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其の20「笹野の過去と現在と」前編

今回の第二幕で、バトルの前までにどうしてもやりたかった話。

 女同心、笹野兵衛。

 武家の家に生まれた笹野家長女。

 実家は弟が継いでおり、自身は同心として南町奉行、大岡 備前上 勘助配下として立ち振る舞う。


 先代将軍”財前 伊邪上(いさのかみ) 紀年(きねん)”の進めた幕府改革の一つである「人材改革」により、それまで男のみの登用であった幕府要職に”女性の登用を”という命が下り、まだ狭き門であった「女同心」という地位を獲得した若き女性。


 全ては十代の折、拐かしに遭い襲われそうになる危機を一人の町奉行に救われたコトが、彼女の契機となった。


 南町奉行、大岡勘助。


 陳腐な言い回しになってしまうが、助けに現れた彼が、まるで白馬に乗った王子のように見えたのだろう。


 彼のそばで恩を返したい。

 そして彼のそばで尽くしたい、と考えた笹野兵衛はそれまで触れたことのなかった町方の知識を懸命に覚え、剣術の鍛練に精を出し、暴漢に対処出来るよう身体を鍛え直し、文字通り血の滲むような努力を重ねた。


 ただの一介の武家の娘には過酷とも言える所業だったはずだ。


 しかし彼女は見事狭き門を潜り抜け、念願の地位を手に入れる。



 奉行所勤めをして分かったコトはたくさんあった。

 名奉行と言われる大岡だが、実は私生活は乱れており、部屋は散らかり放題、食事も不規則、とダメなところが発覚。


 が、そんなところも好ましい、と思えてしまった自分は「惚れた女の弱味かな」と笹野は考える。


 しかして仕事は実直。

 正義を勧め、悪を許さず、市井の民相手にも差別の眼を持たず、公平なお裁きを心掛け、市井の民と喜びを分かち合い、悲しみには心痛める。


 そんな彼の姿に、笹野は更に惚れ直していた。


 現在(いま)でこそ、”大岡勘助の女房役”という、有り難いような、気恥ずかしいような、それこそ”私なんかが”と畏れ多いようなあだ名を付けられているが、

 それまでは”女のクセに出しゃばりやがって”とよく言われていた。

”女に何が分かる”とよくバカにもされてきた。


”女なんかと組みたくない”と捜査から外されたコトも一度や二度ではなかった。




 転換期になったのはあの事件だったと笹野は思う。




 まだ皐月はおろか、笹野に部下の岡っ引きが一人もいなかった頃だ。


 とある武家の少女が何者かに強姦される事件が起こった。

 名のある武家の娘だったため、東西南北全ての町奉行所が力を入れて捜査をしたが、一向に犯人が捕まらなかった。


 笹野は当時まだ権力も人脈もなく、捜査から爪弾きにされてしまっていたが、それでも独自に捜査をしていた。


 一番困ったのが、被害に遭った少女が心を閉ざしてしまい、何も犯人に繋がる証言をくれなかったことだった。


 男の同心が事情を聞こうとするだけで怯えパニックを起こしてしまう状況だった。


 匙を投げた同心達は唯一の女である笹野に少女を押し付け、皆独自に捜査に走ってしまっていた。



 笹野もなんとか捜査の手掛かりを、と少女に呼び掛けるが、全く反応がない日々が続いた。


 この頃の笹野は手柄に焦っていた。


 念願の女同心、大岡のそばにようやく来れたのに、一向に手柄を上げられず、”登用は失敗だったか”と揶揄されていたのだ。


 なんとか事件解決の手柄を、と焦り、彼女からヒントを聞き出そうと躍起になったが、全く手掛かりは得られず、笹野も途方に暮れていた。



 変化のきっかけは敬愛する上司、大岡からの言葉だった。


「何も手掛かりを得られない。

 このままでは勘助さまのそばにいられなくなる。」


 と弱気で愚痴ったとき、大岡は笹野に言った。


「そなた、彼女のコトを見てないな?

 そんなでは百年経っても口を聞いてくれまい。」


 事件のコト、ひいては手柄を挙げるコト……

 そんなコトしか見ておらず、被害者と全く向き合ってない。

 見ていない壁相手に話しかけても答えは返ってこないし、向こうも自分に話しかけているのかと気づいていないから当然返事なんかしない。


「私が行ければいいのだが、彼女は男に近づかれるコトを拒んでいるのだろう?

