表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/24

sideB9)背振山の有名な白蛇について(ふくおか県民質問掲示板から)

●Q:背振山にいるという有名な蛇神様について、御存じの方がいらっしゃいましたらお教え下さい。

 質問者)たぁこ 福岡市早良区藤崎 高1


 以前、背振山のクマ目撃について質問をした者です。(あと、小学生の時に「逆さ虹」について質問をした事もありました。)

 その節には、丁寧な御回答を頂き感謝しております。


 さてクマ目撃の質問をした時に、えべっさん様から「背振山には有名な蛇神様がいる」というエピソードをうかがいました。

 この蛇神様というのは、背振神社の「はくじゃさん」で間違い無いと思ってよろしいのでしょうか?

 ネットで検索したらヒットしたのが「はくじゃさん」でした。

 よろしくお願い致します。



●A:そうです。

 回答者)えべっさん 兵庫県西宮市甲子園浜 飲ンベェ


 それで間違いありません。

 石窟せっくつに住んどるシロヘビ様やな。

 上手くお目にかかれたら、ごっつエエ事がある言いますな。


 ほぼ同様の言い伝えは、福井県の弁財天白龍王大権現にも有って、全国でも有名なパワースポットや、いう話ですわ。

 弁天様いうたら、芸能・芸事の神様で琵琶びわ持った「べっぴんさん」のイメージが強いんやけど、蛇体でいくさの神である場合もあるんです。


 わてが書き込めるのは、こんなトコまでかなぁ。

 後はどうやろ。ぬらりひょんさんアタリが詳しいんと違いますか。

 ほたら、わしはここまでで堪忍かんにんや。あと、宜しく頼んまっさ。



●A:背振神社について。

 回答者)ぬらりひょん 福岡市中央区薬院 爺


 たぁこ様、こんにちは。えべっさん様から回答を無茶振りされた、ぬらりひょんの爺です。

 なんちゅうことをするんだ、あのみ助は!


 それはさておき、それでは背振神社について幾つかの説明をば。

 その昔、背振・雷山山系一帯には数多くの(千ほどとも伝えられる)ぼうがある修験道しゅげんどうの修行場でした。


 那の津を経て松浦・五島列島経由で唐の寧波にんぽーに渡る際には、空海(弘法大師)や最澄(伝教大師)も立ち寄ったと伝えられています。


 神社の起源は、神功皇后じんぐうこうごう三韓征伐さんかんせいばつに由来するとされていますが、北部九州一帯の神社の縁起えんぎには多く見られる形式であり、自然崇拝的山岳信仰としては、もしかしたら更に起源をさかのぼる事が出来るのかも知れませんね。


 さて本宮(奥宮)は背振山山頂近くにある石造りのやしろで、御祭神は市杵嶋姫命いちきしまひめ弁財天べんざいてんです。


 イチキシマヒメは、宗像三女神の一人で宗像大社(辺津宮へつのみや)に祀られているのと同じ女神様。

 イチキシマヒメを祀る神社としては、宗像大社の他には三女神総合としてですが

宇佐神宮うさじんぐう 大分県宇佐市:比売大神ひめのおおかみ

石清水いわしみず八幡宮はちまんぐう 京都府八幡市:比メ大神

が有名でしょう。(石清水八幡宮のヒメノオオカミのメは口へんに羊)


 宗像三女神は日本書紀にほんしょきにおいては「道主貴みちぬしのむち」として登場します。

 この『むち』と表記される神は、最高ランクとして敬意を払われる対象で、「道主貴」の他には「オオヒルメノムチ」=天照大神あまてらすおおみかみと「オオナムチ」=大国主命おおくにぬしのみことでしょう。

