フラガルハの聖剣
【1】
フラガルハ・オーディアナ(改星暦《N.W.》四五~没年不明)
.
空から落ちてきた巨大質量が大地を震わせた。
舞い上がった土埃が風に流され、ようやくその中心に何が落ちてきたのかを村人たちは知ることとなった。
竜。飛行能力を有した爬虫類の特種。
飛翔の力学など無視するかのような強大な体躯。それを支える屈強な筋肉に加え、生物の範疇を超えて進化した鱗は鋼すら凌ぐ強固な鎧と化していた。
空に陸に海に。存在自体が支配の象徴として現存する最強の生物である。
.
ここ暫くの間、いくつかの村や町に被害が出ていた。
鱗に刻まれた法呪から放たれる魔弾を機銃掃射のようにまき散らすという、さながらかつての航空戦闘機を思わせることから〈魔弾竜〉。もはやただの一個の生物としてはありえない脅威はその名で呼ばれていた。
来歴も所属も定かでなく、種族登録もされていない単種の空飛ぶ生物は遂には討伐対象として民間の狩猟組織に定められるが、〈魔弾竜〉はその尽くを退けていた。地上よりはるか高みを自在に飛翔する生物である。名うての戦士や魔術師といえど到底勝ち目がなかった。
遂には駐留軍へ討伐を要請するという運びを見せたが、どういう理屈か政治的意図か、その編成発令は遅々として進まず、結果さらに被害を広めることとなっていた。
.
〈魔弾竜〉とはどこかの国が作り出した生物兵器では。
そんな噂さえ立ち始めていたその頃。近くで竜が目撃されたある村にひとりの戦士が現れた。
放浪の戦士はフラガルハと名乗り、言った。――一人で挑む、と。
誰もが止めた。すでに何人もの手練れがあの竜に挑み、そして敗れていると。だが一振りの剣のみを携え、任せておけと戦士は言い切った。
そして彼はそれを成したのだ。
竜殺し。
戦場となった村から逃れ、森の中に潜んでいた者たちから喝采が挙がった。
もとより周辺を荒らしまわり、人々に恐怖を振り撒き積もった業は深く。仇敵悪鬼の竜討伐という悲願をかなえた戦士には感激の念を抱くしかないだろう。
その身の鎧は放たれた魔弾を浴び、いくつもの孔が穿たれていた。にもかかわらず、その足取りは負傷を感じさせるものではなかった。
喝采を浴びながら、フラガルハは竜の腹を貫いていた剣を引き抜いた。
竜を討ち取る一撃となった剣。人が扱うにしては長く巨大な剣。それでもこの竜の巨体と比べればあまりにも細く、脆く頼りないものに見えた。だが強固な鱗に守られた竜を貫きながらも、その刃は僅かな歪みすら生じることなく白銀は夕日を弾いていた。
「これは聖剣だ。戦神より人々を護る為に授かったのだ」
竜の血を熟練の捌きで払い落としながら彼はそう言った。
魔術で作られたものだったのか、鎧が光となって消えた。村人たちが最初に見た旅人へとその姿を戻していた。
歴戦の兵であることはその男の鍛えた体に宿る傷が証明している。しかしその男が命を預ける剣には、戦いの年月を感じさせるような跡は残ってはいなかった。曲がらず、反れず錬鉄に打たれたままの、新しき輝きを放っていた。
無論ただ剣に振らされているだけの木偶であるはずもない。この男あってのこの剣。
それが人間が行う竜殺し。まるでかつての勇者のように。
駆け寄ってきた村の長は、彼に最大限の賛辞と望む限りの報酬を送ると誓いを立てた。
すでにこの村も竜に荒らされ、損害は計り知れない。それはだれもが知っている。
この竜を討ち取った地も、村の祭事を行うために拓かれた場所であることをフラガルハは知っていた。それが今では見る影もなく、焼き失せた木々の荒野と化していた。
だから彼はこう答えた。
「礼金は不要だ。あの竜の賞金も復興にくれてやる。ただ今日は疲れた。どこかに一晩静養できる場と酒でも用意してくれればいい。明日また旅立つ」
事実彼は、次の日に再び訪ねた村長と、竜の討伐を聞きつけた近隣の役人が宿営地に現れた時にはすでに姿を消していた。
そして、結果だけが残った。
剣を手に。人々の窮地を救った戦士の名。
フラガルハ・オーディアナ
彼は伝説となった。
2020/09/08【修正】誤字修正。原稿用紙設定変更。
2017/06/17【投稿】当時は投稿ログを残していなかったのでログ追加。