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sideB10)「羽犬」について(ふくおか県民質問掲示板から)

●Q:羽犬塚はいぬづかいわれについて教えていただきたい事があります。

 質問者)冒険者 福岡市城南区鳥飼 中3


 JR羽犬塚駅前の「羽犬」像ですが、秀吉の島津平定戦の時に、秀吉軍を攻撃してきた怪物という説明がありました。

 ネットで調べてみると、羽根の有る獣として幻獣「グリフォン」と関連付けて説明されている方がおられるようです。


 しかし、たぁこ様が背振神社の「はくじゃさん」について質問された折に、ぬらりひょん様が天狗について触れられた中で「犬顔で猛禽類の羽を持つ天狗」についてお書きになられています。


 秀吉軍を攻撃したのが、狗賓から烏天狗に移行する途中の狗面天狗だと言う事はないのでしょうか?


 また以前、邪馬台国の金印について質問させていただいた時に、ミステリマニア様から英彦山山系をめぐる「邪馬台国vs狗奴国戦争」の推理をお伺いしたことがありました。

 狗奴国を率いていた王「クコチヒク」は、菊池彦とも河内彦とも解釈されているようですが、原文の表記では『狗古智卑狗』で狗という漢字が二つも使われています。


 修猷館高校近くの「西新町遺跡」から、邪馬台国と同時代のすずり5個が見つかっている事から、少なくとも北部九州においては、邪馬台国―狗奴国時代には漢字が使われていた事を示す出土品です。

 クコチヒクは自分が『狗古智卑狗』と書かれているのを知っていたとしても不思議はないと思います。


 邪馬台国を併呑して強大な力を持ったクコチヒクが、いくつもの国を従えたことから「王の王」すなわち「帝」を自称したくなった。――けれども「帝」の文字は、当時は中国皇帝のみを指す言葉であったために、「天下を獲った狗」として『天狗』を自称した、などという事は考えられないでしょうか。


 古代中国では流星の大きなモノである火球を天狗と言っていたのに、日本では何故か「強大な力を持つ傲慢な存在」が天狗とされるように成った事にも説明がつく様な気がするのです。


 すると背振山の「べんじゃあさんとシャクナゲ」の伝説にも、隠された別の何かが見えてくるような手ごたえを感じます。

○べんじゃあさんは、宗像三女神のイチキシマヒメと同一である。

○背振山のイチキシマヒメには、シャクナゲに象徴される何か重要な物を、どうしても英彦山から持ち出さなければならない理由があった。

○英彦山天狗には、相手がイチキシマヒメであろうとも、それを阻止しなければならない理由があった。


 背振山のイチキシマヒメを、邪馬台国の血脈を引き継ぐ巫女みこだと仮定し、英彦山天狗をクコチヒクの流れを受け継ぐ勢力であるとするならば、どうしても欲しい「シャクナゲ」は親魏倭王の金印であるとしか考えられません。


 ただ、ぬらりひょん様の「細石神社の金印が親魏倭王印」説に従えば、親魏倭王印は既に糸島へと移動されていた事となり、べんじゃあさんが英彦山へと向かわなければならなかった理由が説明出来なくなってしまいます。


 このあたり、合理的な説明が出来るようなアイデアがあれば、どなたか教えていただきたいのですが……。



●A:羽犬≠グリフォンだと思います。

 回答者)ミステリマニア 大分県宇佐市 主婦引退


 おお! 冒険者君。金印探し、まだ諦めてないんだね~。結構、結構。

 ん~……でも中3なんだから、勉強もちゃんとね。


 さて回答ですが、羽犬はグリフォンではないと思いますよ。

 グリフォンの特徴は「上半身がわし・下半身がライオン」です。

 百歩譲って、唐獅子からじしがイヌっぽいからライオン部分がイヌに見えたとしても、上半身のワシの部分をイヌとは見間違わんでしょう。


 また、べんじゃあさんの愛馬の天馬ですが、羽のある馬、すなわちペガサスタイプの天馬で、ヒッポグリフではないんだよね。

 ヒッポグリフだったら、グリフォンが馬と交配して生まれるキメラだから、俄然がぜんオモシロイのだけれど、ヒッポグリフの特徴は「上半身が鷲・下半身が馬」だからね……。ペガサスとは見間違えようもないでしょう。


 ギリシア神話なんかは、イエズス会の宣教師が日本に持ち込んで来ていて、1598年には天草の神学校コレジオでイソップ童話の印刷が行われたりしています。ただしローマ字印刷です。(伊曾保物語として日本語印刷されるのは江戸時代ね。)

 だから知識としては安土桃山時代以降の人だったら、グリフォンやヒッポグリフにペガサスを知っていたとしても不思議はありませんが、土地の伝説――それも地名として残るほど有名な伝説――に取り込むかなぁ?

