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其の21「笹野の過去と現在と」後編

 その日は雨が降っていた。




 いつも通り習慣となっていた膝枕の姿勢から、笹野は少女=葵を起き上がらせると、そのままその場に座らせる。


 笹野自身は後ろから抱きつく形で座る。




 二人は眼を合わせない格好になった。


 だが互いの温もりを感じられる姿勢。




 笹野は怖かった。


 これから話す内容も、そしてそれを受け、少女がどんな反応を示すのか、も。




 笹野は少女の眼を見て話す勇気がなく、こんな姿勢をとった。




「これから話すのは私が勘助さまに初めてお会いしたときの話だ。」




 少女、葵が気づく。


 自分を抱き抱える笹野の手が微かに震えているコトに。




 その手を取り、葵は不安そうに笹野の方を振り返る。




「いや、大丈夫だ。


 お前には聞いて欲しい。




 私の過去を。勘助さまとの出会いを……」




 それは言ってみれば最高の出会い、現在(いま)笹野(じぶん)を形作ったきっかけを語るのと同時に、忘れたい、心の奥に押し込めていた恐怖、最悪の出来事を語らなければいけない辛さを同時に口にするコトを意味した。




 雨音が笹野の不安な気持ちを煽り立て、増長させる。






「以前軽く話したな? 私はある事件を勘助さま解決していただいて、それをきっかけに同心を志した、と。」




 葵はこくり、と頷いた。


 彼女、葵は事件のショックで話せなくなっており、意思の疎通はこうした身ぶり手振りで行なっていた。




「ある事件と濁していたが、それは思い出すのが恐ろしくてな……


 誰かに尋ねられても、”とある事件”とずっと濁してきた――」




 これを誰かに語るのは初めてだ、と葵に告げ、笹野は意を決し、震える声で次の言葉を口にした。






「私は男に襲われた……」






 ビクッ、と葵の身体が反応したのが分かった。




「……今くらいの季節だったと思う。


 夕方くらいの時刻だったか。




 確か父上に頼まれたものを知り合いの家に届けに行った帰り……だった。」




 思い出したくない過去を懸命に思いだそうよしている笹野。途切れ途切れになりながら言葉を紡いでいく。




「後ろから人の足音が聞こえてくるのは気づいていた。


 だが、自分には関係ないだろうと全く油断していた。




 急に手首を掴まれたと思ったら後ろから抱きつかれ、口を塞がれた。




 意識を失ってな、気づいたら何処かの家の蔵だったよ……。」






 幸い縛られていただけで、まだ何もされてはいなかった。

 だがしばらく経ち、蔵の扉が開いたかと思ったら、外から男が現れた。




「後になって勘助さまから聞いたのだが……その男、笹野家(うち)の財産目当てで身代金目的だったらしい……


 まあ金をせしめても……そのまま私の身は返すつもりはなかった、と聞いた……」




 だが、身代金目的で手紙を送っても、一向に返事が来ず、業を煮やした男が腹いせに笹野を襲おうとした。




「か……からだを、身体中をまさぐられ……


 着物の内側を……胸元……


 ……押さえつけられ、脚……」




 笹野の話し方がおかしくなってきた。


 葵が笹野の顔を窺うと、顔色が真っ青になっているように伺いしれた。




「すまない……ダメなんだ。


 お、思い出すと……怖くて……恐ろしくて……」




 その声は泣いていた。




「お、男が荒い息で、顔を舐め回したのを覚えている……




 ご……ごういんに、まさぐったのを……」




 泣きながら、笹野は言葉を吐き出していく。




「今でも……夢に見るときが……




 男の臭いや……


 頬をこすれる……男の髭の感触……




 素肌に触れてくる……あの体温……」






 幸い男がその先に進むコトはなかった。


 そこに大岡が部下を引き連れ駆けつけたからだ。




 蔵の扉を壊し、踏み込んだところ、笹野おんなに夢中になっている男を見つけ、引っ立てたわけだ。




 本当に危ういところだったらしい、とは他の同心の言葉だ。


 大岡は笹野を気遣い、デリカシーのないコトは勿論、一切余計なコトは口にせず、ただ一言「遅れて申し訳なかった」と泣きそうな顔で謝ったという。






「すまない……葵……


 申し訳ない……すまない……」




 笹野は泣きながら謝り始めた。




 心に傷を負った少女と向き合うため、笹野もまた、誰にも語ったコトのない自らの傷をさらけ出す決心をした。




 しかし、思えば思うほど、語れば語るほど、自分と少女は違う、と気づいてしまった。




 自分は危ういところを大岡に助けられた。


 しかし葵は助けが現れずに、そのまま汚されてしまった。




 その痛み、辛さの本当のところは自分には分からない、分かってあげられない。




 同じような苦しみを自分も味わっている、とさらけ出そうとしたが、それはエゴだった。




 自分は恵まれている。


 手を差し伸べてくれる大岡(そんざい)がいて、本当の最悪は味わわずにいられた。




 そんな自分が葵の本当の苦しさを理解してあげられるのか、そう思うと申し訳なさでいっぱいになり、謝ることしか出来なくなっていた。




「ごめん葵……


 私、分かって……ない、


 私……何も……なにも……!」
































      「泣かないで……」


























 笹野の耳に消え入りそうな声が届く。


 笹野はハッ、としたように顔を上げる。




「泣かないで……笹野さん……」




 葵が喋っていた。




