仮面少女の異世界騎士円舞曲 ~最強騎士団と新米姫騎士の無双伝~
【1】
――そして月下。
遮る物のない静かなる孤高の楼閣。
雑音無き静寂に隠された欲望の牙。混沌の怪物はそこに。
流る雲が淡き光を封じ、宵闇のベールとして空を覆った。
刹那、白日に隠されていた憎悪は呼び覚まされた。
「フーフー……。ふはっ、はっはは――!」
荒い息をつく。爛々と猛る目が墜ちた獲物を見つめていた。
暗く低い嘲笑と共に、足元に溜まる赤い水をばしゃりと散らした。
生誕したケダモノは肩を震わせ、驕った笑みを浮かべた。
運ばれてくる風の中に、強い異臭が混じり始めていた。
「――お、俺を……に、し……しやがって……! へっ、ざまあ、みろ……!」
黒き空の下、漏れ出し揺蕩う命の旗。隠しようのないその臭いは狼煙となる。
否。呼ばれ出るのではない。
禁断の領域より、それは〝淵より来たるもの〟
薄膜に包まれた始まりと終わりの赤い水。
傷つかないように。傷つけぬように。
定めの誓いによって個を成し、器として意味を持つ。
ならば課せられた戒めを破るという因果。
即ち自身をケダモノとして再定義し、相応しき標へと差し出すことと同意。
それは彼らの待つ終着の地へと。
連綿と続く古き沼は、拒むことなく新しきモノを受け入れるだろう。
帰路への渡しはすでにない。
回帰に繋ぐ細き糸は、その手に握るくすんだ銀の光で断ち切っていた。
そうして顧みることなく首まで侵され、気付くのだ。
二度と這い上がれぬことに。
――がしゃん。
「……?」
遠き彼方より響いた小さな音。
廻る錠。閉じた門。落ちた撃鉄。止まった運命の歯車。
それは途絶。切り替わったのは世界だ。
異界という、写された場所へ。
あの場所とこの場所に違いはなく、赤い臭いの景色は相似していた。
故に犯した罪に差異はなく、つまりは運命の分岐は確かに果たされた。
因果は巡る。回る。周る。
太陽は灰と化し、月は嗤う髑髏。
二本の足で立つ野蛮なケダモノ。踏みにじるその足元より怪奇が湧き上がる。
「なん、だ……! ここは――っ……なんだ、これは――!!」
炙り出たのは咎の幻影なのか。
歪な笑みは凍り付き、困惑という蝋が顔を歪ませた。
太陽に見放された世界に、揺らぐ陽炎のように影が昇った。
地から天へと落ちる。あざ笑うかのように主を差し置き、睥睨を下す。
それは何もない虚空の孔。ただ暗く。闇く。
世界を喰らい取った黒き太陽として収束した。
そして投影された虚無は闇の事象を反転させる。
傾く天秤。ケダモノを対義する鏡の支点。描き出されるのは、罪深き者を赦すもの。
無から有へ。陰から影へ。描かれた輪郭に色彩と質量が滲み出し、這い上がるかのように冷たく硬い石畳へとそれは爪を伸ばした。
――かつてのヒトは火を支配し、自然の掟からの解放を得た。だが再び三角の階層のくびきが築かれ、命の前に立ち塞がる。
「ひ……ひっ――!?」
突如として現れた質量は山の如く。
仰ぎ見よ。それは人が踏破すべき新たなる運命の理。
〈罪悪の獣〉デヴォ・ギルト。
ただ純粋に命を糧に、殺戮を性とする災厄という悪夢。
獣であり獣ではない。世界に存在しない悪魔であり、全ての罪を赦す神。
.