 天照大神は説明をするまでもなく伊勢神宮の御祭神であられますし、大国主命は出雲大社の御祭神です。

 また大国主命は大物主おおものぬしと形を変えて、奈良県三輪山の大神おおみわ神社の御祭神でもあられます。


 ちなみに称徳天皇(=孝謙天皇)が弓削道鏡ゆげのどうきょうに皇位を譲ろうとした時にお伺いを立てたのは、伊勢神宮ではなく比売大神が祀られている宇佐神宮なんですね。


 さて宗像大社なのですが、神功皇后の三韓征伐の時には、神功皇后が「航海の安全」を祈願したという言い伝えがあります。

 けれども神功皇后が「戦勝を祈願した」とされる神社は他の場所に複数存在します。その最たる神社が宮地嶽みやじだけ神社で、出航前に祭壇を築いて戦勝を祈願した場所とされています。

 近頃は海から一直線に続く参道が、年に2回ほど沈む夕日で輝くことから「光の道」として有名になっている神社です。出雲大社のものより大きな、サイズ日本一を誇る注連縄しめなわでも有名ですね。

 場所は間に対馬見山つまみやまという山を挿みますが、宗像大社から直線で6.6㎞と極めて近い位置にあります。

 宮地嶽神社の御祭神は、そのものズバリの神功皇后その人です。

 ただ奥の宮は古代の横穴古墳であり、神功皇后が戦勝を祈願をされた時よりも前から祭祀の場所ではあったのかも知れません。

 宗像三社と宮地嶽神社からは、どちらも国宝となった出土品が発見されています。


 イチキシマヒメの説明が長く成り過ぎましたから、弁財天の説明に移りましょう。


 仏教が入ってくる前の日本の宗教は神道でしたから、仏教伝来後には「本地垂迹ほんじすいじゃく」といって、両者を融合させようとする試みが生まれます。

 すなわち、神と仏とは本質は同じであるが、形を変えて発現したのだとする考え方です。

 その本地垂迹説によって、イチキシマヒメと弁財天とは同じ神仏だと説明されるわけです。

 ですからイチキシマヒメ様と弁天様が同時に祀られているのは、特に奇異ではありません。


 弁財天の原型は、ヒンドゥー教の女神「サラスヴァティー」で、日本には奈良時代に伝わったとされています。

 奈良時代の弁財天には、水の神の面影おもかげはありますが、龍神や蛇神とは関連付けて解釈されてはいません。


 ヘビや龍と関連付けられるようになるのは、鎌倉時代以降です。

 「宇賀神うがじん」という、人面蛇体の由来がハッキリとは分かっていない土着神と融合して信仰されるようになるのが、その頃からなのです。

 両者が融合した型を持つのが「宇賀弁財天」というタイプの弁天様で、宇賀弁財天の出現以降、ヘビや龍が弁財天の眷属けんぞくとされるように成っていきます。(眷属というのは、「お使い」というか使役する神獣ですね。稲荷いなり神の眷属が狐であるようなものと考えて下さい。)


 インドのサラスヴァティー神の乗り物が「白鳥」や「孔雀くじゃく」であったのに対して、日本では弁財天の眷属や乗り物が「蛇」や「龍」に変化してしまったのですから、面白いですね。

 なぜかと言うと、インドでは「孔雀は蛇を食べる」として信仰の対象になっているからです。コブラなど猛毒を持つヘビが、生活安全上で危険視されるお国柄のためでしょうか。

 その孔雀が神格化されたものが「マハーマ―ユーリー」という女神様で、日本に伝来してからは孔雀明王くじゃくみょうおうという神様になっています。

 孔雀明王と同じく毒蛇や悪龍を食べるとされるのが、「ガルーダ」という伝説上の巨鳥で、こちらは迦楼羅かるら天として信仰されるわけですが、この迦楼羅天の姿というのが烏天狗からすてんぐと瓜二つ。


