其の4「彼女との出会い」
番所を後にした皐月の顔は大変険しい。
ピリピリした空気を醸し出し、容易に近づくコトさえ憚れた。
一造の屋台を訪れるまでの陽気な気持ちは何処へやら……
重苦しい空気を全面に溢れさせながら、皐月は町を歩き回る。
見回りを続けながら、皐月は先程までの笹野とのやり取りを思い返していた―。
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「その兵器疑惑といい、私の追っている案件といい……
なにかこのオエドタウンで善からぬ大きな悪意が動き始めているのやもしれんな……。」
口に指を当て、笹野は発言する。
その顔はうつむき、視線は部屋の床に向けられる。
「笹野さんの追っている案件…
何か他にも事件が起こっているの? アタシ聞いてないけど。」
そういえば笹野は自分に会う直前、部下を何人も連れて町を見回っていた。
本来事務職である彼女が市井に出張ることは珍しいことだ。
彼女を駆り立てるほどの案件が起こっている…?
彼女の口振りからすると、それはこのトカゲ案件とは別モノのようだが……
「……すまん、隠してたワケじゃない。
言うタイミングが合わなかっただけで、お前をハブいているワケではなかった。
……私が出張ったのは、じっとしていられなくてな。
本来なら、管理職の立場の私が市井に出るようなコトは、部下のお前たちの手前、あまり宜しくないのは重々承知はしているのだが…
いてもたってもいられなくなった。」
そう口にする笹野の表情は、先程までのものとはやや違ったもののように見受けられた。
怒りは勿論のコト……
表情に含まれるのは……悲しみ?
「皐月……女性の誘拐事件が起こってる。
それも複数だ、何件も報告されている。
若い女性ばかり狙われているようだ。
………恐らく慰みモノにする目的で何処かに売り飛ばすつもりだろう。」
息を飲む皐月。
と、同時に思い出す、笹野のとある過去を……
「このミヅホ国が先代将軍”紀年”公の手によって鎖国を解かれてから数年……
他国の文化も受け入れ、体制も見直され、
女性の社会進出も認められ始めた……
私や、お前のようにな。
だがそんな新時代を迎えて何年経っても……
女を道具のように扱う輩は未だに潰えないものだな。」
以前笹野本人や、二人の上司の町奉行からわずかに、
笹野の過去を耳にしたコトがあった。
詳細は聞いてないが、
曰く、笹野は昔、かどわかしに遭いそうになり、その窮地を町奉行に助けられたとか。
笹野はその恩義に報いるため、血のにじむような努力をして、同心になったとか。
「女が物のように扱われる。これが堪らなく私は悲しい……」
おそらく自らの過去と重ねているのだろう。
笹野は眼を閉じ、頭を上げる。
泣いてはいないが、心は涙を流している……
そんな雰囲気を醸し出している。
笹野自らも過去、危機に陥った経験があったが、そこには町奉行が駆けつけてくれた。
だが、現在この瞬間、恐怖に震える被害女性たちの傍に手を差し伸べてくれる存在はいない。
それが分かっている笹野だからこそ、一刻も早く彼女たちを助けだしたいのだろう。
いてもたってもいられなくなり、部下と共に市井に飛び出してしまったワケだ。
納得した皐月、
と、同時に、力になりたい、と強く願う。
誘拐され怖い思いをしている女性たちのためにも、目の前の上司のためにも。
だが………
「トカゲ案件と連続誘拐…
恐らく別の犯人だよね。
どうすれば………」
火を吹く怪物の案件と、連続誘拐事件。
起こる事件は二つ、だが、皐月の身体は一つ……
ならば手をつける順番を決める必要がある。
トカゲ案件にはまだ被害者は出ていない。
推理に間違いがないのなら、オエドタウン破壊という規模が大きい目的であり、危険度はこちらの方が高いだろう……
しかし現状、未だ傷つけられた者は存在していない。
一方誘拐事件には既に被害者が出ている。
一刻も早く被害者を救い出すコトが求められている。
やはりここは誘拐事件の方から……
そう結論付けた皐月の思考に、笹野が待ったをかける。
「皐月、お前には兵器の方の案件を任せられないか?」
「え?」
自分も協力して誘拐事件の早期解決を…
そう考えていた皐月だっただけに、一瞬戸惑う。
「……アタシ、頼りにならないかな?」
「違う、それは逆だ。
お前の力をアテにしての提案だ。」
”お前の力は要らない”と暗に言われたかと、一瞬落ち込みかける皐月だったが、
笹野はその誤解を予想しており、すぐにフォローをいれる。
「聞け皐月。
誘拐事件は既に起こってしまっているものだ。
被害の届け出も既に方々から出されており、町方も堂々と捜査に移れる。
こうしている間も、私の部下、お前の同僚に当たる他の岡っ引きたちも捜査に当たってくれている。
つまりこっちの事件には堂々と人手を割けるんだ。
だが残念なコトに、兵器の方は捜査に当たれないんだ。
まだ眼に見える被害が出ておらず、何処からも被害届けが出されていないためにな……」
本来町方は、誰かしらから届け出が出さなければ捜査に乗り出せないのが決まりだ。
町方の職権の乱用を防ぐための処置の一つだが、今回はコレが足枷となってしまっている。
何も起こっていないのに、事件と称して、捜査を行う。