 泣きそうな顔で、しかしうっすら笑みを浮かべながら、少女は身体を捻り、笹野を見上げていた。






「葵……お前……」






 涙を流しながら、笹野は少女を見る。


 聞き間違いじゃない。少女は失ったはずの言葉を口にしている。






「ありがとう笹野さん……


 私を見てくれて……」






 初めて耳にした少女の声。消え入りそうなか細い声だったが、確かに発している。


 葵が手で笹野の頬に触れる。




「伝わったよ……”私を知りたい”って……


 ”私を助けたい”、って……」




 穏やかな眼で笹野を見つめる葵。


 そこには軽蔑や拒絶の色はない。




「ありがとう……傷を見せてくれて……」




 笹野の胸に顔を埋める葵。




「来てくれた……私にも……


 いてくれたよ……手を差し伸べてくれる人……」




 気づけば外の雨が止んでいた。


 響くのは小鳥のさえずりと、少女の言葉のみ。




 長い雨は止み、恐怖を増長する雨音(おと)は失せていた。




 雲は消え失せ、晴れ間が見える。




「ありがとう笹野さん……


 貴女の体温(はだ)……怖くない……」




 うん、うん、とただ頷くだけの笹野。




「ありがとう笹野さん……」




「……ありがとう、葵……」




 話しを聞いてくれたコト。


 自分を嫌わないでいてくれたコト。


 微笑んでくれたコト。


 声を聞かせてくれたコト。


 慰めてくれたコト。


 自分なんかを”手を差し伸べてくれた人”と言ってくれたコト。


 自分を大岡と同じと言ってくれたコト。


 心を開いてくれたコト。




 ……ありがとうと言ってくれたコト。




 葵の反応全てに笹野は感謝の言葉を告げる。






「……本当にありがとう、葵。」 






 葵を抱き締め返す笹野。






 この少女から大切なコトを教わった。




 事件と向き合うときは”事件”ではなく”人”を見なければいけない、と、いうコト。


 そして時には、自ら”心をさらけ出して”痛みを分かち合わなければならない、と、いうコト。




 特に女性はまだまだ社会的に地位が弱い。


 そんな、女性が狙われ、襲われる事件がある中、弱い女性たちの身を真に労り、心を痛め、分かち合い、助ける存在は必要不可欠だろう。






     ”そなたにしか頼めぬ”






 愛する上司の言葉が頭を過る。




 ”自分がやろう、自分がか弱い女性を助ける存在になろう”


 ”ただそばにいるだけではなく、大岡の横にいてもおかしくない存在、として立てるように”。




 自分に心を開いてくれた少女に、笹野は新たなる誓いを立てるのであった。












 その後、少女 葵の証言により、強姦事件の犯人はスピード逮捕となる。


 犯人は名門の武家の長男坊。


 被害届けが出ていないだけで、あちこちで似た事件を続けていたどうしようもない男だった。


 自分の家柄を笠にやりたい放題やっていた評判の悪い男で、被害者は家への被害を恐れ届け出が出せなかったという。


 しかし、葵の実家はそんな脅しでどうにか出来る家柄ではなく、むしろ大事に発展してしまい、結果、男は勘当の身の上となってしまった。家督は次男に継がれ、男は刑務所行き。




 この事件の解決に貢献したとして、笹野は評価を改められ始める。




 以降、笹野兵衛は、特に”女性が被害に遭う”という事件で頭目を出し、


 ”大岡の隣に笹野アリ”、”大岡勘助の女房役”という異名を得ていく。












 そう、()()()()、のだった。






ーーーーーーーーーーーーーーー






「(まだまだ弱い立場である女性たちを助けたい、そのために私は戦う……




 その気持ちに、一片の嘘もない……


 ……はずだったのに。)」




 番所にて、過去の出来事を振り返っていた笹野。


 皐月に喝を入れられ、捜査の手を皐月に託した笹野だったが、あれ以降、他の業務は部下たちに任せ、独りあのまま自室で塞ぎ混んでいた。




 体育座りの格好で床に座り込み、独り落ち込む笹野。


 自分の情けなさ、いたらなさ、そして自ら葵にかつて誓った”女性を守る”という誓いを裏切ってしまったコトへの後ろめたさで、思いっきり落ち込んでいたのであった。






 大岡(あの方)を言い訳にして、現在(いま)苦しんでいる女性を見捨てようとした……


 誓いを破る言い訳を、あの方のせいにしてしまった……




 そんな後悔の念がグルグルと頭の中を渦巻く。






 


 

「私なんかが勘助さまの隣に、などというのは差し出がましいコトだったのだ……」




 ポツリと呟く言葉。




 それは誰もいない番所、明かりもつけずにいた部屋の暗闇に、すっと消えていく……











 

「なんてコトはないと思うぞ?


  

 少なくとも大岡勘助は思っておらん。」






 はずだった。







 しかして、その後悔の念を拾い、許す者がいた。










 声がした。


 暗がりの部屋の外から。




 かつて、暗がりの蔵で男に襲われたとき、扉を壊して、光と共に駆けつけてくれた者がいた。




 過去を思い出していたからだろうか。


 ふいにあのときの光景が笹野の頭を過った。








 部屋の扉が開き、光と共に男がやって来た。




 ただし、今回は扉を壊す、なんておっかない真似はせず、穏やかに、ゆっくりと、だが。










 そこには、一番いとおしく、現在(いま)一番会いたくない顔がいた。














「大岡勘助が来たぞ、兵衛。




 お前を焚き付けにな。」





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