「■■■――」
絶対的な恐怖を呼び覚ます獰猛な呼気。炎とともに轟く嘶きは腹に詰める贄を求めていた。
軋みのように牙を震わせ、零れ落ちた唾液が焦げ付く白煙をあげていた。
人の数倍ある体躯は、鬣と尾を持つ巨大な四足の獣。
容易く人など圧死できるほどの四肢、そして闇の毛皮は禍々しく黒煙が揺らぐ。
「み……見るな……。く、来るな――っ!?」
反抗の刃を構えながらも、無意識に血だまりから退いていた。虚勢を張り、贄を置き去ることで許しを請うように。
薄く乾いた飛沫は生臭い匂いを点々と散らしていく。
だが〈獣〉の目はその動きに惑う事は無かった。
狩るモノと狩られた者。
禍々しく光るその瞳は、すでに転がる死肉なぞに興を持たぬ。
ならば獲物と捉えるものは。
目が。牙が。爪が。確定した殺意の矛先を示していた。
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人が持つ技。術。そして数という力の概念が及ばぬもの。それはすべてのヒトの天敵となるもの。
死の刻限そのものであるかのように〈罪悪の獣〉は人を狩る。
その定めの下、ただのケダモノごときが終末の〈獣〉に勝る謂れは無い。
余地なく、容赦なく、嗜虐の本能のままに暗き虚ろへと飲み込まれるだろう。
狩りとも呼べぬ、儚き蝋燭を吹き消すような戯れ。
そう決められている。そう終わる――はず、だった。
「■■――!」
伸ばした爪を遮ったのは突如として出現した光の檻。
空間に敷かれた輝きは監獄の鉄格子として、次元の侵入者を縛り付けた。
ヒトと〈獣〉。両者の相関は絶対として刻まれていた。
顕現を果たした死の理を阻むのは人の術の範疇ではない。
魔術という奇跡の力をもったとしても、秩序となった結果が覆る事は無いはずだった。
だが。その不可能という規律を斬り裂く、刃となる存在がいるのだ。
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――猛き意思が輝ける武器をその手に、跋扈する悪鬼を討ち払う。
聖戦は其処に。聖剣の騎士が其処に――
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何の気負いもなく、ゆるりとした足取りで新たな影が現れた。
闇を拒む純白の纏いと、心を写さぬ清廉無我の面。
純なる装束は血だまりの中心にある伏した屍の前で立ち止まった。
淡い銀の光。白き衣。赤い水。暗き死。
――そこが相応しき戦場。
抜剣。
暗闇の世界に生まれた無垢の燐光。
血と闇の中にあってなお、優雅を魅せる剣の身。
絢爛なる刃。麗しき華であり戦い殺すための鋼。
眩さは虚飾に非ず。其の光こそが正しき道。王道たる正義。
戦いという愚者の集いにおいて、正統を掲げる象徴の標。
利でも忠でもなく、ただ正義と呼ばれる理想によって紡がれた信念と妄執の旗。
刃の名は――聖剣。
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罪を象徴する粘つく臭気の中。担うべき剣士が立つ。
血を流した者の絶望と後悔。
犯したものへの怨嗟。
不運を与えた運命への悲嘆。
それらを含んだ赤き血には強い思いが宿る。それこそ生きている――生きていた証。
地を向く光の切っ先が鮮血を分けた。
わずかな接点を爪弾く無垢なる刃。吸い込まれた赤い色彩が溶けるように光と混じった。
剣が変わる。色を吸い込んだ純白の紙を方々に散り、紋を描くように。
神が創った完璧なる奇跡に、あえて不浄を取り込むことでその力は目覚める。
呼応する。世界に広がる魔力という大気が震えた。
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それこそが――!!
