いはらだドラゴン
自分なりに主人公最強を考えてみました。
赤い獅子を彷彿させる男にとって、最初の挫折はなんだったか?
昔から腕白で、喧嘩すれば負けなしのガキだった。それが一つ二つ年上で、自分よりも一回りの二回りも大きな相手でも関係なかった。
こちらが年下だからと侮った奴が相手の時は、その尖った鼻っ柱をぶん殴り泣かせ。力だけが自慢のデカイうすのろが相手の時は、股間を全力で蹴りあげ、血の小便を出させた。何かしら武を少しかじって、居丈高になっていたもやし野郎の腹には、蹴りをくらわせて、昼飯のシチューをゲロさせてやったこともある。
まさに連戦連勝。負けなしだった。
そんな男が最初に挫折したのは?
あれはそう、十三の時だ。
子供だった身体が急激に強く、大きくなり、大人へと変わっていくとき、男は生まれた小さな町から、名を上げるために大きな町へと出てきた。自分と同じような、血気盛んな若者数人を子分のように引き連れてだ。
青々しい気炎を撒き散らしながら、名を上げるなら騎士団だと、喚き散らしながら、町を練り歩いたのが懐かしい。
そして―――。
『悪くない。すぐに強くなるぞ』
その男は汗一つ流さずに、地面に横たわるこちらへ向け、ニヤリと心底楽しげに笑った。
今まで喧嘩したどんな奴よりも、強く、大きな男は、その国の騎士団長だった。
最初の挫折はそのときだったのかもしれない。けれども、井の中で過ごしていた幼い頃の男にとって、空の蒼さと広さを合わせ持つ騎士団長との出会いは、心が折れるよりも先に、純粋なものへと昇華された。
それはまるで、はじめて卵の殻を破り、外の世界へ出てきた、雛鳥の心境だ。鬱屈とした狭い空間を破り、飛び込んできたのは、無限とも思える世界で、その余りの広さに圧倒される。だが、目にするのは、その世界で力強く立つ親。師とも言える存在。そんな、頼もしい姿を見た雛は何を思う。考えるまでもない、憧れるだろ。この人について行こうと思うだろう。幼い頃の男もその例外ではなかった。
手も足も出ず負けた事は悔しいし、生来の負けん気から次こそは勝つと思っていた。だが、それとは別に初恋のように焦がれたのだ。
圧倒的な強さ、クセのある猛者達を束ねるカリスマ、そして、太く日焼けした右腕に淡く輝く羽の刺青。最初はなんの意味があるのか分からなかったが、後々その刺青の意味を知ると、より憧れの気持ちを深めた。
―――いつか、おれもあんたみたいに
前を行く男の背中に手を伸ばす。我武者羅に伸ばした手は何度も空を切るが、それでも少しずつ男へと近づいていく。
そしてあと少しで届きそうな時。
憧れが振り返り、ニヤリと笑った。
「むっ……?」
頬に当たった小石混じりの突風により目が覚めた。一瞬だが、気を失っていたようだ。はたしてそんな自分が見ていたのは、唯の夢か。それとも死に際に見る走馬灯か。どちらにせよ、身体中から走る稲妻のような痛みから、生きてはいるのだろう。
ならば、やる事は一つだ。
悲鳴をあげる身体を叱咤し、ぎちぎちと軋む関節を無理やり筋肉で動かし立ち上がる。
周りを見れば、地に伏している人影が5人いる。その誰もが浅く胸を上下させているから、生きてはいるのだろう。だが、自分のように気絶から覚醒して、再び立ち上がりそうな者は、誰一人いない。
「くそっ……」
悔しさが言葉に成って放たれる。すると、鉄錆の味が口いっぱいに広がった。不愉快のあまり唾を吐き出す。赤い唾が地面を濡らした。どうやら、身体の表面だけでなく、口の中までボロボロらしい。
「くそっ」
もう一度、悪態をつき、両手で剣を持ち上げる。
数々の戦場を共にしてきた相棒は、普段なら手足の延長のように馴染む。それこそ、何万回と振り回したって、平気なほどだ。しかし、今は剣に大量の亡者がしがみ付いてるように重く、一回振るのだって億劫だった。
命のやり取りの現場に立って、死を覚悟したことは、何回かあるが、真の絶望的な状況に立たされたのは、これが初めてかもしれない。
なら、先程見たものは、やはり走馬灯か。