 まず何と言っても、島津征伐の公式記録には有りませんからねぇ……。


 一応、グリフォンと天狗との共通点を考えてみると、その象徴するものが「傲慢」であるという点くらいでしょうか。

 ちなみにグリフォンと蛇神の共通点を考えてみると

○グリフォン:黄金を守る。酒樽を守る。

○蛇神:金運をつかさどる。酒造の神。

と、いうのがあるのだけれど、ちょっとコジツケ臭くなりますね。


 むしろ、九州征伐の時の秀吉の敵であった島津氏は、『肥前の熊』と呼ばれた龍造寺りゅうぞうじ隆信たかのぶを、沖田畷おきたなわての戦いで敗死させていますから、熊をも噛み殺す猟犬のイメージで羽犬伝説が生まれたのかも知れません。

 実際に羽犬塚付近で秀吉勢と戦闘を行ったのは、島津本軍というよりも島津に与する地侍だったんだろうけどね。


 「シャクナゲの意味するもの=親魏倭王印」というアイデアに関しては、うん、すごく面白いと思います。伝奇ミステリが一本出来そうでアルよ。


 でもシャクナゲが比喩ひゆだとするならば、「英彦山から背振山へ」っていうのも何かの暗喩あんゆなのかも知れないね。

 英彦山山系の山の民から、背振山系の里(あるいは海)の民へ、みたいな……。

 それというのも、背振神社は山頂にあるけれど、祀られているのは宗像三女神のイチキシマヒメ。道の神であると同時に、海路の安全を司る神でありますからね。


 ただねー。そっち系は好きなんだけど、えべっさん様かぬらりひょん様の方が、上手い落とし処を着けてくれるような気がします。妄想爆発の私よりも。

 ――と、いうわけで、後は頼みましたぜアニキ!



●A:羽犬塚の謂れには別バージョンもありまして。

 回答者)ななし 住所不定年齢職業不詳


 羽根の生えた猛犬が襲撃してくるというシチュエーションには、ビジュアル的にも何かこう……燃えるものが有りますが、羽犬塚のいわれには別バージョンも存在します。


 それは、「太閤たいこうは、とても脚が速く飛ぶように駆けることが出来る愛犬を飼っていて、たいそう可愛がっていたのだが、その愛犬がこの地で死んだので、塚を築いて葬った。」というものです。


 リアリティとしては、この死んだ愛犬の塚説の方が上ですかねぇ。

 面白味は今イチな内容ですけどね。



●A:べんじゃあさんのシャクナゲなぁ……。

 回答者)えべっさん 兵庫県西宮市甲子園浜 アル中未満


 うわぁ……べんじゃあさんのシャクナゲかいな……。


 羽犬の話は、ミステリマニアさんとななしさんの説明でエエ思いますけど、シャクナゲが何を意味するかていうたら、志賀海神社の「アレ」について触れんわけにはイカンやないか……。


 わては、えべっさんやよって「イソ×」はんは苦手なんや。

 なにせ、コソッと名前呼んだだけでも、ビクゥて反応しはる言いますからなぁ。


 ここは、ぬらりひょん様の出番やな。

 なにせ妖怪の総大将でおますからなぁ。



●A:潮盈瓊しおみつたま潮涸瓊しおひるたまという、二つの宝珠について説明しましょう。

 回答者)ぬらりひょん 福岡市中央区薬院 爺


 ミステリマニア様とえべっさん様から、説明役をブン投げられた爺です。

 ……しかし、妖怪の総大将はナイでしょう。(たしかにHNはぬらりひょんだけど。)

