三話。(人間社会の)世を捨てる
窓の少ない薄暗い廊下を歩き、とある部屋の扉を開く。そこには、両手両足に鎖の拘束を掛けられたサンドラがいた。張り付かれるように壁際へもたれている。
扉が開く音が鳴り、じっと目を閉じていた彼女が覚める。彼女は俺を睨むや否や、悪態をつく。
「ハチの化け物……こっち来んな! キモい!」
「ハチをキモいと言うか」
瞬間、サンドラは驚愕の表情に包まれる。
無理もない。己の眼前に立つ異形から、知っている人の声が出されれば。俺だって驚く自信がある。
「その声……どういう事!?」
百聞は一見に如かず。口でどうこう言うよりも、実際に見せた方が早い。
なので、俺の全身にびっしりと覆い被さっては融合している無数のコハクバチの一部--顔を露にさせる。もぞもぞと間近にコハクバチが動き、兜状に形成された被り物が解かれる。
「アズマ……あなた……!」
「久しぶり。再会なんて微塵も望んでないあんたの心中は察する」
「魔王の手先に堕ちたのね、この軟弱者! クズ! 最低!蜂蜜ジョン!」
ひとまず、サンドラの罵詈雑言は限りなくスルーする。
事の発端は、勇者パーティーが旅の途中で魔王軍に奇襲された事から始まる。なんやかんやで奇襲は成功し、オズワルドたちは囚われの身になった。
俺? 俺の事はどうでもいいよ。ゴーレム操作の魔法が、カーラと出会ったあの日を境に昇華しただけだ。
顔を再びコハクバチで覆わせる。形成されるモチーフはハチの頭部。顎や二本の触角は俺の意思で自由自在に動かせる。健気にもコハクバチが応えてくれるのだ。
「蜂蜜ジョン……良い名前だ……」
「はあっ!? 頭沸いてんの!? それよりも他の皆は!?」
一人で蜂蜜ジョンの名前に感動していれば、サンドラが叫ぶ。もっともな選択だ。
「知りたいなら教えてやるさ。ちょっと待ってろ」
そう言った俺は、一匹のコハクバチを宙に飛ばす。俺たちの横側に向かったコハクバチは滞空を始め、双眼を発光させながら壁に映像を映す。そこには、何とも奇妙なやり取りが繰り広げられていた。
『あぁ~、ミノの中あったかいんじゃ~』
『おじいさんや、お昼にしましょうよ』
顔だけを出し、ミノムシのようになっているオズワルド。そこに一人の少女--これもまたミノムシ状態--がパンの入ったバスケットを持ってくれば、二人でモグモグゆっくりと食べていく。まさしくほんわかな雰囲気に包まれていた。まだ若いのに、すっかり老人気分である。
俺は視線を彼らから外し、次にサンドラの方を見る。案の定、流れてくる映像に目を疑っていた。物凄く強張った表情で。
「う、うそよ……オズワルドがそんな……」
先程のやり取りはサンドラにとっては許容範囲外だった。今にも言葉を失いそうな勢いだ。僅かに首を横に何度も振り、じっと映像を凝視する。
これは傍目で見て少し痛々しいな。真実を教えてやるべきか。
「安心しろ。オズワルドのあれは勇者としての責任感・重圧感から解放された反動だ。俺も彼とは既に和解している」
「っ、どの口が言ってるのよ! あなたのコハクバチがどういう使い方ができるかは知ってる。だからこの映像は恐らく本物。でも、オズワルドがこんな事するはずがない! 私の知ってる彼はもっとかっこよくて、凛々しく--」
『さて、畑の様子を見てくるかの。よっこらせ』
「やめてぇ!! 私の中の彼が砕けるからやめてぇ!! やめさせてぇ!!」
自分を落ち着かせるように喋っていたサンドラは、オズワルドのすっかり変わった姿を前にとうとう悲痛な声を上げる。
サンドラも信じたい彼がいたのだろう。しかし現実は非情だ。この映像にある通り、彼女の瞳に映るもの全てが間違いようのない真実。俺もこれっぽっちの嘘はついておらず、真実を勘違いさせている訳ではない。ちなみに、あのミノムシ少女は新しく勇者パーティーに参加した子だ。
ちょっとサンドラが可哀想なので映像は一旦切る。すると彼女はぐったりと項垂れ、静かになった。
