sideA10)決戦のゆくえ
コマドリが南行坊にドングリ池の状況を説明していると
うおおおおおおお!
とクマの雄叫びが森を揺るがしました。
「大変だ! 南行坊さま、池で戦いが起こっているのに違いありません。」
コマドリが驚いて、池へ向かって飛び戻ろうとします。
コマドリには力は有りませんが、空からヘビの眼を狙えば、少しは皆の手助けになると思ったからです。
「まあ、待ちなさい。」と南行坊は落ち着いています。「そろそろ終わったころじゃろう。」
「行かなくてよいのですか?」キツネが南行坊に訊ねます。「私も少しなら戦えますが。」
「落ち着け、と言うとるであろうが。」と南行坊は涼しい顔です。
「クマ殿が戦う気持ちになった以上、相手が大蛇といえども負けようはずが無い。クマ殿の大きさを考えてみよ。そもそも飲み込むのが不可能であろうが。……それにリス殿が首尾よく勤めを果たせたなら、その時点でヘビは動けなくなったはずじゃ。」
コマドリには南行坊の言う事がチンプンカンプンでしたが、頭の良いキツネには直ぐに分かりました。
「ああ、なるほど! 新しい願いが叶ってヘビの食欲が元に戻れば、同時に満腹感も戻るのだから、ヘビはお腹がイッパイに成り過ぎて、身動き一つ出来なくなるという訳ですね。」
「よく見た。察しが良いのぅ。」
キツネの理解の速さに、南行坊も満足気です。「ワシが坊主を続けておったら、弟子にしてやるところだが。ま、願人坊主ごときに、弟子にしてやると目をかけられても、嬉しうも何とも無かろうがな。」
そしてコマドリに指示します。
「クマ殿に、ヘビをここまで担いで来るように伝えよ。生かしたままじゃぞ。殺してはならぬ。」
アナグマたちが戻って来るのには、少し時間がかかりました。
アナグマもクマもリスも、とても疲れていたからです。
特にアナグマは少しどこかを痛めたらしくて、リスが肩を貸しています。
身体の大きさが違うから、アナグマにとっては余り助けになってはいないようにも見えるのですが、アナグマは嬉しそうにリスの肩に手を乗せています。
そしてクマが自慢げに担いでいるのは、クマよりも長い巨大な白蛇でした。
「やい坊主!」
アナグマは少し怒ったような調子て切り出しましたが、途中から考え直したのか
「……いえ、南行坊様。大喰らいヘビを生かしておく理由があるのですか? こいつのせいで、俺は危うく絞め殺されるところだったんだ! ……ですが。」
と興奮を治めました。
リスがアナグマのお尻を、ポンポンと優しく叩いたのが利いたようです。
「南行坊さま。私もアナグマと同感です。」
クマが、ヨイコラショとアオダイショウを地面に横たえてから、その横に座り込みます。
「今なら私がヘビの頭を一噛みすれば、全てが終わります。コマドリくんから話を聞いて、ヘビのお腹が膨れているうちは大丈夫なのは分かりましたが、ひと月も経たないうちに、また腹を空かせるのは分かり切っています。ならばいっそ、今のうちに。」
「殺したヘビを喰う、というなら止めはせんぞ。好きにするがいい。全ての生き物は喰わねば、己が死ぬる。じゃから、お前たちがヘビを喰うなら、それは世の摂理に反する行いとは言えぬからな。」
一旦は言葉を切った南行坊でしたが、けれども、と話を続けました。
「けれども、相手から喰われんように、ただただ殺すと言うのなら、活かす道を考えてみてはどうかのぅ。」
「南行坊……さま。なぜヘビは『空腹でなくなっても、喰うのを止めることを選ばなかった』のでしょうか?」
リスが首をひねって、今更ながら、にも思える質問をしました。
「空腹感が無くなったがゆえに、満腹も感じられなくなってしまった――この理屈は分かります。けれども、死なない程度に喰うという選択もあったはず。自分の身体が、ふらふらし始めて危ないと思った時に、食べるという選択が。……俺は何を間違えたのでしょう?」
「よし、もう一掘り分、深くまで考えた。いいぞ、あと一息じゃ。」
南行坊はリスの質問を褒めました。「ちょっとだけ、手助けをしてやるか。……それはな、このアオダイショウが白子であるのが関係しておる。」
ああ。
と声を漏らしたのはキツネです。「白子に生まれたが為に、早く大きくならねばならなかった。……そういう事か。」
「どういう事なんだよ?」
アナグマが先を急かします。「一人合点してないで、俺にも分かるよう解説してくれ。リスがドングリ池で失敗した……だけではなかったって事か?」
「白子は目立つ。草の間に隠れても石の隙間に隠れても、餌を探している敵に簡単に見つかってしまうから。だから、大きく育っていない子供のあいだに、ほとんどが喰われてしまう。」
リスがタメ息をつきました。
「生き残るためには、どんどん食べて少しでも早く大きくならなきゃならないんだ。……他の生き物に見つかっても、食べられなくなる大きさに成るまで。」
