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其の22「”そなた”から”おまえ”へ」

「いかんぞ兵衛(ひょうえ)。電気も付けずに……」


 町奉行、大岡勘助は番所の笹野の個室に入ると、入り口脇にある電気のスイッチをいれた。時刻は夜。窓もカーテンも締め切っているため、部屋に光源は一切なかった。


 急に部屋の電気を付けたため、暗さに慣れていた笹野の眼は眩しさに眼を細める。


「気が落ち込んでいるときに電気も付けずに暗がりにおれば、余計に気も塞ぎこもう……」


「……」


 笹野は大岡と眼を合わせようとしなかった。

 黙って座ったまま、床に視線を向けたまま俯いていた。


「空気も良くないな、入れ換えるか。」


 部屋に入ってくると、大岡はそのまま窓へと向かい、カーテンと窓を開ける。


「おお、今日は満月か。

 見ろ兵衛、綺麗だぞ?」


「……」


 大岡は笑顔を浮かべ、空を見上げる。


 が、一方の笹野は俯いたまま大岡の方を決して見ない。







「なあ兵衛……


 私は頼りない男だろうか?」







 突然の大岡の独白に、笹野は驚き振り返る。

 先程までの大袈裟な芝居掛かった陽気さが嘘のように、大岡の言葉は落ち込んだニュアンスを含んでいた。


 笹野に背を向けたまま、大岡は語り始めた。


「お前が私を案じてくれているのは嬉しい。……が、私がお前の重荷になってしまうのは嫌だな。」


「勘助さま……」


 笹野が大岡の背に向け、名を呟く。



「覚えているか? 私はお前のコトを昔は”そなた”と呼んでいたコトを。

 いつからだろうな。身内のように気安く”お前”と呼べるようになったのは……」


 呼び方が変わる……気安い呼び方に変わる。

 それは恐らく心の距離の問題だろう。

 言われてみて気づく、思い返せば勘助さまは自分のコトを確かに”そなた”と他人行儀で呼んでいた。

 いつからだろうか、と考え、すぐに結論に辿り着く……


宮益(みやます)家の……葵の家の事件の後から……」


 そう、思い返せば、先程まで奇しくも思い出していた少女、葵の事件を解決してからだ。


「”弱い立場の女性を守れる、女性のために心を痛め、懸命に生きる女性のために戦える同心になる”……。

 あの事件の後、お前はそう言って、これまで以上に頑張り始めたな。」


 大岡も覚えていた、笹野の転換期になったあの事件を。


「それまで”ただ私のそばにいたい”、と漠然とした物しか持っていなかったお前が、”同心としてこうありたい”と、明確な姿を持った……


 ただ”憧れ”や”恩返し”といった感情で動いていたお前が、ようやく”こうありたい”と具体的な物を得て、進み始めた……


 そんなお前の姿、私は”いいな”と思った……」


 確かに、あの事件以降、笹野はそれまでの”勘助さまのために”という行動理念から、”女性のために”という理由に変わっていった。


 ”自分が変わった”と漠然としか分かっていなかった笹野だったが、誰よりも、それこそ笹野本人よりも、笹野兵衛の大きな変化に具体的に気がついていたのは、近くにいた大岡勘助だった。


「兵衛、確かにお前が私を案じてくれるのは嬉しい、素直に嬉しい。

 だがな、私のために、私のせいで、お前のせっかくの信念を折ってしまうのは、私は嫌だ。」


 大岡はゆっくりと振り返り、笹野を見る。




「立て、兵衛。

 誰か(か弱い女)のために心を痛め、全力で尽くせる……

 それがお前だろう。」

 


 笹野が眼を見開く。



「”気にしないで捜査をしろ”と同情の気持ちで言ってるんじゃないぞ。他の者にはそういう言い方もするだろうし、実際”上司として面倒は拾ってやるから、思いっきり気にしないでやれ”、という気持ちで送り出すだろう。


 だが兵衛。お前は違う。

 お前にはそういう”部下だから”、”上司だから”という他人行儀な感情では言わんぞ。」



 大岡は一呼吸置き、笹野に告げる。 












「”信念のままに動くお前の姿が好きだから動け”と焚き付けてるんだ。」














 呆然とした笹野だが、大岡の言葉を頭の中で反芻し、



「!!?」



 ボッ、と赤くなった。


 


 敬愛する上司が、憧れの男が、愛する者が……

 大岡勘助が現在(いま)、自分に、”特別だから”、と、




     ”好きだから”と告げた。




「か、かんすけさま??」


 茹で蛸のように真っ赤になった笹野。

 気恥ずかしくなったのか、大岡もまた、頬を赤くさせながら、眼を逸らし、続きを口にし始めた。


「あー……その、なんだ。

 お前が私を想ってくれているように……だな。

 私も……その……だな。

 アレだ、お前にいて貰わないと困るわけだ。」


 ゴホン、と咳払いをすると、再び笹野を見据えて発言する。


「私の”女房役”だろ? 笹野兵衛。

 大岡勘助はお前が隣にいるのを差し出がましいなどとは決して思わん!」


 ポカン、としていた笹野だったが、姿勢を正すと頭を下げた。



 「ありがとうございます……勘助さま。」


 

