表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/24

side B3)いいくらのうわばみ

 その昔、飯倉いいくらには塚荒つかあらしが出て古い墓あばいてまわり、村人はたたりを恐れてたいそう困っておりました。


 あるとき旅のお坊様が飯倉を通りかかり

「それはお困りのことでしょう。でも心配はありません。川岸に祭壇を築いて卵と酒をお供えすれば、水神すいじんさまが眷属けんぞくへびをおつかわしになり、不届き者を懲らしめて下さいます。」

と知恵を貸してくれました。


 村人たちがお坊様の言葉通りに、お供え物をして水神に祈りをささげると、墓荒らしはピタリと収まったということです。

 祭壇のあたりでは、ときどき「うわばみ(大蛇のこと)」がくつろいでいる姿も目にされたので、村人たちは「水神様の眷属だろう。」と蛇を大事にするようになりました。


 のちに旅のお坊様は、弘法大師こうぼうだいし様だったのだろう、と噂されるようになったと伝えられています。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 弘法大師(空海)にまつわる伝説や言い伝えは日本各地に存在するが、『飯倉の大蛇』の話もそんな伝説の一つ。


 20年間就学予定の学僧として唐に渡った空海だが、短期間で目標をクリアしたために帰国したところ、806年~809年の間は京に戻る事が許されず、大宰府だざいふ観世音寺かんぜおんじに止め置かれた。

 その間の事跡としては、東長寺(福岡市 博多区)や鎮国寺(福岡県 宗像市)を建立などがある。

 だから、実際に空海が現地を訪れていた可能性は否定出来ない。


 有名な伝説としては『飯倉の大蛇』の他に、『古賀の大根川』の話がある。

 大根川の話は、川で大根を洗っていた老婆に旅の僧が喜捨きしゃを申し入れたところ、老婆が喜捨を拒絶したために川が干上がってしまったという物。

 この大根川は、古賀市を流れる花鶴川かづるがわの支流で、川の一部が伏流ふくりゅうになっている事に説明を付けた伝説である。

 河川の一部が透水性の高い砂礫層を経由する場合には、伏流のなるのは珍しくないので、同様の伝説は日本各地に散見出来る。


 『飯倉の大蛇』で旅の僧が「祭壇を築いて水神に祈る」ようアドバイスを与えているのは、空海伝説としては奇妙に思えるかもしれないが、弘法大師にまつわる話には、まだ当時存在しなかったはずの「南無阿弥陀仏と唱える」とか「南無妙法蓮華経と唱える」など、時系列無視の説話も混じっているので、改変や混同も多く混入しているように思われる。

 「これだけの奇跡を起こしたのだから、あのお坊様は弘法大師様だったのに違いない。」という憶測おくそくゆえの混同も混じっているのかもしれないし、修験者しゅげんじゃ私度僧しどそうかたったという事例もあるだろう。


 なお飯倉の川というのは、野芥のけ~飯倉~弥生を流れる油山あぶらやま川のこと。

 油山川は室見むろみ川水系の川で、弥生付近で賀茂かもから流れる金屑かなくず川と合流する。(ここから下流域は金屑川に統合。)

 金屑川は藤崎を経て、愛宕あたご下で室見川に統合される。河口部の名称は室見川である。


 油山川の名前の由来は、源流域の油山に椿油つばきあぶらが採れる椿の木が多かったことによる。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