side B3)いいくらのうわばみ
その昔、飯倉には塚荒らしが出て古い墓あばいてまわり、村人は祟りを恐れてたいそう困っておりました。
あるとき旅のお坊様が飯倉を通りかかり
「それはお困りのことでしょう。でも心配はありません。川岸に祭壇を築いて卵と酒をお供えすれば、水神さまが眷属の蛇をお遣わしになり、不届き者を懲らしめて下さいます。」
と知恵を貸してくれました。
村人たちがお坊様の言葉通りに、お供え物をして水神に祈りを捧げると、墓荒らしはピタリと収まったということです。
祭壇のあたりでは、ときどき「うわばみ(大蛇のこと)」が寛いでいる姿も目にされたので、村人たちは「水神様の眷属だろう。」と蛇を大事にするようになりました。
後に旅のお坊様は、弘法大師様だったのだろう、と噂されるようになったと伝えられています。
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弘法大師(空海)にまつわる伝説や言い伝えは日本各地に存在するが、『飯倉の大蛇』の話もそんな伝説の一つ。
20年間就学予定の学僧として唐に渡った空海だが、短期間で目標をクリアしたために帰国したところ、806年~809年の間は京に戻る事が許されず、大宰府の観世音寺に止め置かれた。
その間の事跡としては、東長寺(福岡市 博多区)や鎮国寺(福岡県 宗像市)を建立などがある。
だから、実際に空海が現地を訪れていた可能性は否定出来ない。
有名な伝説としては『飯倉の大蛇』の他に、『古賀の大根川』の話がある。
大根川の話は、川で大根を洗っていた老婆に旅の僧が喜捨を申し入れたところ、老婆が喜捨を拒絶したために川が干上がってしまったという物。
この大根川は、古賀市を流れる花鶴川の支流で、川の一部が伏流になっている事に説明を付けた伝説である。
河川の一部が透水性の高い砂礫層を経由する場合には、伏流のなるのは珍しくないので、同様の伝説は日本各地に散見出来る。
『飯倉の大蛇』で旅の僧が「祭壇を築いて水神に祈る」ようアドバイスを与えているのは、空海伝説としては奇妙に思えるかもしれないが、弘法大師にまつわる話には、まだ当時存在しなかったはずの「南無阿弥陀仏と唱える」とか「南無妙法蓮華経と唱える」など、時系列無視の説話も混じっているので、改変や混同も多く混入しているように思われる。
「これだけの奇跡を起こしたのだから、あのお坊様は弘法大師様だったのに違いない。」という憶測ゆえの混同も混じっているのかもしれないし、修験者や私度僧が騙ったという事例もあるだろう。
なお飯倉の川というのは、野芥~飯倉~弥生を流れる油山川のこと。
油山川は室見川水系の川で、弥生付近で賀茂から流れる金屑川と合流する。(ここから下流域は金屑川に統合。)
金屑川は藤崎を経て、愛宕下で室見川に統合される。河口部の名称は室見川である。
油山川の名前の由来は、源流域の油山に椿油が採れる椿の木が多かったことによる。