 志賀海神社と磯良いそらの名まで、これ見よがしに記しておいて……。


 さてと。気を取り直して御説明させて頂きます。


 まず「磯良」について。

 現在、一般的に最もメジャーな磯良というキャラクターは、上田秋成うえだあきなりが書いた『雨月物語うげつものがたり』の中の怨霊でしょう。

 上田秋成が、なぜ怨霊となる女性の名に磯良を選んだのか、稲田篤信いなだあつのぶ編著『雨月物語 精読』から引用します。


 磯良=近世の読者が磯良の名前から連想するのは醜貌であるとする説(松岡修)がある。『秋成』(シンポジウム日本文学)参照。「鹿島の明神はもとタケミカヅチの神である。人面蛇体。常陸の国鹿島浦の海中に鎮座される。一睡すると十日たつため、顔面に牡蠣を生じ磯のようである。故に磯良と名付ける」(袋中『琉球神道記』・板東健男『上田秋成「雨月物語」論』)


――引用ここまで。(P159)

 さて、この顔面に牡蠣かきが生えているという磯良のイメージなのですが、北部九州一帯の海人を束ねて、海神・龍神を祀る阿曇あづみ氏の始祖『阿曇磯良あづみのいそら』という海神様から来ています。

 その阿曇氏の海上支配の「根拠地」が志賀島だったのですね。(出自は糟屋郡阿曇郷)


 神功皇后が三韓征伐を行う時に、大船団が朝鮮半島まで渡るためには海の民のボスである阿曇氏の協力が不可欠でした。

 けれども他方面からの協力要請は得られているのに、阿曇磯良だけが姿を現さなかったのです。

 これにはわけが有って、海神である阿曇磯良の顔には牡蠣やあわびが生えていて、彼はそれを恥ずかしく思っていたのですね。


 ちなみにアヅミノイソラの伯母おばは、龍宮の龍神(大綿津見神)の娘であるトヨタマヒメ。

 綿津見わだづみ三神という、海の女神様三姉妹の長女です。「海原うなばら」と書いて「わだつみ」と読むように、「綿津見=海」である処は押さえておいて下さい。宗像三女神とは違うけれども、こちらも海に縁の有る三姉妹ですね。


 で、この長姉であるトヨタマヒメと『ヒホホデノミコト』という神様との間には子供がいます。

 ヒホホデノミコトというのは、『海幸山幸』伝説の主人公「山幸彦」のこと。海幸彦のつりばりを無くして龍宮まで探しに行く神様です。

 山幸彦は龍宮でトヨタマヒメと結ばれ、子供が出来ますが、出産の時に産室を覗いた山幸彦からワニ(サメ)もしくは龍であることがバレてしまいます。

 サメだろうが龍だろうが、好きになったなら気にしなくても良さそうなものですが、驚いた山幸彦は地上に逃げます。……なんだか酷い話です。

 けれどもトヨタマヒメは、子供の世話をさせるために妹のタマヨリヒメを地上に送り、山幸彦に渡すよう『潮盈瓊』と『潮涸瓊』という二つの宝珠を託すわけです。(健気な……。)

 潮盈瓊は海水を満ちさせる宝珠で、潮涸瓊は海水を干かせる効力がありました。

 山幸彦は、二つの宝珠を使って海幸彦を攻め、降伏に追い込む――というのが、海幸山幸のアラスジです。


 その後、山幸彦とタマヨリヒメの間の子供「ウガヤフキアエズノミコト」は、世話をしてくれるために地上に来ていたタマヨリヒメとの間に子供を作りますが、その子供というのが『神武天皇』なんですね。

 だから神武天皇は、阿曇磯良の伯母の孫であり、かつ伯母の子供でもあるという血縁になるわけですから、相当濃い「従兄弟いとこ」だと言えるでしょう。


 神功皇后にしてみれば、ダンナ(仲哀天皇ちゅうあいてんのう)の先祖である阿曇磯良には、是非とも手助けをして欲しいところですから、舞を奉納して接触を図ります。

 恥ずかしがり屋だけど音楽好きだった阿曇磯良は、舞と楽曲につられて遂に姿を現し、神功皇后の願いを聞き届けます。

 もしかすると協力したい気は有ったのだけれども、極度にシャイな阿曇磯良には、出て行くキッカケが必要だったのかも知れませんね。


 そして阿曇磯良が神功皇后に手渡したのが、海幸山幸伝説でも活躍したチートアイテム『潮盈瓊』と『潮涸瓊』だったのです。

 2個で1セットのチートアイテムといったら、何かを連想しませんか?