 そして奇妙な事に、背振山の弁財天は、英彦山の天狗との間に浅からぬ因縁があるのです。


 ま、背振山の弁財天「べんじゃあさん」と英彦山の天狗との関係に触れる前に、『天狗』というあやかしとも神とも取れる存在について、少し掘り下げてみましょう。


 古代中国では、天狗というのは大きな流星である『火球かきゅう』の事でした。

 火球クラスの流星は、マイナス等級の明るさで光跡を残して飛翔し、地表近くでは派手な爆発を起こす事もあるので今でもニュースになりますね。

 火球や彗星など空の異変は、だいたい凶兆だとされますが、たぁこ様が目撃された環天頂アーク同様、自然現象に過ぎません。


 日本でも飛鳥時代までは 火球=天狗 の表記があるのですが、日本書紀の中では天狐てんことして「アマツキツネ」の読みがなされていることもあります。

 逆に中国では、天狐は千年を経た古狐で神に仕える神獣であるとも、美女に化けて人間の精気を吸うともされる存在です。


 イヌなのかキツネなのかハッキリしない状態で、日本では 火球=天狗 の考え方は廃れて、平安時代には「イヌ(あるいは二ホンオオカミ)の妖」が、下級の天狗と認識されるようになります。

 『狗賓ぐひん』と呼ばれる妖や神です。

 この狗賓信仰は、天狗とは離れて行くもののその後も廃れることなく、火伏の神としてのヤマイヌ信仰や、柳田国男の遠野物語に出てくる「御犬おいぬ経立ふったち」という妖怪のような形で残ります。

 片や上級の天狗は、とびの姿であるとされた後、次第に山伏姿の修験者のイメージや、蓑笠みのかさを身に着けたおん≒古いタイプの鬼のイメージ(『まつろわぬたみ』や『山の民』の類型)で想像される存在へと変化します。

 なんだか龍を食べる巨大な猛禽もうきんガルーダが、迦楼羅天へと変化していく過程そのものが輸入されているようでもありますね。


 鎌倉時代の天狗は、『平家物語』に「手足は人、頭は犬、左右に羽」と書かれていて烏天狗に似てきますが、くちばしが無く犬の顔であるあたり、狗賓のイメージも残しています。

 しかし、世を騒がして乱すモノというオリジナルの「火球=天狗」説の影響からか、あるいは比叡山などの僧兵が神輿を担いで強訴ごうそを行うなどの政治介入を行う存在であったことからの影響か、天狗には高慢な策謀家のイメージが付与ふよされていく事になります。

 後白河ごしらかわ天皇(後に法皇)は、源氏・平氏を利用して平安貴族の藤原氏を叩き、平清盛を利用して源氏を潰し、更には源頼朝を使って平氏を潰すなどして、頼朝からは「日本一の大天狗」と評されたのは有名ですね。


 「力有る恐ろしい存在」は恐怖の対象ではありますが、日本には「祀れば害をなさずに力を貸してくれるようになる」という信仰が古くから存在し、それまでにも横死おうしした貴人の霊を祀る「御霊」として祀るなどされていました。

 ですから天狗が「力ある災いをなすモノ」として定着すれば、祀られる対象となっていくのは不思議でもなんでもありません。

 元からあった狗賓信仰や山岳信仰、修験道のイメージを吸収しつつ「天狗信仰」が生まれてくるのが鎌倉後期~室町時代です。都市伝説のような不思議な事件や山の怪異が「天狗の仕業しわざ」として恐れられる一方、天狗は力を貸してくれたり道を究める手助けをしてくれる存在となりました。