すぐに、いや違うなと、雑念を払うように、赤い針金のような髪に覆われた頭をかく。そして、両腕を上げ、切っ先を敵の方へ向ける。
そこには巨大な、今まで見た事もない生物が静かに佇んでいた。
漆黒の闇をぶちまけたような鱗に覆われた、爬虫類を彷彿させる身体。その背中からは六対の翼が生えており、星々を散りばめたようにキラキラと飛膜が輝いている。昔見たワニという暖かい国に生息する生き物に似た顔立ちだが、あの生き物には角なんて生えてなかったし、こちらの方がキリリとして知的だ。俗に言うイケメンと言うやつだ。おかしな話だが。彼にはそう感じられた。
ふぅと、息を吐く。
驚くほど冷えた息だ。肉体に活力がない証だろう。万全の状態で、必殺の構えを持って挑んだにも関わらず、傷一つつけられなかった相手と戦うのには、無謀としか言えないコンディションだ。勝算など遥か彼方。見果てぬ地平にもないだろう。
それでも、終われないのだ。
なけなしの気血を身体中に回す。まだ振り絞れると、右腕に輝く羽の刺青が囁く。凍えるほどに冷えてしまった肉体に、熱が戻るかなどわからない。だが、気血を注ぎ、四肢に熱を与えなければ、剣が振れず、敗北を認めてしまうことになる。
そして、それだけは認める訳にいかなった。
正直、この戦いは本質的に戦いではなかった。
一流の戦士が、花よ蝶よと育てられた深窓のお姫様を相手にチャンバラごっこをしただけの滑稽は喜劇だった。そして、自分達の役割が一流の戦士でなく、御姫様だと言う事実にも皮肉しか感じなれない。戦士として生き、死ぬと決めた自分にとっては、誇りに糞を塗りたくられたような屈辱だった。これならば、弱者として、じわじわとなぶり殺された方が、遙かにマシだ。
だから立ち上がった。戦って殺されるために剣を無様に構えたのだ。
息を大きく吸って、ゆっくりと、長く吐き出す。
少しずつ掻き集めた気血が、全身をめぐり、再び臍の下にある丹田へ帰ってくる。すると、フワフワと定まらなかった重心が、身体の正中に一本の芯を通したようにどっしりと存在感を表し始めた。
冷えた身体にポッと、ろうそくのように頼りない炎が燈り。熱が血管を通り、四肢へと行き渡る。窮鼠猫を噛むというが。果して自分は鼠に成れただろうか。相手は猫と言う生易しい存在ではないが。この一命を持って、一矢ぐらいは報いてやりたい。
「ふんっ!」
剣を頭上に振りあげ、煌々と武威を全身から解き放ち、敵をその青い瞳で睨みつける。その尋常ならぬ武威は、周囲に突風を巻き起こし、堅い地面に蜘蛛状の亀裂を走らせる。まだ、ここまでの余力が残っている事に内心驚きながら、これでは駄目だと、表情をゆがめる。
そんな臨戦態勢である男を静かに見下していた存在が、その凶悪な顔立ちに相応しい牙で覆われた口をゆっくりと開いた。
『まだ、やるかい?』
巨体ゆえだろうか、独特の響きがある男の声だ。しかし、その声色は他者を威圧するような恐ろしさはなく。むしろ、商家で働く若い男のような親しみのあるものだった。それがあんな規格外な存在から発せられると、どうにも違和感がひどく。まるで、大きなきぐるみを相手にしているような、ちぐはぐな感覚がする。
本当に奴は悪しき存在なのだろうか。
この戦いの最中、何度も胸中に去来した疑問が、又もや頸を上げてこちらを見てくる。
本当に、この戦いに正義はあるのか。
本当に、奴は滅ぼすべきなのか。
血が滲むほど奥歯を噛み締め、疑問を必死に打ち消そうとするが、疲労と追い詰められた状況から、完全に打ち消す事が出来ない。何時までも何時までも、心の底で疑問がチロチロと燻り続けている。
このままでは戦えない。疑問を抱いて鈍った太刀筋では、奴に一矢報いることなど夢のまた夢であり、最後の意地すら泡沫のように消える。なら、疑問を吐き出して、奴が悪しき存在と確信を得るべきだ。確信を得れば、まだ戦える。そうだ。少し言葉を交わせばそれでいいのだ。
男が自己弁護の末、覚悟を決めて口を開こうとしたその時。
―――なんだ、まだ分からんのか?