「そうか!」クマも理解したようです。「食欲のあるなし関係無く、大きくならないといけないから、食べるのを止められないのか。」
「そんなヘビに対して、俺は『食欲を無くする』よう、願い事をしてしまったんだ。」
リスは、張り裂けそうなお腹を抱えて身動き出来ない白蛇に歩み寄ると、その背を撫でました。
「リスのお願いだけなら『食欲を失った、あまり物を食べないヘビ』に成っていたのかも知れないけれど、それが『生き残るためには早く大きくならなければならないと焦っている白蛇』だったために、『満腹感を感じない大蛇』が生まれてしまった――ああ、これなら俺にも分かる。」
アナグマも、リスの横に並んでヘビの背を撫でます。「お前、今まで大変だったんだな。」
森の動物たちの中で、大蛇に対する恐れが消えて、憐みの心が生まれたのを見て取ったキツネが、畏まって南行坊に相談を持ち掛けました。
「南行坊さま。ヘビにも事情があったのは良く分かりました。そして、もう以前のように食べ続けなくとも良くなったのも分かります。……しかし、この森に住むのには身体が大きく成り過ぎているようにも思えます。ヘビのためにも、森のためにも良い解決策は有りますでしょうか?」
「それよ。」と南行坊は大きく頷きました。「この森の中だけでは、大蛇殿はこの先も生き難くかろうて。」
しかし、と南行坊は、今度はアオダイショウに向かって語り掛けます。
「おぬしがこの森を故郷とし、外の世に出て働く気があれば、森の仲間から煙たかられずに生きてゆく道がある。……どうじゃ? 試してみる気はないか。」
「他に道があるのなら、ぜひとも試してみたく思います。」
ヘビは、腹が張り裂けそうな苦しい息の中でしたが、南行坊の提案をのみました。
「私は今まで誰とも仲良くならずに、ただただ大きく育つ事のみを考えて生きてきました。けれども今、そんな私の背をさすってくれている者が居ります。大変だったな、と声をかけてくれる者が居ります。これからは、生きて行ければよいというだけの生涯ではなく、誰かの役に立つ生を送りたく思うのです。」
「よく申した。それでこそ、龍宮に住まう神獣の心得とでも言うもの。」
南行坊が満足そうに頷きます。「南無大師遍照金剛。」
「なあ。『龍宮に住まう神獣』って、何の事だ?」
アナグマが、こっそりコマドリに訊いてみますが、コマドリも「さあ?」と首を傾げています。
「生麦大豆、一升五合っていうオマジナイも、変な呪文だね。」クマも不思議そうな顔です。
リスだけは「おいおい、無駄口をきかずに静かにしてろよ。ほら、キツネは両手を合わせて拝んでいるから、ちゃんと理由が分かっているのに違いないよ。後で教えてもらったらいいじゃないか。」と皆をたしなめました。
「生麦大豆一升五合はよかったな!」南行坊が大笑いしました。
「さてと、ヘビ殿。オンボロ橋の淵から底に潜れば、名無し滝の淵に出ることが出来るとキツネ殿が教えてくれたんじゃがの。名無し滝の淵は下に下れば室見川、そして室見川は金屑川や油山川と繋がっておる。そして金屑川や油山川の畔の里では、宝探しの古塚荒らしに困っているんじゃ。」
そして、じいっとアオダイショウの紅い眼を覗き込むと
「拙僧は里に出て、祭壇に酒と卵を供えて水神に祈りを捧げれば、眷属の大蛇が遣わされて墓荒らしが止むであろうと、唱えて回るつもりじゃ。お主、この企てに一枚噛まんか? 墓荒らしを脅かして追い払えば、里の者からも感謝されよう。……この森には、時おり里帰りして来れば良かろうが。」と言い聞かせました。
アオダイショウは、しばらく沈思黙考してから
「その役目、謹んでお引き受けさせて頂きたく思います。」
と同意しました。
南行坊は「よくぞ決心した。」と笑顔を見せると
「塚荒らしが止んだ後は、お主、弁財天にお仕えする道を選ばれてはどうかな?」
と、新たな提案をしました。
「塚荒らしの難が有る間は、里の者もお主を大事にしようが、難が去れば何時までも里で暮らすわけにもいくまいて。丁度、背振山には弁財天がおわす。お主のような眷属が出来れば、『べんじゃあさん』も御安心なさろう。」
「良き事を聞きました。」アオダイショウは、南行坊にひれ伏して礼を述べます。「背振という山には、どの様にして向かえばよろしいのでしょうか?」
「名無し滝の淵から、山をひたすら上へ登れば金山の山頂に着く。そこから尾根を東南東に向かうのじゃ。さすれば最高峰が背振の神社よ。」
南行坊は、アオダイショウにそう道案内をしました。「途中『鬼ヶ鼻』という巨岩のあたりに、シャクナゲの苗が生えておるから、それを摘んで行くと良い。べんじゃあさんも喜んで、お主を眷属として迎えるのを嫌とは言うまいて。」