 こうなりますと、「害をなす天狗」と「手助けをしてくれる天狗」とは、棲み分けが必要になってきます。

 それで生み出されたのが「天狗のランク付け」です。組織化による分業と言っても良いかも知れません。ザックリ表現すると


○Sランク:大天狗~多数の手下を従えて、有名霊山を治める。広大な地域を統括する。

     不敬をはたらけば手酷くばちを当てられるが、信心すれば力を貸してくれる。

○Aランク:小天狗・烏天狗~大天狗の部下。大天狗の指示の下で霊山を治めるか、大天狗の下に住む。

     大天狗の指示に従って、実務をこなす。

○Bランク:狗賓・山人・山怪~名も無き山に住む。その山のぬし

     居住地を守る。


と、いう感じでしょうか。


 大天狗は、外見のイメージもそれまでの犬顔や鳥顔から、現在の顔面が赤く目がギョロリと大きくて鼻が高い顔へと変化します。

 このリニューアルされた大天狗のイメージには、猿田彦さるたひこという神様のイメージが採用されていると言われています。


 サルタヒコは、日本書紀では瓊瓊杵尊ににぎのみこと天孫降臨てんそんこうりんする時に、地上で出迎えて道案内に立った国津神くにつかみです。

 国津神というのは、高天原たかまがはらから降臨した天照大神の子孫である天津神あまつかみに対して、元から地上を治めていた神様のこと。

 神様をひっくるめて「天神地祇てんしんちぎ」と言う場合、天神=天津神 で 地祇=国津神 となります。

 日本書紀で描写されているサルタヒコは「鼻が7アタ(約2.1m?)」「背の高さが7尺(約2.1m)「目が八咫鏡やたのかがみのよう」「顔面は酸漿ほおずきのように(赤く)輝いている」という外見です。

 福岡でサルタヒコを祀っている神社といえば、地下鉄藤崎駅前の猿田彦神社が有名でしょう。

 たぁこ様は藤崎在住とのことですから、庚申こうしん祭の時の賑わいは、よく御存じだと思います。


 けれども(ここ重要)、サルタヒコは「道を教える神」「道の神」ではあっても、天狗ではありません。

 むしろ天狗の方が、サルタヒコのイメージを借りているのです。


 『傲慢ごうまん』『驕慢きょうまん』な天狗という存在

   ↓

 『鼻が高い・鼻高々(様子)』

   ↓

 『鼻が長い』~鼻が長い神様で、道を教える神様といえば……

   ↓

 『サルタヒコに似ている!』

という連想ゲームでしょうねェ……。

 ですから歓喜天かんぎてん聖天しょうでん)という象の頭を持つインド伝来の神様が、日本でもっとメジャーな存在であったなら、天狗の顔も象になっていたのかも。

 あいにく日本には象が居なかった上に、歓喜天像は秘仏である事が多いために、その選択はなされなかったのですが。


 それでは『背振山の弁財天と英彦山の天狗との浅からぬ因縁』に、話を戻しましょう。


 「べんじゃあさん」こと背振山弁財天は、龍の背に乗ってこの地にやって来た、とされています。その時に龍が背ビレを打ち振ったから、背振山と山の名前が決められたのだとか。


 けれども山の名前の由来には、別の伝説もあります。

 松谷みよ子の『日本の伝説』という本や、それを基にしたアニメの昔話で紹介されたことから、そちらの方が有名かも知れません。

 その伝説というのが、べんじゃあさんが英彦山にシャクナゲをドロボウしに行く話なのです。あらすじを紹介すると――


 「べんじゃあさん」は、シャクナゲの花がとても好きだったのだが、自分が住んでいる山にはシャクナゲが生えていなかった。

 それを残念に思っていたべんじゃあさんは、ある日、英彦山までシャクナゲを採りに行く事を決意し、『天馬』に乗って英彦山まで飛び、シャクナゲの株を泥棒する。

 シャクナゲを手に入れたべんじゃあさんは、天馬を急がせて自分の山まで戻ろうとするが、追いかけてきた英彦山の天狗に捕まりそうになる。

 べんじゃあさんはシャクナゲを諦めて、空から投げ捨てて山に戻る。天狗もべんじゃあさんがシャクナゲを捨てたのを確認して追跡を終える。

 けれどもシャクナゲの事を諦めきれないべんじゃあさんは、しばらくしてから再び英彦山に出撃。

 首尾よくシャクナゲを採取して、自分の山へと天馬を急がせる。

 天馬も今度こそはその役目をまっとうしようと、背を打ち振り打ち振り全速力で天空を駆ける。

 しかし、べんじゃあさんの山まで後一息という場所で、英彦山天狗の追跡隊に追い付かれる。

 「もう、しません。」と、べんじゃあさんは英彦山天狗にびを入れ、シャクナゲの株を空から捨てる。

 この事によって、べんじゃあさんの山のふもとにはシャクナゲが生えたが、山頂にはシャクナゲが咲かないままとなった。

 また、天馬が背を打ち振り打ち振りして空を駆けたことから、べんじゃあさんの山を背振山と呼ぶようになった。


――という伝説です。


 弁財天が投げ捨てたシャクナゲが落ちた場所は

○一回目:竹ノ屋敷(背振山の南東方向)