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想いは鎮まる。ただどす黒く変色した中に光の波紋が謡い、いくつもの同心の円を弾く。
小さな水面のゆらぎは天へと渦巻き、光の柱となった。
水から浮かび上がる翡翠の燐光に戦士が重なり、光は炎へ。
はためくような緩やかな衣を紅蓮が焼き固め、その身を包む纏いに堅牢無比の力を与える。 握られた長大な一振りは研ぎ澄まされた太陽の結晶。
掲げる騎士の姿は、不死の伝説と共にある、業火を翼とする猛き銀竜の鎧鱗を纏いて。
二つが混じる臨界の継ぎ目からは、絶大な魔力を示すように紫電が散っていた。
悪魔を討ち倒すべく賜った、神秘の剣と人の限界を示す鎧。
剣と鎧。それこそ戦場で人が命を懸け、願いを果たすために立つ、あるべき姿。
故に儚き夜は護られる。人々の灯火は消えることなく朝へと繋がる。
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戦場に猛き騎士ありと。
銀の鎧が月の光を浴びて雅なる白銀と輝く。
空は空ではなく。地は地ではなく。そして町は町ではない。
そして月の下に、星二つ――
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解き放たれた破邪の剣。ただそれだけでこの黒き世界に亀裂が走った。
やがてそれは天より降り注がれる静かな雫となる。
雨ではない。この滴りは全てが断界の破片。
凍雨のように降る異界の破片を消し飛ばす雄叫びが、空を切り裂いた。
常人ならば心を失うような咆哮で戒めを砕き、人の天敵である〈獣〉が立ち上がった。
もとより四足で大地に馳せるだけが能ではない。
人のような二足で。歪んだアシンメトリーは悪魔のように。
方々を歪な槍角へと尖らせ、ただ一方的な狩りではなく戦うための姿と化した。
地を叩く音が、強さを増す。
赤い瞳が光を放った。
跳ぶ。
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白き月。聖なる光。暗き星。すべてが瞬き、星々は衝突する。
二つの白刃が煌めく。暗黒の星雲を切り裂く相似の流星は一呼吸も惑うことなく輝きの軌跡を走り抜け、光の星が闇の中で強く瞬いた。
二つが描く一つの星座は、相似であり、同義であり、表裏であった。
前と後ろ。右と左。縦と横。天と地。二つの呼吸が一つに重なり、無限自在の渦となる。
それでも〈獣〉は倒れなかった。幾多の剣を刺し込まれても、その存在は欠けてはいない。
血のような何かを流しながら、未だ荒ぶる牙を振るい続けていた。
騎士の鎧に一瞬、翼が生えた。
魔力を指向的に噴射させる超加速により、背中に極彩色の残像を見せたのだ。
そのままに、ただ真っすぐの直線を走る。
己が、己こそが唯一の剣であるかのような迷いのない加速。
迎え撃つ〈獣〉は咆哮とともに黒い邪気を無尽に放った。
止まらぬ閃きが闇の嵐を真っ向から受け止め、なおも衰えぬ輝く剣が〈獣〉を突き破った。
「■■■――!!」
そこに間髪入れず舞い降り、重なる十文字が〈獣〉へと刻まれていた。
残心。大きく弾けるのではなく、極一点へと吸い込まれるような跡形なき消失。
これこそ〈罪悪の獣〉が滅せられたことを意味していた。
騎士たちが勝利したのだ。
.
