震災と社会モラル
登場人物の名前に深い意味はありません。
「なんでこれしか食べらないの!? 私はお金を払ってここに泊まってるんだからちゃんとサービスしなさいよ!」
今日のバイトでこの台詞をどれだけ聞いただろうか。
寝不足と疲労で思わず出そうになる溜息を呑み込み、岡崎は出来るだけ申し訳ない顔を作り言った。
「申し訳ありません、お客様。現在、地震の影響で電気が止まっているため食糧が不足しており、朝食はおひとり様パン二つとサラダのみとさせていただいております。ご迷惑をおかけしており、大変申し訳ございません」
「このホテルの朝食はバイキングでしょ!? だから私も高いお金を払ったのに、これじゃあ詐欺じゃない詐欺!」
「申し訳ございません。しかし、生鮮食品は既に劣化が進み、肉料理なども停電のため、全て調理が出来なくなっています。幸い、パンとサラダは大丈夫でしたが、他のお客様の御食事もありますので、おひとり様パン二つまでとさせていただいているのです。代金につきましては、後日払い戻しとさせていただきますので、何卒ご理解をお願いします」
申し訳ございませんを今日だけで一生分言っている気がするな。
一年生の時から務めているこのホテルに、岡崎は既に三年ほど勤めている。あらかたの宴会サービスは経験している岡崎だったが、流石にこのような状況下での朝食スタッフは経験したことがなかった。
それというのも、全ては今日の午前3時頃、北海道で起きた最大震度7の地震が原因だった。岡崎の住む町も震度5弱を観測したが、地震以上に大変だったのは地震による停電の影響だった。不幸なことに、その日にシフトが入っていた岡崎は今朝五時から出勤し、異例となるパンとサラダのみの朝食を配給する役割を担っていた。「ありがとうございます」と食糧を受け取る人もいれば、先ほどのようにクレームを付けてくる人もわずかながらも存在し、配給が終わる頃にはいつにも増してへとへとになっていた。
「岡崎、それじゃあがっていいぞ」
上司から解放を宣言されたのは夕方五時頃だった。岡崎は気怠げな声で「おつかれさまです」と言い残すと、真っ先に喫煙室に向かい一服した。
「……ん」
白煙を上らせながら携帯を弄っていると、コンビニの食糧が次々と無くなっているという情報がSNSで回ってきた。
自分の家も丁度カップ麺やらが切れていたことを思い出した岡崎は、すぐさま煙草をにじり消し、仕事先を後にした。
ホテルから自宅まで、コンビニは四軒ほどあったが、しかしそのどれもがほとんど品切れ状態で、長蛇の列に並んで得たものと言えば、水分補給と言う点では微妙な炭酸飲料くらいだった。
おそらく、自分が宿泊客のクレームをせっせと対応している間に、近隣住民がこぞって食糧を買い占めたのだろう。そう思うと、岡崎はやるせない気持ちになったが、家に帰ったとき、携帯に朗報が届いていることに気づいた。
『今バイトなんだけど、うちのコンビニのカップ麺まだちょっと残ってる!』
それは、コンビニでパートとして働いている友達からの連絡だった。それを見た岡崎は、荷物を部屋に投げ捨てると、自転車に乗ってすぐさま友達のコンビニに向かう。そういえば、あいつの働くコンビニは大きな通りに面していなかったな、とまだ商品が売れ残っている理由を結論付ける。
そのまま自転車を十五分ほど漕ぎ、目的のコンビニに着いた岡崎は、コンビニへの列の最後尾に並ぶ。
五分も経てば先頭に来る短い列の先には、はたして友達の言った通り、まだ少し残っているカップ麺の陳列棚が姿を現した。
そこから適当にいくつか商品をかごに入れた岡崎は、レジ打ちをしている当の友人、春原の所に向かう。
「いらっしゃいま――って、なんだ、岡崎か」
「よお。相当忙しいみたいだな」
「まあね。今日は午前中から入ってるけど、一向に店の前の行列は無くならないし。おまけに店内はこの暑さだからね」
確かに、冷房が効いていないためか、店の中はむあっとした熱気に包まれており、目の前の春原も額に汗を浮かべ、Tシャツの首元には大きなシミが出来ていた。
「そろそろ僕も交代できるらしいから、もう少し外で待っててくれない? 一緒に帰ろうぜ」
手際よく商品の代金を計算しながら春原はそう言ってきた。特に断る理由もなかったので「いいよ」と岡崎も返した。
店を出ると、夕陽も山に隠れ始め、風はひんやりとした冷気をともなっていた。夏真っ盛りの時期や冬のときに停電にならなかったのは不幸中の幸いだったかもしれない。
春原はそれからニ十分後、六時前くらいに店の裏から姿を現した。手には岡崎と同じく、カップ麺の入った袋をぶら下げている。
「うわ、外だいぶ暗いね」
「街灯も付いてないからな。けど、もう一部の世帯は電気が復旧し始めてるらしいぞ」
岡崎の言った通り、その後二人は歩いていると街灯が灯っている場所に出た。けっこう大きな通りということもあってか、信号や一部の店の電気も点いているようだった。
そして、そこで見つけた一件の店が、二人の視線に止まった。
「みろよ、パチンコ店開いてんぞ!」
「うぉ、マジだ」
春原が興奮したような口調で指さした先には、確かに煌々と輝くパチンコ店が鎮座していた。店に貼られていた紙を見る限り、本当に数十分前に開店したようだった。
「岡崎。ちょっと打っていかない?」
「おい、いくらなんでもそれは……」
「いいじゃんいいじゃん。お前だって、今日は朝から仕事だったんだろ? 明日もどうせ忙しいだろうし、少しくらい息抜きしてもバチは当たらないって」
春原の言葉で今日の仕事で言われたクレームが脳裏を掠める。確かに、余震の恐れがあることから酒などは飲むことが出来ないが、パチンコなら少しくらいやっても問題ないだろう。確かに岡崎も、仕事のストレスと慣れない災害対策のせいで息抜きを欲していたことは事実だった。
「……分かった。じゃあちょっとだけな」
結局岡崎は春原に従う形で首を縦に振った。
そしてそれが翌日、まさかあんな結果を生むとはそのとき想像もできなかった。
携帯の無機質な着信音で目が醒める。
岡崎は、手探りで携帯を掴むと、着信の相手を見て訝しむ。相手は春原からだった。
「もしもし」
『あ、岡崎! お前、ネットみたか!?』
「え……みてないけど」
『今すぐSNS見てみろ! 俺たちが映った動画が公開されてる!