 しかも手渡された場所が志賀島。


 そして、ちょっと思い出して下さい。背振山の弁財天が英彦山天狗から手に入れたかった「シャクナゲ」を落とした場所を。

 そのシャクナゲは、背振山頂を西へ通り越して鬼ヶ鼻岩に落下しています。


 綿津見三神と神功皇后、タマヨリヒメ、応神天皇(神功皇后の子供)が祀られていて「龍の都」とも言われる志賀海神社ですが、そこでは「山ほめ祭」という不思議な神事が行われます。

 文字通り、山を褒めるお祭りなんですよ。褒めて感謝の意を示すのですね。

 このお祭りでは、志賀島の中にある小山を褒めるのだとされていますが、どうでしょう? 素直に志賀島から博多湾ごしに見える山を褒めたのだと考えたら。

 そして「山ほめ祭」の神楽歌は、君が代の原型で「さざれ石」という単語も含まれています。(「磯良」もちゃんと登場しますよ。)


 神功皇后の時代には、西日本はほぼ大和朝廷の勢力下にあったわけですが、それでも朝鮮半島にまで軍を進めるためには、北部九州の豪族全部から支持を得る必要があったわけです。

 そのためには王の証である「漢委奴国王」印と「親魏倭王」印の二つの金印の力を利用するのが最も確実で、かつ、手っ取り早い。


 漢委奴国王印は志賀島にある。

 そして親魏倭王印は――元はどこに隠されていたのか分からないにしろ――その時点では糸島の細石神社にある。


 両豪族とも、自分が管理している『玉璽ぎょくじ』を貸し出す(もしくは供出する)のには難を示したでしょうが、結局は押し切られる事になります。

 こうして戦勝後には、二つの玉璽は元の場所に返納されたのでしょう。


 志賀海神社の「山ほめ祭」の神楽歌に「さざれ石」という単語が出て来るのは前述しましたが、志賀海神社と細石神社の共通点は、それだけではありません。


 志賀海神社の入り口脇には「山之神神社」のお社があります。

 御祭神はオオヤマヅミ神なのですが、何故かこの神社にはオコゼやカサゴという魚を供えると、神様が大層お喜びになるという言い伝えがあり「おこぜの神さま」とも呼ばれています。

 その神様が喜ぶ理由というのが「オコゼやカサゴが変な顔をしているから」……。


 変な顔の神様といったら阿曇磯良が思い浮かびますが、……どうでしょうね。阿曇磯良は変な顔の魚という理由で供えられたなら苦笑くらいはするかも知れないけれど、そんなに喜びはしないでしょう。

 ただ、オコゼやカサゴは引き締まった白身で、とても美味しい高級魚ですから「めちゃめちゃ美味い魚です!」という意味で奉納するのなら、海の神である彼も「グッド・チョイス!」と満足されるでしょうけどね。(30㎝オーバーの大物を薄造りにして食べると、たまらない旨さですからねぇ。)


 山の神はあまり美しくない女神で、オコゼみたいに変な顔の魚を奉納すると喜ばれるという民話や伝承は日本全国にありますが、その民話に絡んで来るのはオオヤマヅミの方です。

 天孫降臨した瓊瓊杵尊ににぎのみことの妻に、オオヤマヅミは『イワナガヒメ』と『コノハナサクヤヒメ』という二人の娘を送りますが、メンクイなニニギはコノハナサクヤだけを妻とし、イワナガヒメを送り返してしまいます。

 このニニギノミコトとコノハナサクヤヒメとの間に出来た子供が、海幸彦・山幸彦・他なわけなのですが、ニニギと山幸彦って、親子そろってチョット恋愛関係では女子に対して厳しいぞ、と。(筆者の勝手な感想ですよ。)


 イワナガヒメがどう思ったのかは分からないけれど、親父のオオヤマヅミはカンカンに怒ります。

 この点、子供までつくっておいて逃げ出した山幸彦は、トヨタマヒメが穏やかな性格だったのかベタ惚れだったのか、親父の大綿津見神の怒りを勝っていないばかりか、二つの宝珠まで貰ってラッキーです。

 で、山の神には、オオヤマヅミの怒りを鎮め、イワナガヒメを慰めるためにオコゼを供えるのだとか。


 だいぶ余談が長くなりましたが、このイワナガヒメとコノハナサクヤヒメを御祭神にしているのが細石神社なのですね。


 「さざれ石」が出てくる神楽歌を持つ志賀海神社と、イワナガヒメを祀る細石神社。海の民と里・山の民。

 潮盈瓊と潮涸瓊という二つの宝珠。

 隠されていた二つの金印。


 どうでしょうか? このあたりで納得して頂けますか?


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