其の19「一人の女のために出来ることを」
大変お待たせ致しました。
睦月の口から出たのは意外にも南町奉行、大岡の名だった。
大岡備前上勘助、
皐月の所属する南町奉行所を治めるトップであり、東西南北四ヶ所の町方奉行所の中でも特に優秀、と誉れ高い評判を得ている男。
同心笹野兵衛は過去、この男に助けられ、同心を志した。
皐月たち”暦衆”にも通じており、皐月が暦衆の一員であるコト、そして現在”ヒーロー”として密かに活動中であるコト、も承知している。
と言っても、あくまで承知しているのみであり、大岡自身は”ヒーロー”の上司ではないため、彼がヒーローに任務を授けるコトはしないし、するコトは出来ない。
つまり、大岡がこの事案で”ヒーロー側”である睦月と関わってくるコトはない……筈だった。
「私が翁と共に和公守さまの元へお伺いに上がったとき、和公守さまは既に事態を把握済みでしたよ。」
睦月が感心した感情を込めながら皐月に語り始める。
「……もしかして、大岡さまが?」
皐月が怪訝な表情で睦月に尋ねる。
話の流れから、そうではないかと考え出た言葉ではあったが、恐らく間違いないだろう。
睦月は頷くと、続きを話し始める。
「大岡備前上は以前から北町奉行、岩尾典人上省吾の動向を探っていたようですね。
いずれ部下である同心の笹野兵衛の助けになるであろうと、独自に調べていたとのことで。」
どうやら北町奉行、岩尾がこの事件に一枚噛んでおり、連続女性誘拐事件を捜査している部下の笹野の助けになるコトを見据え、大岡は独自にこの男をマークしていたのだという。
だが、予想外の事態が起こってしまった。
「ですが、この岩尾典人上が上層部にいる岩尾温穂守に泣きつき、捜査の手が自分に及ばないように手を回したようでしてね。
それが今回の”捜査中止命令”ですよ。」
当初の予想通り、北町奉行が誘拐事件に繋がっており、上層部に泣きつき、圧力を掛けさせた、というのが真相のようだ。
「岩尾温穂守? 苗字が北町奉行と一緒、ってコトは……」
「親族です。叔父、甥の関係のようですね。温穂守は人材登用方。まあ幕府関係の人材斡旋部署の人間です。
あまり優秀ではないようですが、甥っ子に泣きつかれ、一族の自分にも害が及ぶのを恐れての”捜査中止命令”だったようですね。」
ちなみに甥っ子の典人上ですが、この温穂守のコネで町方奉行になれたダメ人間です。と睦月が付け足した。
「その情報を大岡さまが?」
「ええ。おかげですんなりコトが運びましたよ?城内の誰が圧力を掛けたのかを捜す手間も省けましたし、どう交渉すれば撤回させられるかも直ぐにまとまりましたから。
温穂守がそこまで高い地位にいる人間でなかったコトも大きいですね。城内のしがらみも大きくなかったので、和公守さまの権力と威光を持ってすれば一発でしたよ。」
よほど現場は爽快とした絵面だったのだろう。睦月は思い出したように満面の笑みを浮かべながら発言していた。
「”交渉”っつったよな?
ってコトは登用方の温穂守はお咎めなしなのかよ?」
横で聞いていた霜月が口を挟む。
「残念ながら現時点で温穂守は解雇出来ません。彼自身は低能力でも、彼の一族自体が持っているネームバリューはなかなか侮れないんです。
”岩尾”の名は幕府の中でも優秀な一族なんですよ。
……まあ例外はあるようですが。」
睦月が苦笑しながら霜月に返す。
「今回の交渉も、かいつまんで言えば”温穂守は見逃すから、典人上を切れ”と持っていくのがやっとでしたしね。
あとは和公守さまの領分です。
弱味を握った手駒として飼い慣らすか、本当に粛清するかは、あの方に任せるべきでしょう。」
「甥の典人上を捕まえられた、ってなんか復讐を考えたりしてこないかい?」
皐月の疑問に、睦月が首を横に振って答える。
「元々この温穂守という男、自身の保身と出世ばかり考えてるような男だったので、それはありません。ダメ押しで”典人上のコトを忘れれば悪いようにはしない”と和公守さまも釘を指しておいででしたからね。
温穂守はこれで和公守さまに借りを作った形になりましたから、変な真似はしてこないでしょう。」
フフっ、と睦月が笑い、発言を締めた。
「……でもさあ、結局その温穂守って男はこれからもお城で働き続けるんだろ?
