sideA11)蛇足
「まあ、こんなものか。騒ぎも収まっておるし、ヘビ殿も大事に崇められて言う事無しじゃな。」
何度目かに飯倉村を訪れた南行坊は、満足げに頷きました。「自分で言うのもなんじゃが、知恵一番の南行坊、まだまだ頭は衰えてはおらぬのぅ。」
今日は如何にも門付の願人坊主、といった風情に戻っていますから、村人は誰もウワバミの力をもって墓荒らしを追い払い、村の騒ぎを鎮めてくれた旅僧であることに気が付きません。
南行坊は室見のあたりで白蛇の功徳を説く時には、旧知の僧から僧衣を借りていましたから見た目がまるで違うのです。
南行坊が衣を借用に行った時には、旧知の住職は「お主はトコトン変わった男だなぁ!」と笑いましたが、互いに学僧だった時分から南行坊の気質をよく知っていたために、何も訊かずに快く見栄えの良い僧衣と法具一式を貸してくれたのでした。
飯倉村から立ち去ろうとしていた南行坊に、美しい娘が駆け寄ると
「そろそろ、おいでなさる頃かと思っておりました。」
と深く頭を下げます。
南行坊は少し驚いた顔をして
「これは何と、龍宮の九尾狐殿。いや立派に化けたもの。」
と応じました。
キツネはにこやかに笑みをこぼすと「さすがの眼力でございますね。」と南行坊の言を肯定しました。
そして「南行坊さまには、お礼をせねばと、まかりこした次第にございます。」と一つの策を提案しました。
その策というのは、九尾狐はそろそろ愛する伊織という若者とは――彼を愛していればこそ――別れなければならない潮時だから、この機会に一芝居打とうと考えた、というものでした。
「よう決心なされた。龍宮の神獣は、人と関わりを持っても、いつかは別離の日が来るのが避けられぬもの。かつてはトヨタマヒメも山幸彦と、子を成すまでの深い契りを結んでおりながら引き止めることは叶わなかったのじゃ。……潮時と感じたのならば、それに従うが良かろう。」
南行坊はキツネの決心を尊びながらも
「それでは九尾狐殿の策というのは、お主が害を為す妖魔であるよう振る舞って、伊織殿に近寄れぬようにするモノじゃな。」
と理解の速いところを見せました。「伊織殿は、それで納得されたのか?」
キツネは少し寂しそうでしたが
「泣いて拒まれました。……すっかり、やつれておしまいになり、辛うございました。」
と告白し
「けれども、そこまで深く想うてもらっておったのかと思うと、嬉しうもありました。」
と微笑みました。「今では、ようやく納得してもらっております。……姿は見せぬが、永遠に傍らでお仕えします、と約束いたしまして。」
それからしばらくして、博多の街の東、立花山の近くで「紫女の怪」が評判になりました。
伊織という若者が、夜な夜な現れる紫の衣の女に精力を吸われて、明日をも知れぬ状態にある、という怪異です。
腕自慢が伊織の警護に付き、現れた紫女を名刀で切り付けましたが、紫女は不死身でした。確かに切り伏せたはずなのに、何事も無かったかのように再び姿を現すのです。
人々は「紫女には刀槍は効かぬ。神仏にすがるより他に無い。」と戦慄し、筑前国中の法力者を集めました。
けれども紫女は、どんな修験者の祈祷を受けても涼しい顔です。
いよいよ打つ手が無いとなった時、やって来たのが一人の願人坊主でした。
普通なら追い払われても不思議は無いところですが、藁をも掴む思いで、周囲の人々は願人坊主に祈祷を頼みました。
願人坊主は気負ったところも無く伊織の傍らに座ると
「あなたが伊織殿か。……そうか、よく決心なさいました。」
と紫女の出現を待ちます。
夜になり、音も無く紫衣の美しい娘がスゥと伊織の元に現れました。
警護の者どもは、声を上げる事も出来ません。
けれど願人坊主は、紫女に深く一礼すると
「なまむぎだいずいっしょうごんごう」
と、不思議な文句を唱えました。
刀も修験者の加持祈祷も撥ね退けた紫女でしたが、願人坊主の文句には明らかに狼狽した素振りを見せます。
願人坊主は重ねて
「なまむぎだいずいっしょうごんごう」
と唱えます。
すると紫女は「ええい! 何と言う法力じゃ。これでは手も足も出ぬ。」と苦し気に身もだえします。
更に願人坊主が呪文を唱えたところで、紫女の姿はは霧のように薄れて、遂には日に当たった朝靄のごとく消え失せました。
この有り様をしっかと目撃した人々は、願人坊主の法力の強さに驚き、博多の街で祈祷所を開くように懇願しましたが、願人坊主が
「今の祈祷で力を使い果たしてしまいましたから、しばらく修行三昧に明け暮れて力を溜めねば、何の祈祷も出来申さぬ。」