他の部署に叩かれる行為であるし、市井の人々に要らん不安を与えてしまう恐れもある行為だ。
町方は容易に動けない………
だが、そんな状況でも一人だけ動ける、動かすコトの出来る存在がいる。
「お前がある程度自由に動くコトは勘助さまが認めてくださっているし、ある程度の便宜を図ってくださっている。
いち岡っ引きにすぎないお前一人にこんな危険かもしれんコトを頼む私は、本来ならば同心失格なのかもしれんが……」
「そんなことない。そんなことないよ笹野さん!」
笹野としても苦渋の決断なのかもしれない。
あるいは大規模テロの可能性の芽があるのかもしれないのに、
そんな危険な捜査を、いち岡っ引きに任せなければいけない、という後悔の念。
申し訳ないという精一杯の気持ち。
それが伝わったからこそ、皐月は笹野の言葉を否定する。
同心失格なんかではない、と。
任せてくれて構わないのだ、と。
「分かったよ、笹野さん。
大丈夫、こっちはアタシが全力で取り組むからね。」
笹野の手を取り、皐月は力強く言葉を掛ける。
「本当にすまない、皐月。
だが無理はするな。危険の可能性は大いにある。」
「それは笹野さんも同じだよ。
なんだったらトカゲの方を早めに解決させて、笹野さんの身を守ってあげるさ。」
「調子に乗るな。」
笹野にほんの少し笑顔が戻る。
こんなときに不謹慎だが、皐月はこの上司のたまに見せる笑顔が好きだ。
いや、笹野に限らず、皐月は笑顔という表情が一番好きだ。
どんな人間にも笑顔でいて欲しい。
それが皐月の願いだ。
だが、今 人々から笑顔を奪っている存在がいる。
そしてさらに、より多くの人間の笑顔をこれから奪わんと企む輩がいる。
必ず見つけ出し成敗しなければ……
平和を、そして笑顔を取り戻すために……
「ありがとう笹野さん。
アタシも頑張るから、笹野さんも女性たちのコト頼んだよ。
お互い頑張ろうね。」
皐月の言葉に頷く笹野。
「こちらは人手があるから問題はないが、そちらはお前一人となる。
表立っての協力はできないが、出来るだけの協力はするつもりだ。皐月、困ったコトがあればすぐに私に振ってくれ。」
頼りにしているぞ――
番所を出るときに背に受けた上司の言葉が、
嬉しくもくすぐったかった。
大丈夫、問題はない。
自らのチカラはこういう輩を倒すためにある。
決意を込めて、番所を後にする皐月。
笹野は知らない、
何故 町奉行が皐月に特別な便宜を図っているのか、その具体的な理由を。
皐月のもう一つの顔、そのチカラを……。
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頼みにされて嬉しかった皐月。
だが、それとは別で、現在皐月の中は怒りの感情でいっぱいだった。
何故、人々のささやかな平和を壊そうとするのか。
何故、平和に暮らす人々の笑顔を奪おうとするのか。
自らの欲を満たさんとするために、何故他の人間を傷つけようとするのか……
このオエドタウン、当然良い人間だけで成り立っているワケではない、
良い人間もいれば、悪い人間もいる。
―そんなコトは頭では理解はしている。
一造のような、変わり者だけれど、良い人間もいるし、
皐月に殴りかかった、あのボソボソ喋る、スリ男のような悪い人間もいる。
清濁併せ呑んで存在するのがこの町、オエドタウンという町だ。
だが皐月は知っている。
この町はどんなものでも受け入れるのだ、と。
逆に言えば、いい人間も、悪い人間も、どんな素性の人間も、
その素性を問わずに受け入れる度量があると言える町なのだ、と。
そう、かつての自分のような存在でも受け入れてくれたように……
あとは如何に暮らし、如何に振る舞うか。
他の人間を気にかけ、笑い合い、共に生きていくか。
自分勝手に振る舞い、他者を傷つけて、独り生きていくか……
何も知らなかった自分は、この町で、この町に住む人々に多くのコトを教えてもらい、多くを学び、現在を生きている。
何故、皐月と同じように生きていけないのか。
皐月の中には、そんな怒りの感情が占めていた。
怒りに燃える皐月、ふと一人の少女が眼に入る。
少女は男に絡まれ、困っている様子だった。
まさか笹野が追っている誘拐事件……
ふと皐月の脳裏にそんな考えがよぎる。
慌てて二人に駆け寄ると、二人の会話が耳に届くようになる。
「なあなあ、悪いようにはしねえからさ。
田舎から出てきて、右も左も分からねえで困ってんだろ?
俺がこの町、案内してやるって言ってんだよ、な?」
タチの悪い、ナンパのようだ。
男の言葉を信じるのなら、上京してきて困ってる少女を口説いているようである。
見たところ、事件性は薄いようだった……
しかしムカムカしながら歩いていたせいもあるだろう。
この時皐月は
”少女を助けなくては”という感情よりも、
”何故こんな他人に迷惑を掛けるバカな行為をしやがる”
という気持ちが上回った。
余所者にオエドタウンの恥を晒しやがって…
オエドタウンには悪い人間が蔓延ってる、という印象を与えちまうじゃないか、と考えてしまう。
いずれにせよ、とめなくては、と、声を掛けられる至近距離まで近寄った。
これが間宮皐月と、少女 先崎香里の最初の出会いである。
「其の5」はこのあと、12時に投稿致します。