な~んか納得いかないなあ……」
皐月は心にモヤモヤしたものを感じながら眉を潜める。
しかし、それを受け睦月は苦笑しながら皐月に一言告げた。
「皐月、それが”政治”という物です。」
覚えておきなさい、と睦月が結ぶ。
「他の岩尾一族が典人上の復讐を考える可能性は?」
霜月が睦月に問いかける。
「恐らくないでしょう。
これから典人上を捕まえますが、その後一族の者がいちゃもんをつけてきても”温穂守を守るので精一杯だった”と言い訳出来ますし、何よりこの典人上、あまり岩尾一族の中でも評判が良くない男だったようですからね。
切られても仕方ない、と、一族は割り切ると思いますよ?」
「なるほど……人間そこまでいったら哀れだねえ。」
霜月が大袈裟に肩を竦めて頷く。
「なんでそんな情報まで………」
と皐月は言いかけて止めた。
直ぐに思い当たったからだ。
「そうですよ、皐月。
これらの情報は全て、大岡備前上がもたらしたものです。」
睦月は皐月と向き合い、発言を続けた。
「今回は結果として、ヒーローがこの情報を使う形になりましたがね。
最初に言ったでしょう。
大岡備前上は”笹野兵衛を助けるために、独自に調べていた”と。」
そう、大岡は全て、笹野兵衛の助けになるため、とこの情報を集めていたのだ。
ただの同心が北町奉行を捕まえる、といった際に、どういう報復があるか分からないため、それを防ぐ手段はないか、回避する方法はないものか、とそこまで考え大岡は調査を行なっていた。
「ですが今回、典人上が叔父である温穂守に泣きつくという反則を使ったせいでかなり面倒なコトになってしまいました。」
「じゃあ一歩間違えばこの情報も役に立たなくなっちゃう可能性があったわけだ。」
危うかったなあ……と呑気に口にする皐月に、睦月は苦笑し、霜月はため息を溢した。
「んなワケねえだろうが。
その大岡、ってのがそんなムダをするタマか?」
分かっていない皐月に、霜月が頭を掻きながら苦言を漏らす。
霜月はもう解っているようだ。
「? どういうコトだよ?」
「大岡備前上はね、貴女のコトも計算に入れたんですよ?ダイアレスター。」
睦月が優しく皐月に話し始める。
「相手が反則に手を出したから、大岡も反則スレスレで巻き返しを図ったんです。
大岡のそばには幸いなコトに皐月、ヒーローがいました。
だから彼は貴女を利用したんです。」
利用した、という言い方をするのは語弊があるが、大岡はおいそれと手が出せない状況になってしまった典人上を捕まえる手段として、皐月を頼ったのである。
「貴女がいれば必ず笹野兵衛を助けるだろうし、貴女の人脈を使えば和公守さまを動かせる。
捜査中止命令が出されていても、”貴女”は例外として動ける。
大岡が得た情報も上手く活かしてくれる……
現にそのとおりに事態が運んでいるでしょう。」
大岡自身はヒーローの上司ではない。
ヒーローの事情は把握出来、ヒーローに協力は出来るが、ヒーローに命令はしないし、するコトは出来ない。
だから直接関与を願い出るコトは出来なかった。
そのためこんな回りくどい方法を取るしかなかったのである。
「全て大岡の計算通りでしょう。
だから最初に言ったんです。
”大岡備前上は凄い男ですね”とね。」
と、睦月は締めた。
ふぅ、と溜め息を吐くのは、隣で聞いていた霜月。
「凄え頭が回るヤツだな、その大岡、って男は。
でもちょっと癪に障るな。全部自分の掌の上、ってコトだろ?
俺たちの事情も、行動もよぉ。」
眉を潜め「面白くねえな」と呟く霜月。
しかし、皐月は全く不快感を持っていなかった。
睦月は言った。
”大岡の行動はいずれ笹野の助けになるコトを見据えての物だった”と。
”兵衛のコトも、宜しく頼む。 これからも助けてやってくれ。”
今回のこの事件、今日の現在のこの流れは、思えば皐月が大岡に掛けられたこの言葉から始まったのだ。
大岡さまは笹野さんのコトを気に掛けている。
笹野さんが大岡さまを想うように、大岡さまもまた、笹野さんを大事に、大切に想っているのだ。
皐月はそう思うと、何故だか嬉しくなり、笑みを浮かべる。
「霜月。
アタシは全然腹立たないよ?
むしろ嬉しさで一杯さ。」
誰かを守ろうと自分の全てを掛けて尽くすのが”愛”。
大岡さまもまた、笹野さんを守ろうとしていたんだ。
「相手を想って、自分よりも相手のために出来るコトを尽くす。
大岡さまもきっと、笹野さんのコト……」
果たしてただの部下に、一介の上司がここまでするだろうか。
ただの女に、一人の男がここまでするだろうか。
皐月に真意は分からない。
大岡の心の内を聞いたコトはないし、皐月は知らない。
それでも皐月は思いたかった。
大岡さまも不器用ながら、笹野さんを愛しているのであろう、と。
次回に続きます。
次回は明日朝8時に予約しておきます。
次回ちょっと長いです(汗)