憧れの声が聞こえたような気がした。
『どうした?』
そんな、中途半端に口を開いて固まった男を、静かな、それでいて何処となく悲しげな金色の瞳が見つめる。
「……いや、なんでもない」
男は目を瞑り、深呼吸を一度して、再び目を開く。
「悪しきものよ。私はまだ貴公と戦う」
『なぜだ。君にもう勝機はない。これ以上は無駄ではないか』
「そうだ。無駄だ。しかし、貴公をこのままにしておくことなど出来ない。例え、我が身が滅びようとも貴公に一矢報いなければならない」
『私が悪しき存在だからか?』
「そうだ」
その断言に、悲しそうに、困ったように金色の瞳が揺れる。
思わず、やめろっ! と男は叫びそうになった。そんな瞳で俺を見るなと、怒鳴りつけたくなった。
世界から神々を追い出し、人類を永きに渡って苦しめた悪しきモノが、叱られた童のように落ち込む姿など、見たくなかった。
教会から啓示された悪しきモノの存在は、絵にかいたような悪だった。
卑劣で下衆。おおよそ、斬る事に躊躇などしない存在だった。
だが、蓋を開けてみるとどうだ。お前は悪い奴だと、鼠以下の存在から指摘されて、戸惑う怪物ではないか。奴のどこに悪があるのか。男には分からなくなった。
沈黙が二人の間を包み込む。重苦しい、救いのない沈黙だ。
時間にして数秒だったかもしれない。けれど、その数秒が何倍にも細く長く引き伸ばされたように男には感じられ、彼の心は、その間、永遠と鋭い刃でかきむしられた。
『なあ』
「なんだよ」
親しい友人からかけられたような言葉に、思わず言葉遣いが素になる。
だが、言い直す気にもなれなかった。
『これだけ戦ったのだ。もう分かってるだろう?』
その問いかけには答えられなかった。そして、それが何よりの答えだった。
『俺は悪いドラゴンじゃないよ』
「ドラゴンってなんだよ」
『俺みたいな生き物さ』
「……そうか」
構えを解き、天を仰ぐ。
ドラゴン。お前はそう言った生物なのか。そんなことすら知らなかった。
何も知らずに、ここまできた。悪しきモノを倒せば世界は救われる。化け物の被害も、疫病の被害もなくなる。そんな耳触りのいい宣伝を信じて世界のどんずまりまで来て、優しくボコボコにされて、一生忘れられない恥をかいた。なんと情けない事か、こんな体たらくでは、あの人に呆れられてもしょうがない。
そういえば、騎士団の詰め所に殴り込んで、ボコボコにされた時もこんな蒼い空だった。はじめて喧嘩で負けて、悔しかったが、凄い人に会えた喜びの方が大きかったのをはっきりと覚えている。
あれから何度も敗北を重ねて強くなった。しかし、自分を更に上のステージへ導いてくれるような、凄い出会いは、あれ以来なかった。
―――今までは。
「俺はローランドという。あんたは?」
『俺か? イハラダ……あっ、しまった』
イハラダと名乗ったドラゴンが、やっちまったという顔をして、両手で口を抑える。その姿がまた人間臭くて、たまらなく面白い。
なんだこいつは、こんなに愉快な奴なのか。腹の底から笑ったのは、久々かもしれない。最近は羽を持つ騎士団長として、青い血が流れる高貴な方々とお喋りばかりしていたため、全く面白くなかった。あの人の頼みではなかったら、こんな地位捨ててやりたいと、何度も思ったほどだ。
きっと、この出会いは、試練に耐えた敬虔な使徒への神々からの贈り物だ。ならば、ありがたく頂戴しなければ、罰が当たるというものだ。
ローランドはニヤリと笑い、剣を頭上に振りあげた。