小さな氷のようなものが血だまりへと零され、溶けて消えた。
〈獣〉を呼ぶ触媒と化したものはこうして清められ大地に滲みていく。
救えなかったものが果たす最期の祈り。行為は祝福の願いのようですらあった。
後には不自然な屍が残る事となるが、彼ら騎士の行いは法の超越が認められ、静かに還されることとなる。
「――ふぅ」
息をつくと纏った鎧は霞のように消えていった。そして残された銀の仮面も脱ぎ捨てると、近付く朝の風がエトリの髪をなでた。
年齢としては少女といえるだろう。歴戦の戦士という風貌ではない。
学生服を着た若い女である。顔立ちもまだ甘さが残る瞳と柔らかな唇にはわずかに化粧を施し、大人びた雰囲気を纏おうとしている印象さえある。
見たとおりに学生であるのだろう。それがただ血生臭く、得るものもないような戦いへと身を投じていたのだ。
「やれやれ、と。これで片付いた」
慣れた手つきで剣を収め、疲れた体を無造作に伸ばした。
しなやかで長い手足を屈伸させることで、衣服を内側から押し上げるようなメリハリのある身体の輪郭が強調された。
襟を緩め、風に流れる長い髪を撫でた。
そんなエトリを視界内に収める、もう一人の鎧騎士がいた。
「……」
見ていたのは彼女のみに非ず。魔を祓った後も周囲を油断なく見据えている。剣士というより智略の将であるかのような、俯瞰の視野は猛禽のようだった。
「……よい荒剣だ。……斬魔の殺法か」
もう一人の騎士が無感情にエトリを評した。
「ノルヴェスが合わせてくれたからよ」
息を吐きながらエトリは微笑んだ。そしてノルヴェスと呼ばれた男も剣を収め、鎧を解いた。
表情を隠す仮面の下には、伏せたような表情の男の顔があった。
エトリとは年の離れた、修行僧のように引き締められた顔立ちは歴戦の巌。戦闘後の汗も高揚も達成感も表には出さず、ただ静かな落ち着きは冷淡でもあり逞しさとも言える、そんな印象だった。
「いや、違うな。あれは……、どこかで……」
「ん……?」
言葉は徐々に小さな呟きへと変わった。エトリに話しかけているというよりも、自分の記憶に問いかけているかのように。
「……おーい」
エトリは諦めたように小さく息をついた。
思考が深くなった以上、今は何かを語ることはしないだろう。
さほど長い仲というわけではないが、無口な相方であるとは早々に把握していた。
エトリは〈賢盤〉を――補助魔導具を本のように広げ、その中心に〈彷徨いの幽鬼灯〉を描いた。
宙に浮かぶ篝火が、ただ茫々と燃えていた。
数日前に起きた事件により、町を流れる魔力は敏感に乱れやすくなっていた。それにより先程のような〈獣〉の出現を含む、いくつかの魔術関連の事件が起こっていた。
今はどうやら平時と判断できる値に安定していた。
「今宵の任は果たしたようだ。戻るぞ」
視界の端でとらえたか、ノルヴェスはそう判断した。
エトリもそれに同意して〈賢盤〉を閉じた。
「帰ったら三時間ぐらいは寝れるか」
つまりはこういった一連も、彼女にとって普段の日常となっていた。
「ああ、そういえば……」
彼らは下を――天をつくように伸びるビルより、奈落に等しい街路を覗き込んだ。
暗闇の中。街灯の届かぬ影の中で小さな何かが潰れていた。
二人がどういう間柄であったのかは知る由もない。
逃げ果せると思ったのだろうか。
いや、この場所でなければどこでもよかったのだ。
自らが呼び出した恐怖を抱え、その重みを支えきれずに墜ちた咎人。
自由への翼など、その背にありはしなかった。
「もう死んでいる。応報の鎖は互いを縛ることに気付けなかったか」
2020/07/14【修正】誤字修正。タイトル変更。
2019/06/02【修正】発見した誤字が気になってしまったため修正しました
2019/02/03【修正】誤字脱字などを修正。一部固有名詞などを修正しています。内容は特に変わってません
2018/01/23【修正】誤字脱字などを修正
2018/01/22【変更】全体的な構成を変更しました。この章は「放課後(闇)(4)」として投稿した分です。内容もやや変更。(演出的に話の順番を入れ替えただけで、以降のストーリー自体は変更はありません)また試験的に原稿用紙の使い方をWEB小説でよくあるような形式に変えてみました。すでに投稿している分も変更するかもしないかも。
2017/12/27【修正】文章表現などを修正。内容は変わってません
2017/12/24【投稿】前部より一か月も空いてますね。忙しかったんじゃ。。(´;ω;`)