岡崎は一瞬で冷や水を浴びせられたかのように眠気が吹っ飛んだ。
岡崎は普段使っているTwitterを起動させ、最新のツイートから何度か下にスクロールさせる。春原の言っているその動画は、案外すぐに見つかった。当然だ。動画の下には、凄まじい数のリツイートとお気に入りが数字として岡崎の目に飛び込んできた。
「なんだよ……これ」
動画はパチンコ店の店内を撮影したものらしかった。そのツイートには、『停電して困ってる人がいるっていうのに普通に営業してるとか頭おかしい。パチンコ店に真っ先に電力供給する電力会社も、そこに来る客も頭いかれてる』という文面が。そして、十数秒のその動画の中に、岡崎と春原らしい背中も映っていた。
『取り消すようすぐ言ったんだけど、向こうは「顔映してないから消す義務はない」の一点張りで、そしたら段々、他の関係ない奴らも会話に入ってくるになって……もう訳わかんねぇ!』
春原の言う通り、ツイートの下には、春原と思われるアカウントから、動画を削除するよう求める返信があった。
春原の言葉は丁寧だったし、失礼な点はないように思われたが、ツイートの主の方は、煽るような口調で逆に春原を中傷するような書き方だった。いわく、「法律には抵触していない」、「そもそも、こんな大変なときにパチンコをしている方が悪い」といった主張が主で、春原はそれに対して「息抜きで少しやっただけ」、「そもそも、働いているのだから自分の金を使って娯楽をするのは自由だ」と言った言葉が並べられていた。
特に、「娯楽をするのは自由」という春原のツイートの後から、急激に炎上していったようだ。「電力不足で風呂にも入れない人がいるというのに、パチンコをするのは常識的におかしい」、「いや、おかしいのは開店したパチンコ店であって、客は悪くない」、「そもそも、パチンコ店に先に電力を送る電力会社が悪い」など、話題はどんどん拡大、拡張されていき、もう収拾など出来ない混沌とした状態になっていた。
『俺たちだって被災者だ! お前も僕も、朝から停電になった人たちの為に汗水流して働いて、その帰りにちょっとだけ遊んだだけだぜ? なのに、どうしてこんなに叩かれなきゃいけないんだよ!』
春原の言葉には、やり場のない怒りが込められていた。ここまで拡散してしまっては、既に大本の動画を削除しても、効果は薄いということを分かっているからだろう。後ろ姿だけとはいえ、もしかしたら仕事先の人達も、自分たちのことに気づくかもしれない……。岡崎は、急に外に出ることが恐ろしくなってきた。
『そもそもツイート主も、こんなときにパチンコ店撮影しにいくんだから大概だよね』
『パチンコ店も、そこにいる客も信じられない! 彼らにはモラルが無いのでしょうか』
『電気の供給は地域ごとに行われるから、パチンコ店だけ電気を送らないとか無理。パチンコ店は大概ですが、電力会社に罪はないと思います』
『パチンコ店も商売である以上、このような状況下でも商売をする権利はあると思います。ツイート主さんは、印象操作しているようにしか思えません』
動画の下に未だ書き込まれ続けている返信内容を、岡崎は他人事のように眺める。
なぜ、被災者であるはずの彼らは、未だ震災の影響が続くこのような状況下で、このような論争を繰り広げているのだろうか。
自分たちにだって理由はあったが、ツイート主の主張だって分からないわけではない。だが、ただパチンコ店が営業しているのがおかしいと思いやめさせたかったのなら、他に方法はあったはずだ。なぜ、このタイミングで自分たちは、このような目に遭わなければならないのだろう。
『岡崎っ、僕は警察に行くよ。これは絶対におかしい、犯罪だ!』
スピーカーから春原の怒りに満ちた声が聞こえる。
全てが、何かの夢ように思えてきた。そうだ、これは悪夢だ。きっと悪い夢を見ているに違いない。
岡崎は電話を切ると、ベッドの上に寝転がった。
件のツイートの最新の返信にある、自分と春原の個人情報が書き込まれたツイートが映る画面を消すと、彼は再び微睡の中へと落ちて行った。
自分の心の中の整理を兼ねて書きました。
何か御意見などありましたら感想欄に書いていただければと思います。