 頭を上げる笹野。

 その眼には”生気”が戻っていた。


 それを見て大岡は、うん、と頷く。



 

 

「捜査中止命令が撤回されている。


 南町奉行配下、笹野兵衛。


 取り急ぎ、部下を引き連れ、”天狗岳”へ向かってくれ。」


 



 大岡が笹野に、改めて捜査開始を告げる。

 それを受け、笹野は驚き、大岡に尋ねる。 

 

「撤回されたのですか。

 でもどうやって?」


「なあに、私もただ”守られるだけの男”ではない、というところだ」


 と大岡がどや顔で言い、笹野が素直に感心した……のだが、


「と、言いたいところなのだがな。

 兵衛、皐月に感謝するのだぞ?」


 と、大岡が苦笑を浮かべながら笹野に告げた。


「皐月? あの子が?」


 確かに自分に喝を入れてくれ、”何とかする”、”宛がある”とは言ってくれたが……


「ヒーロー殿だ。

 皐月がヒーロー殿を動かしてくれた。」


 大岡の発言に、笹野は眼を丸くする。


「ヒーロー殿!?

 皐月はあの者と繋がりがあるのですか!?」


 先日のトカゲ案件の折、笹野が遠目にだが初めて見た戦士だ。

 町奉行所では”特号案件”と呼び、詮索はタブーとしている。

 皐月が言っていた”宛て”とはそのコトだったのか、と驚く。


「皐月がヒーロー殿を動かし、ヒーロー殿が城内で圧力を掛けた者の洗いだしから撤回は勿論、事件の首謀者や潜伏場所を割り出してくれた。」


 大岡が頷きながら答える。

 改めて言うが、大岡は皐月が件のヒーローである、というコトを知っている。


 が、笹野が知らないため、話しを合わせる上でこういう言い方をしているワケだ。


 城内の圧力を掛けた者=岩尾温穂守の存在も、本当は大岡自身が突き止めたワケだが、捜査中止命令の真っ只中にそれを調べたコトが割れるとややこしいコトになる、と大岡は”ヒーロー殿”の手柄にしてしまっていた。


 ……意外と抜け目がない。


「天狗岳……神授エリアですね?

 そこに……?」


「今回の首謀、”矢車党”と名乗る山賊崩れの集団と、囚われた女性被害者たちがいる。

 ヒーロー殿からの情報だ。」


 厳密に言えば、これは霜月が捕まえた矢車党の四人と女の敵、真蔵からの情報だ。


 天狗岳に向かった皐月を送った後、霜月(と手伝わされた睦月)が番所に五人を運び、そこから大岡の元へ連絡が入ったことで場所が伝わった(※次話「其の22」でのコト。時系列的には其の21(こっち)の方が後)。



「ヒーロー殿が動いてる……

 ならばコレは”特号案件”なのでは?」


 笹野が大岡に確認を入れる。


 ”事件はヒーローなる人物が対処するから手出し無用。”

 また、

 ”ヒーローの正体や事件の詳細を詮索するコトなかれ。”


 町奉行所全所に通達されている事案だ。

 笹野は”手出し無用”、”事件の詳細を詮索するコトなかれ”の内容を懸念したのだ。


 が、それは承知の上、と言うかのように大岡は不敵に笑った。


「心配無用だ。

 確かにヒーロー殿は既に動いているが、それも踏まえて、お前には動いてもらう。」


「?」


 笹野が首を傾げる。


「ヒーロー殿のリクエストだ。

 ”女性たちの救出”と”首謀者の逮捕”は、同心 笹野兵衛に頼む、とな。」


 ますます分からない。何故に自分をご指名なのかが。

 笹野がさらに首をかしげ、より怪訝な表情を浮かべる。


「ふふ。正確には皐月のリクエストだな。

 最後は女性のために心を痛める女同心に締めて欲しい、という皐月のな。

  

 ヒーロー殿はこれを汲んでくれたワケだ。」


 これは大岡が和公守から教えてもらったコトだ。登城した際に同行した者(翁と睦月)から聞かされた、と和公守に捜査中止撤回の成功の連絡をもらった際に教えてもらっていた。




 皐月の意図、願いは、様々な者を経由し、無事に大岡に、そして笹野に届いていた。




「首謀者は北町奉行、岩尾典人上(のりとのかみ)省吾だ。

 ヤツが”矢車党”と組んで事件を起こしている。


 ヒーロー殿は、お前にこいつを捕まえて欲しいのだろう。」


  

 そして告げる首謀者の名。

 大岡は言わない、”笹野のために自分が調べあげた”というコトを。

 

 自分の手柄など、どうでもいい。


 大岡はただ、自分のために歩みを止めてしまい、落ち込む彼女に、もう一度歩んでほしい、もう一度自らがいいなと思った、好ましい姿を見せて欲しい、と願い、





 手柄の代わりにこう告げた。




「さあ行け、兵衛。

 女性を悲しませる敵を全力で捕まえてこい。


 ()のために、ではなく、(誰か)のために頑張れる、そんなお前の姿が私には好ましい。




 いつものお前の頑張り(すがた)、私に見せてくれ。」






 時刻は夜。



 女同心 笹野兵衛。

 か弱き女性を助けるため、現在(いま)出陣。







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