コンディションは最悪だが、絶好調で。気持ちが吹っ切れた事により、気炎万丈だ。
闘争本能が湯水のように湧きだし、四肢を満たした。灼熱が筋繊維一本一本に絡みつくのを感じる。
『えっ、おい。なんで?』
やる気満々のローランドの姿に、イハラダが慌てる。
無理もない。奴の中では戦いは終わっていたのだろう。だが、何も終わってなどいない。
今から始まるのだ。
「悪いなイハラダ。こっからだ」
『待て、これ以上は―――』
「意味がないってか? あるさ」
きょとんと意味が分かりませんと言う顔で、こちらを見つめるイハラダの姿が、どうしようもなく愉快で、また笑いがこみ上げる。そして、理解する。こいつは武人じゃないと。
見てくれは凶悪だが、その姿形を取っ払ったら、気の良い商家の兄ちゃんと一緒で、素人なのだ。そんな、武人としての気持ちが、ちっとも分からない奴に、自分の我儘を押しつけるのは、申し訳なく思うが。付き合って貰おう。
「お前は戦士の誇りを汚した。だから、俺はお前に戦いを挑む」
『……そんなつもりはなかったぞ』
「知っている。お前はただ赤子のように弱々しい俺たちを殺さないために、一生懸命戦ってくれただけだろう。でもな、それがどうしようもなく俺には屈辱だったのさ。神風特攻をかまそうと思うぐらいな」
『俺はお前を殺さないぞ』
傲慢なイハラダの言葉を鼻で笑う。そして、好きにしろと切り捨てる。
「俺は納得したいだけだ。挑んで、ぐうの音も出ないほど、ボコボコにされたいだけだ」
『マゾヒスト?』
「馬鹿言ってんじゃねぇ。本当はボコボコされるより、する方が好きだ。気持ちの整理の問題だ。さて」
息を吸い、吐く。
丹田に気血を集め、四肢を程よく脱力する。無駄が一切省かれ、雑念が消える。
それを見たイハラダの目が見開かれた。
『さっきよりも強くなった?』
「ははっ、分かるか」
『いや、ごめん。やっぱり分かんない』
「ははっ、死ね」
大気を揺るがす轟音が、秘境に響き。その衝撃で空が割れた。
数日後、帰還した6人の戦士達から悪しきモノとの死闘が語られる。特に、最後まで悪しきモノと一歩も引かず戦い続けたローランドからは、彼の存在がドラゴンという生物である情報がもたらされ、専門家たちの度肝を抜き、喜ばせた。
永きに渡り、正体不明とされてきた存在の正体がわかったのだ。しかし、そんな彼らの喜びは、直ぐに頭の痛い問題へと差し替わる事に成る。専門家たちの誰もが、ドラゴンがどのような生物か分からなかったのだ。正体不明は、結局正体不明のままで、調べようにも相手が姿をくらました事によりできなくなった。
ある貴族は問う。
「ローランド殿が倒したのではないですか?」と
ローランドは首を横に振り「いいえ」と答えた。
ある貴婦人が問う。
「では、彼のドラゴンはどこにいったのですか?」と
ローランドは獅子の様な風貌とかけ離れた、紳士的な微笑を浮かべ
「きっと、巣がわれたので移動したのでしょう」と答えた。
最後にある将軍が言った。
「なら、次こそは悪しき存在であるドラゴンを討伐しましょう」と
ローランドはニヤリと笑い
「本気で討伐を考えるのなら、全ての羽を持つ戦士を集めるべし」と宣言をし、世界を震撼させた。
これが、二十年以上経った今でも伝説と詠われる『ローランドとドラゴン』の締めの一言である。
だが、この伝説の中で、イハラダという名前は、終ぞ語られる事はなかった。
読んでくれて、ありがとうございました。