○二回目:鬼ヶ鼻(背振山の西北西 金山方向 椎原峠付近)

です。

 弁財天が、背振山から見て東側にあたる英彦山から逃げて来たとすると、竹ノ屋敷で追い付かれるというケースは有り得ますが、西北西の鬼ヶ鼻岩は奇妙です。

 べんじゃあさんのベースポイントである背振山山頂を「通り越してしまう」ことになるからです。


 まあこの伝説は「背振山にはシャクナゲが無いが、周辺地域には生えている場所がある」という不思議に説明を付ける、「○○な、わけ」系の伝説であるとすれば多少の矛盾には目をつぶっても構わないのかも知れません。


 またこの伝説は、背振神社の御祭神「イチキシマヒメ」が主人公であったならば、成り立たないお話であるとも言えます。

 前述したようにイチキシマヒメは「道の神の最高神」であり、英彦山天狗から脅かされる事は有り得ないからです。

 英彦山天狗の総帥は「豊前坊ぶぜんぼう」という日本八大天狗の一人である格の高い大天狗で、九州一円を統括していましたが、特に乞われると京都の鞍馬山まで出向いて牛若丸うしわかまる(源義経)に剣術指導をするようなタイプ。

 一種「道の神」の一員とも言えますから、最高神のイチキシマヒメに強くは出られないでしょう。

 なので「べんじゃあさん」ではなく「イチキシマヒメ」が、「シャクナゲちょうだい?」と頼めば悶着もんちゃくは起きなかったでしょうねぇ……。


 なお、弁財天が日本で初めて祀られたのが、この背振神社上宮とされています。

 カレーは「インド→イギリス→日本」という伝来ルートを辿りましたが、弁財天は「インド→中国(唐)→日本」という留学僧ルートで伝わって来ました。

 だから日本では遣唐使の出港地である北部九州に、いち早く渡来されたのでしょう。


 さて背振神社がどの様な神社であるかの説明が終わりましたので、ようやく「はくじゃさん」についてお話する事が出来ます。


 山頂のイチキシマヒメを祀る神社に、インドから渡来した弁財天を合祀ごうしした事から、背振山の中腹に弁財天の眷属である白蛇を祀る神社が建立されます。

 山頂の神社は、絶大な信仰を集めて参拝者も多かったのですが、冬季は雪に覆われて社殿まで登るのが困難でした。

 そこで白蛇神社の境内に、背振神社の下宮を建立して拝殿はいでんとしました。

 それが現在の背振神社なのです。


 白蛇神社の方は、背振神社拝殿の右手奥にある石窟せっくつで、石窟の中には今でも白蛇が姿を見せると言われています。

 その白蛇を見た者には、幸運が訪れるとも富貴が舞い込むとも言われて、パワースポットとして人気です。

 私もその石窟を拝みに行った事が有るのですが、石の溝に大石で蓋が被せてあるような造りで、横穴式古墳から覆土を取り払ったものの様にも見えました。

 残念ながら、私は「はくじゃさん」にお目に掛かることは出来ませんでしたがね。


 下宮の社殿は明治初期の「佐賀の乱」の時に焼失して、現在の拝殿はその後に再建された物です。

 背振神社下宮と「はくじゃさん」の石窟には、すぐ下まで自動車で行けますが、バスの便は有りません。

 たぁこ様が参拝なさりたければ、運転の出来る方と一緒に出掛けられるのが良いと思います。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