 兵衛、そなたしかいないんだ。


 何より彼女、傷ついている。

 そこへやいのやいの言われたら、相手が男であろうと、女であろうと心を閉ざして当然だ。

 まずは寄り添って、じっくりと心の傷を吐き出させなければならん。


 そなたが彼女に耳を傾けてやりなさい。

 ”事件のコト”ではなく、”彼女の言葉”を拾い上げて、聞き届けてやりなさい。」


”これは女であるそなたにしか出来ないコトだ”


 大岡は笹野にそう告げた。


 笹野は頭を殴られるような衝撃を受けた。

 ”事件のコト”しか見ておらず、”彼女のコト”を見ていない。


 その通りだった。


 敬愛し、惚れた大岡(おとこ)は、そうやって市井の民のコトをきちんと見て、心を痛め、そして被害に遭った者たちのために動いていた。


 そんな姿に惚れ直したのだった。


 それを忘れ、”手柄のため”、大岡のそばにいられなくなるという”自分の都合のため”に焦っていた自分に、誰が心を開いてくれようか。


 反省した笹野は、翌日から少女の家に通いつめ、何をするということもなく、ただ話をし始めた。


 主に話すのは自分のコト。

と言っても、どんな事件に携わったのか、とか、どうして同心になったのか、とか、

 そして気づけば必ず大岡のコトを語っている自分がいた。


 大岡勘助がどういう人物で、どういう事件を解決してきたのか、どんな難事件に相対してきたのか……気づけばいつも大岡の自慢話をしていた。


 少女も最初は無反応だったが、毎日のように現れては大岡の話を自分のコトのように語る彼女を楽しみにしてきたのだろう。


 笹野が来ると、顔をこちらに向け、聞いている素振りを見せ始めた。


 一度、捜査の進捗会議に参加して訪問出来なかった日があったのだが、翌日少女の家を訪れた際には抱きつかれた。


 笹野を心待ちにしていたのだった。

 その反応に驚くも嬉しくなった笹野は、謝罪の言葉を口にしながら、彼女を抱き締め返す。


 その日は彼女が抱きついたまま離れなかったため、少女を膝枕しながら話をした笹野。

 頭を優しく撫でてやると、嬉しそうに眼を細める少女に笹野はいとおしさを覚えた。


 そして気づく。

 まだこんなに愛らしく、まだ子供の面影を残す女の子を汚い欲望で汚した存在がいたのだ、と。


 ”彼女を助けたい”


 なんの功名心も計算もなく、笹野は純粋にそう思った。


 ”これが相手を見る、ということ、か。”



 大岡が常に行なっており、捜査や裁きを行なう際に心に留めておいている事柄。


 一人の少女に向き合い、笹野は初めてそれを実感した。



 しかし、それに気づいても笹野は焦るコトなく、以降も少女の家に通い、大岡の自慢話しを続ける日々を続けた。


 上司である大岡にも経過を報告するコトは忘れない。


 ”大岡(じぶん)の自慢話をされている”、という内容はどうにも気恥ずかしいものがなくもないのだが、それで上手くいっているのであれば良しとしよう、と大岡は自分で自分を納得させた。


 笹野も大岡も「もう一歩だ」と考えていた。


 少女の心の傷は確かに軽くなったのかもしれない、それはそれで充分だろう。

 しかし、犯人に繋がるコトも聞かなくてはならない。

 

 場合によっては第二第三の少女が現れてしまう可能性もあるのだ。


 それを防ぐためにも、犯人について聞き出すことは必須だ。

 笹野はカウンセラーではなく、同心なのだから。



「ある意味辛い役回りだな、兵衛。」


 ある報告の際、大岡が口にした。


「それだけ懐いてくれているのに、場合によっては嫌われるコトも覚悟しなくてはならん。」


 ”少女にとってはもう忘れたい、思い出したくはない事象”だろう。それを蒸し返さなくてはならない。ようやく心を開き始めてきてくれた少女に、もしかしたら嫌われてしまうかもしれない。


「でもな兵衛。これはそなたにしか頼めん。

 そなたにしか頼めんコトなのだ。」


 すまない、と大岡は部下である笹野に頭を下げる。


 その意図を汲み取り、笹野は翌日少女の家を意を決して訪れた。






「なあ(あおい)……今日は少し、特別な話しをしよう。」








長かったので分割させて頂きました。

次回に続きます。

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