と断ったために、金銀を積んでお布施としたのみで、祈祷所の建立は諦めなければなりませんでした。
願人坊主は「この里で、再び妖が暴れて手が付けられぬ事でも有りましたら、また立ち寄りましょうぞ。」と言い残して、何処へかと旅立ってしまったということです。
紫女の怪が解決して程無く、南行坊に法衣を貸したことがある住職の寺を、南行坊が訪れました。
「いつぞやの法衣の借り賃を払わねば、と思うての。」
住職はズシリと重い袋を手渡されました。中を見ると金銀が詰まっています。
「多過ぎじゃ。」と驚いた住職でしたが「ま、預かっておこう。願人坊主の身なりでは、金銀を持ち歩くのは物騒じゃからなぁ。」と袋を受け取りました。「また必要な物がある時には、何時でも訪ねてくるとよい。時には般若湯でも酌み交わそうず。」
「お主なら、四の五の言わず受け取ってくれると思うたわ。」
南行坊が笑顔で答えます。「襤褸衣では、袂が抜けそうでの。」
「さては、お主じゃな。紫女を払うた法力者の願人坊主とは! それに、大蛇を使うて墓荒らしを退散させたと評判の旅の僧も。言うてみい、南行坊。」
住職の問い質しに、南行坊は「然り。」と応えました。「知恵一番とはワシの事じゃからな!」
住職は「天狗になるなよ!」と大笑いしましたが、態度を改めると
「そろそろ腰を落ち着けぬか、南行坊? お主なら、どこの寺の住職でも務まるであろうが。拙僧にも心当たりが幾つか有る。お主の智慧、里の者に授けてやるべきじゃと思うぞ。」
と、再び寺に入る事を勧めました。
南行坊は住職に感謝の意を伝えましたが
「ワシは、未だ弘法大師様にお会い出来ておらぬ。まだ旅の途中よ。」
と深く礼をして寺を立ち去ってしまいました。
藤崎橋の茶店に願人坊主が立ち寄った時、店の娘が虹団子を喜捨しました。
娘は銭を差し出したかったのですが、娘の店はあまり繁盛しておらず、銭を渡せば明日の仕入れに響きそうだったからです。
願人坊主は虹団子を喜んで受け取ると
「あんたからは、以前も団子を恵んでもらった事が有ったなぁ。本当に美味かった。お代を払わんとイカンなあ。」
とズシリと重い袋を手渡してきました。
受け取った娘が驚いた事には、袋の中には金銀が詰まっていたのです。
「お坊さま、これは……一体……。」
目を白黒させている娘に、願人坊主は
「貰うた団子が、いつの間にか金銀に替わってしもうたのよ。藤崎橋で逆さ虹など見たせいであろ。」
と笑いました。「願人坊主には不相応なお宝じゃな。あんたに返さんと、と思うてな。」
娘の驚きぶりに、店の主である茶店の主人も顔を出し、歩いていた人々も立ち止まって藤崎橋は大騒ぎになりました。
するとその中には、紫女の怪を具に目撃した兵法者も含まれていて
「ややや! 貴僧は、紫女を退けた法力抜群の!」
と願人坊主を指差して驚いたので、藤崎宿をあげての騒動へと拡大しました。
大騒動の中心に居る願人坊主は、よく通る声で
「恥ずかしながら、拙者には何の法力も有りはせんでなぁ。紫女を退けたのは、この店の団子の力であること間違い無し。」
と頭を掻きました。「長く祈祷など続けておれば、偽物とバレてしまうは必定。この場は三十六計逃げるに如かずと、尻に帆をかけたまで。妖を祓いたければ、拙者の偽力など頼るより、この団子を喰らうべし。」
願人坊主の言葉を耳にした野次馬は、わっとばかり、一斉に娘の店に殺到しました。
店の団子が売り切れて騒ぎが収まった時には、願人坊主は何処へか立ち去った後で、行方を知る者はいませんでした。
娘の茶店の団子は博多中の評判となり、他所からも旅人が立ち寄って、とても栄えたということです。
(おしまい)
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『立花山』
博多湾東岸に見える山。
福岡城が出来る前は、博多の街を守護する山城だった。
島津の九州平定戦の時には、大友方の筑前の猛将「立花宗茂」が立てこもり、島津勢に落とすことが叶わなかった城として有名。
原田勢や宗像勢の度々の侵攻も撃退している。
輝かしい戦歴の城を持つ山ではあるが、博多から見る立花山の山容は穏やかで女性的。
某アニメ雑誌で、『カリオストロの城』のキャラクターであるクラリスが、仰向けに寝ているように見えるという理由から「クラリス山」と仇名された過去もある。
なぜか井原西鶴は『西鶴諸国ばなし』で紫女の怪を描くのに、紫女の住まうのを立花山の奥としている。
西鶴の思い描いた紫女は、クラリスのようなイメージだったのであろうか。