二話。蜜蜂
私とアズマが初めて会ったのは、彼がまだ子どもの頃。
ある日、迷子になった挙げ句に飛び疲れた私は、こっそりと彼の家に忍ばせてもらった。身体が小さいだけあって、じっと隠れていれば見つかる事も退治される事もなかった。
たっぷりと休息を取った後はもちろん家の出口へと向かった。しかし、明るいところを目指せば出られるとしか考えていなかった私は、すっかり家の中をさまよう羽目になった。どこの光を目指せども、透明な壁に遮られるばかり。外はこんなにも近いのに。
その時だった。アズマに見つかったのは。刹那、死さえも覚悟していた私だったが、あろう事か彼に恐れられる事もなく、むしろ優しく出口まで案内してもらえた。この瞬間まで誰にも優しくされた事のなかった私には、とてつもない衝撃だった。
不思議な感覚。胸の中がポカポカし、アズマの事が深く印象に残る。何故かアズマの事が心残りになってしまった私は気付けば、何度も彼の家を訪れていた。雨の日も、風の日も。
何度も出会いを果たすようになれば、もはや顔馴染みになるのも時間の問題。アズマとはとうとう仲良く行動を共にするぐらいにまで進展し、その頃になると彼の作った綺麗な花壇がお気に入りの場所となった。花から漂う甘い匂いがとても好きだった。
だが、私を失意の底に落とす出来事がふとやって来る。彼が十歳を過ぎた頃、まだ巣作りの最中であったコハクバチの女王がアズマに擦り寄り、そのままゴーレム化してしまったのだ。
この事件のあらましはあっという間に街中に伝わり、神童だのなんだのと彼は持て囃された。当然、まだ少年だった彼は有頂天となり、これをきっかけにゴーレムの操作魔法の勉強に熱中する事となる。また、コハクバチを手にした日から私を見てくれる機会が極端に減ってしまう。
来る日も来る日も、アズマはコハクバチの使役を練習するばかり。どんなに私が側にいても、練習の邪魔だと追い払われる。
一緒にいる月日は私の方が長いのに、キラキラと輝いている宝石虫のどこがいいんだか。確かにコハクバチは魔法が撃てて、それなりに強い。モフモフが取り柄の私とは段違いだ。
ゴーレムとしてすっかり機能している彼女たちの表情を見ていると、まるで私を冷たく笑っているようにしか思えなかった。
(酷いよアズマ! お願い、私を見て! 一人にしないで!)
悔しさのあまりに私は叫ぼうとするが、残念ながら声帯は持っていない。おまけにアズマが私を見てくれなければ、どんなに手振り羽振りで意志疎通しようとも伝わない。無意味に終わる。
そうして絶望にうちひしがれた私は、トボトボと自分の住処に戻っていく。対抗策がなければ、ひたすらコハクバチがアズマとキャッキャウフフしている様子を眺めるだけになる。そんなのは苦痛以外の何者でもない。
しかし、その帰り道で私は一匹のスズメバチと遭遇してしまった。獰猛で凶悪な相手に私は逃げる間もなくやられ、地面に伏す。
(あ……)
死を覚悟した時に脳裏に浮かんだのは、アズマとの思い出。そして最後にコハクバチの姿だった。
すると、私の中で真っ黒な何かがドロドロと蠢き始める。次第にコハクバチに対して激しい嫉妬心を抱き、このまま死んで堪るかとさえ思った。もう終わりだと悟っているにも関わらず、生きる事が諦められない。アズマの隣にいたい。あの泥棒猫の群れが許せなかった。
(ヤダ……私はアズマと一緒がいいんだ。許さない。横からアズマをかっさらっていったアイツラを許さない!!)
彼の事をよく知ってるのは私。アイツラじゃない。
彼の隣にいるのは私。アイツラじゃない。
彼には私がいれば十分。アイツラはいらない。
「……それがお前の願いか。見た目にそぐわないドロドロさだな」
瞬間、知らない人の声が聞こえてきた。残った力を振り絞って顔を上げてみると、そこには深くフードを被ったローブの男がいた。右手から何かを落としたかと思えば、それは私を襲ったスズメバチの死骸だった。
「もっと強く願え。さすれば力がお前の身に宿るだろう」
少し意味がわからなかったが、私はローブの男の言う通りにしてみる。すると彼がかざした手のひらが輝き始めて、光が私の身体に降り注がれる。光を浴びる時間と比例して力がみなぎり、スズメバチにやられた傷もすっかりなくなる。
気が付けば、クマバチだった私は人間とほぼ同じ姿になっていた。いや、厳密には魔物娘らしい。クマバチの面影が強く残った本当の姿と、世に忍ぶための偽りの姿の二つを取れるようになった。
けれど、その変化を安定させるのにかなりの時間を要した。このままではアズマとちゃんと会えないので頑張ったが、要領が悪いのか五年以上の月日が経ってしまった。人間の生活や一般知識を学ぶのに手間暇が掛かりすぎた。
そのため、アズマと会いに街へ出た頃には、彼が参加している勇者パーティーと完全に食い違ってしまった。大慌てでアズマの後を追い掛けるも、他のパーティーメンバーが邪魔で接触の機会が見出だせず、手を子招くばかり。常に集団行動をしているおかげで、大人しく尾行するしかなかった。長い長い旅路を。魔物娘の姿で空を飛べなければ、彼らの乗る馬車を追うのは大変だったと思う。
それからしばらくして。この五年間で魔法や他の勉強もしていた私は、この勇者パーティーに付け入る隙をようやく見つけた。すなわち、恋情である。
あの女剣士と女魔法使いは揃いも揃って、リーダーである勇者に惚れていた。アズマに惚れていないのは幸いだが、逆にそれが原因で少しずつパーティー内の空気が変化。遠目からわかるぐらいにアズマは居心地が悪そうにしていた。女たち二人組も互いを恋敵だと牽制しながら、僅かでもアズマを鬱陶しく感じていた。あちらも勇者となかなか二人になれていないから。
わかるよ、そのもどかしい気持ち。だから私は、彼女たちが正直になれるような魔法をそっと掛けてあげた。結果は知っての通りだ。
ごめんね、アズマ。必要な事でも嫌な思いをさせちゃって。大丈夫。傷付いた分だけ、私が愛してあげるから。