんは多分、私達の思う以上に辛い状況にいるんだと思うわ。それを、羽田には知ってほしかったの」


「……」


 返す言葉がない。三枝さんのことを誰よりも想っていたはずなのに、僕は三枝さんが辛い状況にいるなんて、これっぽっちも思わなかったのだ。なんて愚かなんだろうか。


「私には、彼女のことを想う資格はないと思うから……」


 麦嶋はすっと立ち上がる。手には伝票を抱えている。


「今日はありがとね。話を聞いてくれて」


 そう言って麦嶋は会計を済ませに行った。





 クッキー作りから数日後、三枝さんから一通のメールが届いた。そのメールはいつも通り簡素な内容だったが、僕の心を折るには十分な内容だった。


 件名 羽田さん。

 本文 クッキー作りはもう、終わりにしようと思います。

    今までご協力ありがとうございました。


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