交差と乖離(1)
【3】
会議は踊る。
「ではではでは――」
「次に次に次に――」
その場に集うのは利己を隠す仮面の踊り手たち。
上司の為。部下の為。組織の為。社会の為。
鋭い変調を混ぜた複雑怪奇な組曲によって、足を絡めた者はどんどん場外へと押しやられていった。
そして最後まで踊り続ける者は、その顔を隠すものをはぎ取り、個人という最大の利益を得るのだ。
つまり。
利益は独占、そして難解な役割には代替の生贄を。
鉄則は水面下に在る。皮肉なことに、これに対してはすべての意思は統一されている。
「――では、次に」
最良の解を出すためのダンスはパートナーを変えながら、くるくると回り続けていた。
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「これ想定されるファン・ドゥ・リッジはどれぐらいなんでしょ」
「統括値・煤のリードリッジ算法では千から五万の幅があるな」
「ていうことは多分、四から六CLMSの内訳で妥当といえるでしょうな」
会議とは戦略である。
戦術という具体的な行動を開始する以前に、限りなく勝利条件に基づくシナリオを描かなければならない。それが出来なければ戦術というコストの支払いが重くのしかかってしまう。
戦う。戦え。
誰かの死を喜劇として、金を塵屑へ塗り替えながら世の中はそうして回ってきた。
これからも。多分、この先も。
世の中には金で買えないものもある。だが金で買えるものの方がはるかに多い、というのが現実。
例えば経済という科目を、愛という出所不明の対価で相殺することが出来ればそれは変わるのかもしれないが、それは永遠にやってこない。――誰も信じてすらいない。定義した時点でそれは夢見るそれであり、無いからこそあると願っているだけである。
「うわあ、おっかない。できれば話し合いで解決したいものですね」
彼は朗らかな声で心にもない嘘を吐いた。その口は笑っていて、目は死んでいた。
「四から六か。割と辛辣な〝寄せた〟計算ですね。じゃあ戦術加担は七半と四イラルでよろしいですね」
「待て待て、八は欲しいな。いや、せめて九は欲しい。それでギリだ」
「はっはっは。御冗談を。ではエルトワ叙述理論滅却値にもお願いします」
どこの国にも適用されない単位で何かが決まっていく。
まるで来週の天気の話をするかのように。
どこか遥か遠くの星の惨状を話すかのように。
彼らが握る赤いペンは無感情に線を入れていく。否定の斜線が書きこまれるごとに赤く濁る情報は、人の病の転移をつなげているかのようだった。
最後の斜線が入った。
踏みとどまるような一画は鮮血のように滲みを帯び、吐血のように赤を弾いた。
これで細やかな調整は終わった。統一に連なる意思はその結論を告げた。
「使途召喚」
そして紡がれる静かな斉唱。
――破砕の雨。
――灰の繭。
――赤き夕暮れ。
――そして原初済生。
――雨とシナプス。
――赤のマーク七。
……、……、……。
彼らの潜む世界が暗転した。
間もなく出席者の一人に向け光が集った。
暗闇の室内にただ一筋、照らし出される彼を誰も見てはいなかった。
選ばれた代表。彼が果たして生贄なのか、勝利者なのか、それは誰も知らない。
生誕を為す言葉が迫った。
「では、行ってくれるかね」
誰が発した声かは定かではない。だがその言葉は意思である。末端の使いである彼らは手足となり、その契約を果たす。
「謹んで」
だからこれは意思ではない。すでに決定しているという意志だ。
そして必要なのは異論ではない。無意味な会議をするほど無能ではないのだ。
彼の役目はすでに結果の決まった事柄に対しての観測と後始末を行うに過ぎない。そこにリスクはない。結論が出た時点でこの計画は成功している。
故に。その返答の意思は問いよりも先に決まっていた。
「――我らの〈ダンルフェルゴ〉に代わり、その先の標を」
組織の根幹、祖の名を呼ぶ。続く唱和があとを響かせた。
「……それで出張届はいつまでに出せばいいんですか?」
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◆
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成功は用意されていた。だから始まることを見届け、その流れが行き着く終わりを待てばよかった。無論、こういう仕事の常として競合他社と現地の反発は織り込み済みだが、それは問題に値するものではなかった。
関与せず、悟られることなく、手を下すことなく流れというものを支配するために打ち立てられた企ては、神の裁定に等しい。
たとえその場に世界を崩壊させるきっかけを持つものが立ちはだかったとしても。
「ははは、しくじっちゃいましたね」
新型と旧型との競り合いは、文字通りに負けるはずの無い物だった。
「まさか……まさか相打ちとは」
引き分け。負けてはいない。だが勝てなかったのだ。
思い返しても敗因はつかめない。驕り。油断。完璧という存在のみが持ち得る欠点。精神の隙間から入り込んだノイズ。そういった要素が運命に傾きを加えたのだろうか。いや、やはりそれに該当はない。選んだ道筋に間違いはなかったはずだ。
完璧という存在であっても悩む。それはある意味人間のように。
外ではまるで潮が引くように、すべての光が収束するように消えていく。映り変わっていく。
音が消え。色が消え、人も、物も、記憶も、何もかも。
いや。ただ一つの音がいまだ消えていなかった。
遠い響きは声の奏。彼は掠れ行く瓦礫の中でその声を聞いていた。
途絶えることのない声の連なり。呼吸と拍が創りだす音階。これは歌か。
いや違う。これはただの歌ではない。
「これが魔法か……」
聞こえてくる何処かに向けるように、残った手を伸ばした。
それを向けたのは得難き何かではない。すべては持っていた。
戦術も。戦略も。それを使い果たせるためのすべてを備えていた。
完全という、絶対なる完璧を目指し、描かれた形。
そうであった、はずなのに。
弱きものが願ったもの。完璧ではないが故に手にしたもの。歪な正体を隠して備えた愚者の夢。
ただその力だけは持ちえなかった。
2020/08/08【修正】誤字修正。
2017/06/11【投稿】当時は投稿ログを残していなかったので追加。