心痛ませるような真似をしてすまない。だが、これには理由がしっかりある。あくまで私情の域を越えていないが。
「ニルダが言ってた。オズワルドと二人になるのに、俺がいるのは余計で邪魔だってさ。だから事前の話し合いもなく急に俺をパーティーから追い出そうとした。痴情のもつれでトンだとばっちりだ」
俺がそう語り出すものの、サンドラは項垂れたまま。とても話を聞く姿勢とは思えない。
でも構わない。サンドラの元へ訪れる前に、ニルダから大体の事を聞き出せたから。事実確認は結構だ。
それは一緒に旅をしていれば十分に推し測れたので今さらだが、俺をパーティー追放するための理由付け・本心としてはあるまじき不当性だった。何のために魔王討伐を目指しているのか、どうしてパーティーを編成しているのかがわからなくなる。その点では、辛辣でもオズワルドは合理的に判断してくれてたからマシだった。
「別にこうして捕らえてるのは殺そうと思ってるからじゃない。殺すつもりはない。だけど相応にはムカついてる。どうせお前もニルダと同じ口だろ? 惚れた晴れたで仲間が邪魔になるなら、そんな勇者パーティーはない方がいい」
そこまで言い切ると、サンドラは重たくなった頭を上げていく。顔色は鬱屈としており、口を小さく開いた。
「……私に乱暴でもするの? ニルダのように」
「まぁな」
さすがにある程度の察しはついている模様だ。悪には屈しないという感じが伝わってくる。
手短に返事をした俺は、コハクバチに指示して新たな映像を流し始める。その内容は、どこか覚悟を決めているサンドラを動揺させるのに十分すぎた。
『んほおぉぉぉ!! コオロギの野菜炒め美味しいのぉぉぉ!!』
周囲を憚る事なく喘ぐニルダ。彼女の前にあるテーブルには、コオロギの野菜炒めが一皿置かれていた。
「これは……?」
そっとサンドラが尋ねてくる。そう言われてもあまり説明しようがないが、俺はニルダの食事風景にある種の感動を覚えつつも応答を果たす。
「虫料理を食べてる。なんて幸せそうな顔をしてるんだ……」
「思ってたのと違うんだけど!? 食事で喘ぎ声って何なの!?」
「ベストマッチしちまったんだ、ニルダの舌と虫料理が。元々は嫌がら--虫料理の素晴らしさを伝えたくてな。ほら、ニルダって虫嫌いだし、剣士としてソレはどうかなって。苦手を克服すれば、彼女はまだまだ強くなれる」
「いや、ただの嫌がらせにしかなってないんだけど。てかどうしてこうなった!? この展開は普通、男の欲望をぶつけるパターンでしょ!」
まさかのサンドラの口から出た言葉に、俺は一瞬固まる。いやはや、いくらなんでも最後のは不意打ちすぎる。
「その乾ききった目は何!?」
加えて、兜越しにも関わらず俺の今の気持ちを半ば当てられる。外見はハチの複眼そのものなのだが、わかる人にはわかるのだろうか。
それはさておき、妄想が過ぎたサンドラに辟易した俺は、腰にさりげなく下げていた小箱を手にする。パカッと蓋を開ければ、そこには丸々と肥えた幼虫がたくさん詰められていた。その中から一匹を摘まみ、兜越しに食えるように一対の顎を器用に動かす。
「ありえねぇな、ピンクな展開は。俺への精神的苦痛が凄まじすぎる。そんなの……悲しいだけだぜ? あ、この真っ白な幼虫食べる? クリーミーでシチューみたいにまろやかだぞ」
「腹立つ……! なんか私に魅力がないみたいで腹立つ……! あっ、ダメ。そのイモムシ近づけないで。これみよがしに美味しそうに食べても無意味だから!」
『んほおおぉぉぉ♡ おかわりぃぃぃぃ♡♡♡』
早速一匹食べ終えて、次にサンドラへ幼虫の咀嚼を試みる。嫌々と顔を必死に背ける彼女だが、両手両足は拘束されているために逃げられない。また、拘束具には魔法封じがされているので、同時に彼女の十八番は塞がれている。格闘は人並外れていても、強引に鎖を引きちぎるだけの怪力がなければ無意味だった。
「やめて! やめっ……あっ……ま、魔法さえ使えればぁぁーっ!?」
この後、サンドラは幼虫の美味しさにやられて気絶した。